戦後最大の汚職事件と言われるロッキード事件。なんと当時自民党幹事長だった中曽根康弘も、この事件に関与していた…! しかし彼は国会の調査委員会や特捜部の追及を逃れて政界を立ち回り、総理大臣へとのし上がる。その知られざる本性を、ノンフィクション大作『ロッキード疑獄』から紹介する。 中曽根と児玉の親密な関係 中曽根がロッキード事件に関する情報のもみ消しを要求した理由は何か。すでに世間では、自分と児玉誉士夫との関係は知られており、児玉をめぐる疑惑が自分に波及する可能性を恐れていたことが考えられる。 児玉に対する検察側の冒頭陳述書に、児玉と太刀川恒夫、中曽根の関係が簡単に記されている。太刀川は1955年、山梨県立日川高校を卒業後、児玉の著作を読んで「共鳴し」、児玉のような人間になろうと考えて上京、1960年に児玉宅へ書生として住み込んだ。 その後、児玉から政治の勉強をするよう指示され、河野一郎代議士
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