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ブックマーク / www.jnpc.or.jp (2)

  • 私が会った若き日の 児玉誉士夫 | 取材ノート | 日本記者クラブ JapanNationalPressClub (JNPC)

    取材ノート ベテランジャーナリストによるエッセー、日記者クラブ主催の取材団報告などを掲載しています。 児玉誉士夫との初対面は喧嘩から始まった。面会の約束はその日の朝10時であった。世田谷区等々力の児玉邸の応接間に通されたまま主が現れてこない。イライラしてきた。11時過ぎやっと顔を出した。私は言った。「10時だというから私はここに来た。恋人との待ち合わせでも30分待っても来なかったら私は帰る。人を待たせるとは失礼だ」「いや昨夜は遅かったから……」「理由にならない」「すまん事をした」と相手は謝った。昭和30年初めのころであったと記憶する。前年に起きた保全経済会事件の伊藤斗福についての取材であったと思う。私は30歳、児玉は44歳。私にははるかに年上に見えた。修羅場をくぐってきた腹の据わった人物と感じ、悪い印象はなかった。 このやり取りを隣の部屋で当時秘書、現東京スポ―ツ新聞社会長の太刀川恒夫さ

    私が会った若き日の 児玉誉士夫 | 取材ノート | 日本記者クラブ JapanNationalPressClub (JNPC)
    paravola
    paravola 2023/04/22
    (元毎日新聞編集局長)このやり取りを隣の部屋で当時秘書、現東京スポ―ツ新聞社会長の太刀川恒夫さんが聞いていた
  • 「ソ連崩壊30年」(1) 下斗米伸夫・法政大学名誉教授 | 日本記者クラブ JapanNationalPressClub (JNPC)

    下斗米伸夫名誉教授が、ソ連崩壊のプロセスとその後を振り返り、ロシアと周辺諸国の現状を分析した。 司会 杉田弘毅 日記者クラブ企画委員(共同通信) フルシチョフやブレジネフのいたソ連から、現在のプーチン政権のロシアまで、膨大な知識を駆使して流れを振り返った。かつて紙面をにぎわせた人物や事件が次々登場し、帝政ロシアまでさかのぼった解説があり「ソ連好き」にとっては至福の時間の記者会見となった。 1991年12月8日、当時のロシアウクライナ、ベラルーシの3首脳がポーランド国境に近いベラルーシ西部「ベロベーシの森」に集まって「ソ連の消滅」を決めた。なぜ、この場所だったのか。3人そろってポーランドへ「もしゴルバチョフが当に逮捕に来たら逃げられるように」と言われていたと紹介され、会見場は笑顔に包まれた。 同じベラルーシ西部の森では今、「欧州へ移住できる」とだまされた大勢のクルド人らが集まっている。

    「ソ連崩壊30年」(1) 下斗米伸夫・法政大学名誉教授 | 日本記者クラブ JapanNationalPressClub (JNPC)
    paravola
    paravola 2022/05/06
    (2021年)ヤヌコビッチ政権の発砲なら話は単純だが、反ヤヌコビッチ派の「スナイパー部隊が射撃した」と「ついこの間の9月の研究大会で報告が出ている」と紹介された
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