ベストセラーになった『サピエンス全史』は 「私たちは二万年前よりも幸福なのか?」 と問いかけ、 「それこそが歴史を見るとき最も重要な観点」 と訴えています。 実際、物質的には豊かで便利になっても、いま一つ「幸せだなあ」と実感できずにいる人がほとんどです。 そしてこの本の著者は、仏教に深い関心と期待を寄せています。 他のどんな宗教と比べても、 「仏教は幸福の問題を重要視し、2500年にわたって、幸福の本質と根源について、体系的に研究してきた」 と述べ、幸福に関する最新の学問的な研究を、仏教はすでに先取りしている、と書き記しています。 今度、12月17日に発刊予定の電子書籍『あなたを変える 第3の幸せ』には、なぜ物質的に豊かになっても人は幸せになれていないのか、本当の幸せとは何なのかを、古今東西の幸福論から導きだし、『サピエンス全史』や、その次の作『ホモ・デウス』でなされた問題提起に答える内容
人気の四字熟語で1位にもなっている「因果応報」は仏教の言葉です。悪いことをした報いで苦しんでいる人に「因果応報だ」などと使われますが、実は人生を幸せに生きる秘訣が教えられている言葉なのです。 日常生活でもよく耳にする「因果応報」という言葉は、仏教の教えを表す言葉です。 一般には、人を騙したり、嘘をついたり、不正をした結果、それが発覚して、処罰を受けるようなことがあると、「因果応報だ」などと使われたりしています。「苦しんでいるのは、自分のやった悪い行いのせいだ」という意味で用いられる場合が多いのですが、本来は、悪い結果に限らず、善い結果も「因果応報」です。 善いのも悪いのも、自分が受ける結果のすべては、自分が作るのだよ、ということを教えられているのが「因果応報」の本当の意味なのです。 これが正しく分かれば、毎日の行動に確実に変化が現れ、苦しみの人生も、明るく楽しい人生に好転すること間違いあり
「天上天下唯我独尊」はどなたのお言葉? 「天上天下唯我独尊(てんじょうてんがゆいがどくそん)」という言葉をご存じでしょうか。 こう尋ねると、「天上天下唯我独尊」と背中に書いた特攻服を着てバイクを走らせる暴走族の映像が頭の中に浮かんだかもしれません。 この場合の「天上天下唯我独尊」は、「この世界で俺だけが偉い」という意味で使われています。 他にも「あいつは唯我独尊だ」とか、「あの人は、独尊家だから嫌い」と言います。これも「自分だけが偉い」と思っている人を指して使われているのでしょう。 しかし、本来の意味はそうではありません。 そもそもこの言葉は、お釈迦様が生まれた時に言われたものなのです。 お釈迦様といえば世界の三大聖人にも数えられるお方です。 「実るほど頭の下がる稲穂かな」の諺どおり、徳の高い人ほど物腰は低く、自己顕示を恥じるものです。仏徳を備えられたお釈迦様が、"オレ様がいちばん尊い"な
浄土真宗は、日本最大の仏教宗派として知られ、全国に約2万の寺院があり、『浄土真宗はなぜ日本でいちばん多いのか』(島田裕巳著 幻冬舎)という本まで出ています。 ●浄土真宗が5分で分かる動画 浄土真宗のはじまり 浄土真宗は、約800年前、親鸞聖人が明らかにされた教えです。 「親鸞聖人の教え」と聞くと、親鸞聖人が考え出した教えがあるように思われがちですが、そうではありません。親鸞聖人は、いつも次のように仰っていました。 「親鸞の伝えていることは、決して私が考え出した新しい教えではない。 お釈迦様の説かれた仏教を、私も信じ、皆さんにもお伝えしているだけなのだ」 浄土真宗といっても、親鸞聖人の教えといっても、仏教以外にないことが分かります。仏教一つ教えているのが親鸞聖人であり、浄土真宗なのです。 浄土真宗とは すべての人が救われる教え 浄土真宗とは、老若男女差別なく、すべての人が救われる本当の仏教を
【人身受け難し(1)】 「タイムイズマネー(時は金なり)」 フランクリンの格言です。 おおざっぱに言えば、今の日本人は生まれたときに、約80年の時間を受け取ります。 この一人一人に与えられた「時間」の価値は、 私たちが思っているよりも実はずっと重く、 「時は金なり」どころか、「時」は「金」よりもずっと貴重な価値があります。 希少性からいってもそう言えます。 「お金」は増やすことができますが、「時間」は減っていく一方です。 他の人より10倍のお金を稼ぐことができる人はありますが、 10倍の時間を手にできる人は誰もありません。 また「お金」は使わなければ減りませんが、 「時間」は何をしなくても減っていきます。 こうしている間にも砂時計が落ちるように、どんどん減っています。 大金持ちもホームレスも、時間だけは平等に流れていきます。 また時間の生み出す価値はとてつもないものがあります。 アインシュ
仏教を聞くとは、何をどこまで聞くのか? 先日、自宅で2回目の法話。 「寺」とは、本来、仏教を聞き「本当の幸せ」になる場所だと、以前に書いた。 だから、いろんな人が集まり、あたたかくアットホームな中にも、しっかりと法を聞ける場にしたいと願っています。 「寺」に関する記事はこちら: では、何を、どこまで聞くのを、仏教を聞くというのか。 聞と言うは仏願の生起本末を聞きて疑心有ること無し。 と、親鸞聖人は明快に答えられた。 「何を聞くのか?」、については「仏願の生起本末」。 「どこまで聞くのか?」、については「疑心有る事無し」だ。 煩悩具足の凡夫を助けると誓われた「仏願」 「仏願」とは、どんな人も、本当の幸せに助けたい、という仏の願いのこと。 「仏」といってもここで言う仏とは、本師弥陀のことだ。 では、「どんな人も」と言うが、「どんな人も」とは「どんな人」のことか? 「生起」とは、そんなすべての人
仏の「慈悲」のはたらきとは 先日、法話に伺った時に、 「観音菩薩」という名前の由来について尋ねられ、 話をする機会がありました。 ちなみに、仏前に供えられる花は仏の「慈悲」を顕し、 灯り(灯明)は「智恵」を顕す、といわれる。 「観音」・「勢至」といえば、有名な菩薩の名前ですが、 仏の慈悲と智恵の象徴として知られる方々です。 「勢至菩薩」は、仏の智恵を顕すお方。 ちなみに、先日「智恵」についてはブログに書きましたので、 よろしければご参照ください。 「智恵」は、あなたの未来にくらい闇を破り、本当の安心をあたえる。 - 生きてゆくときに 一番大切なことを お釈迦さまから学んだ。 「観音菩薩」が、仏の「慈悲」を顕すお方ですが、 親鸞聖人は、仏の「慈悲」のはたらきを、 煩悩の林に遊びて、神通を現ず と言われている。 これは、大衆の中に入って、自在の衆生済度をするはたらきだ、ということ。 ここで「煩
【慢(1)】 「口さえ開けば自分の自慢」が私たちです。 もちろん小学生のように 「ぼくねえ、一番だったよ」「ぼくねえ、すごいんだよ」 と露骨な自慢話しはひんしゅくを買うので控えますが、 大人になると遠回しに自慢する術を覚えます。 自慢話しの大人のテクニックを3パターン、紹介します。 1.自分が自慢できる話題になるように持っていく 2.人を批判し、自分はそうでない人間であることを自慢する。 3.卑下しながら実は自慢 1の「自分が自慢できる話題になるように持っていく」というのは、 「オレの場合、○○してるんだけど~(以下、自慢)」というケースですね。 その持っていき方がスムーズな人は会話上手と見なされますが、 強引に短絡的に持っていく人は 「あいつ、すぐそっちの方向に話しを持っていくから」 と失笑をかうことになります。 2の「人を批判して、自分を上げる」パターンは、 「最近の若い者はすぐあきら
今日、2月15日はお釈迦様が亡くなった日です。 お釈迦様が出家を決意されるきっかけとなった、四門出遊(しもんしゅつゆう)といわれる有名な話があります。 お釈迦様が仏のさとりを開かれる前のお名前をシッダルタ太子といいます。「太子」とありますように、王様の子供だったのです。 太子が住んでいたカピラ城には、東西南北に門がありました。 ある時、城の東門を出られた太子は、歯が落ち、腰は曲がり、杖に頼って歩く哀れな老人の姿を見て、人間誰しも、やがて必ずあんな姿になり、老いの苦しみにあわねばならないと感じられました。 その後、太子は、南門を出て病に苦しむ人を見ました。太子は、いつまでも健康でいられるのではないことを知り、城へと帰りました。 西門を出た時、太子は、何かを担ぎ泣きながら歩く行列を見ました。それは亡くなった人を棺桶に入れて火葬場へと運ぶ人たちでした。太子は、その日、人が死ぬことを知り、いよいよ
このたびの雪もすごいですが、先回の交通障害の教訓もあってか、 除雪がしっかりしていて、今のところ、このあたりには混乱はありません。 【今日の仏語】は『出世本懐』の1回目です。 ============== 先月「やりたいことが見つからない」という 10代の若者の声をテーマに書きましたが、 それを読んだ高校生の読者さんから感想をいただきました。 ------------ いつも楽しく読ませてもらっています。 今回のメルマガは驚きました。 「やりたいことが見つからない」とはまさに自分のことだと。 でもちょっとほっとしました。 じっくり見つけられたらいいなと思いました。 これからもよろしくおねがいします。 ------------ 高校生でこのメルマガを読み、問題意識を持ち、 感想までくれる積極性があるのですから、 きっといつかしっかりと自分の人生の目的を見つけられることと思います。 人生の目的
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●人間の「心」をひたすら研究する心理学が出した解答。人間共通の願いとは? こんにちは、浄土真宗親鸞会の講師の旅夫です。 お元気にされていますでしょうか? 今日は、 「『なぜ生きる』の答えをズバリ漢字二字でいうとどうなる? ~心理学でも哲学でも共通した答え」 についてお話ししたいと思います。 「忙しい」という字に込められたメッセージ 「なぜ生きるのか?」これは3000年の古から人に問われてきました。 「なぜ生きる」とは、 なんのために生まれてきたのか、 なんのために生きているのか、 なぜ生きねばならぬのか、 人生の目的とはなんぞや という問題です。 とても大切なことなのですが、「忙しい忙しい」と走り回っているとき、この問題は忘れがちです。 ここでちょっと 「忙」 という字を見つめ直してみましょう。 どのような作りになっているでしょうか。 右側は「亡くす」という字、ですね。 左側は「りっしんべ
「あなたは孤独ですか」と聞かれて「はい、孤独です」と答える人はあまりないと思いますが、そもそも「孤独じゃない人間なんていない」というのが本当のところではないでしょうか。 ただその孤独をうまく紛らわせる人と、そうでない人がいるかもしれません。 しかし、できればそんな孤独から根本的に解放されたいもの。 今回は、世の中にある「孤独を癒やす5つの方法」と、孤独を解決する仏教の処方箋を、まとめてみました。 第1の方法 犯罪的癒やし(おススメできません) 第1の方法は、万引きなどで孤独を紛らわせるという方法。 言うまでもなくこれは犯罪ですからおススメできませんが、かつて青少年の犯罪と思われていた万引きが、昨今は特に中高年に増えています。 そしてその背景にあると指摘されているのが高齢者の孤独です。 平成26年の『犯罪白書』によれば、65歳以上の一般刑法犯は、他の年齢層を抑えてトップとなり、20年前の約4
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