破壊と創造。それは表裏一体のものであり、何かを生み出すことで、また別の何かが壊れていくという、切なくも厳しい現実がそこに立ちはだかる。特に人並みはずれた創造力が必要とされる作家も、素晴らしい作品を生み出しながら、自らの精神が蝕まれていくことも珍しくない。 自らの限界ギリギリまで精神を酷使した結果なのか、あるいは最初からそういう素養があったからこそ能力を開花させることができたのかどうかはわからないが、ここでは有名な作品を残しながらも、精神障害に悩まされた10人の作者を見てみることにしよう。
![精神障害に悩まされていた10人の作家の壮絶人生 : カラパイア](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/4f322e201cccc9cf14960e1849eade27ca1fabaf/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Flivedoor.blogimg.jp%2Fkarapaia_zaeega%2Fimgs%2Fc%2F7%2Fc730c66a.jpg)
第146回芥川賞(日本文学振興会主催)は、円城塔(とう)さんの『道化師の蝶』と田中慎弥さんの『共喰い』の2作に決まった。17日夜、東京・築地の料亭「新喜楽」で選考委員の黒井千次さんが会見し、選考経緯について説明した。概要は次の通り。 「今日は選考委員の村上龍さんが休まれたので、8人で選考を行いました。(偶数なので)票が4対4に割れてしまうことがあり、多少時間がかかりましたが、先に田中慎弥さんの『共喰い』が過半数をとって受賞が決まりました。それから投票を繰り返した末、円城塔さんの『道化師の蝶』が過半数となり、2作受賞が決まりました」 「『共喰い』については、どこか海辺の街の苦しい生活を送っているようなどろどろした人間世界、その中の父と子というような、どちらかといえば古いタイプの小説だったかもしれません。それに対して円城さんの作品は、これはメタ小説であるか否かという議論も出ましたけれど、筋があ
鴻巣友季子(こうのす・ゆきこ) 1963年生まれ。翻訳家、エッセイスト。著書に『本の寄り道』(河出書房新社)など。 ノーベル文学賞が6日、発表された。例えば日本の文学が賞の選考過程に乗るには、翻訳されることが必須の条件になる。発表を機に、文学と翻訳の関係について、文芸評論家の加藤典洋さんと翻訳家の鴻巣友季子さんに語り合ってもらった。 ◇ ■訳されて豊かになるのが世界文学 ――今年のノーベル文学賞は、スウェーデンの80歳の詩人、トーマス・トランストロンメルに決まりました。日本では、1999年に詩集『悲しみのゴンドラ』が訳されています。 鴻巣友季子 毎年のように候補にあがってきた人ですね。 加藤典洋 去年、マイケル・ハイムというミラン・クンデラの訳者でUCLAの教授の話を聞く機会があったんです。スウェーデン・アカデミーの人と会った際、「ノーベル賞をとるには何が一番大事ですか」と尋ねたら、たちど
(岩波文庫・693円) ◇柔らかな言葉で語る「文学」確認の書 二〇世紀世界文学の巨匠、ホルへ・ルイス・ボルヘス(一八九九-一九八六)の詩の講義録。ハーヴァード大学で一九六七年から翌年にかけての講義録は三〇年以上、活字にもならず図書館の地下でほこりをかぶっていた。講義部分は文庫で一七〇頁(ページ)にみたないが、なかみは濃い。 「詩」の一語が題にあるので、いとわしく思う人が多いかもしれないが「詩」を「小説」「文学」におきかえても、この本においては同じことである。柔らかな語りも心地よい。 ボルヘスは詩の要素では「隠喩」を重視。カミングスの「神の恐るべき顔は、スプーンより明るく」など多くの具体例を引く。 フロストの詩の一節、「眠りに就く前に歩くべき道のりが、/眠りに就く前に歩くべき道のりが」。最初の行は「陳述」であり、次の同じ一行は「隠喩」になると。日本でこれと同じことばをつかって、二行目を「隠喩
1989年、ペルー北部カハマルカ(Cajamarca)で、ラバにまたがって大統領選挙活動を行うマリオ・バルガス・リョサ(Mario Vargas Llosa)氏(1989年撮影)。(c)AFP/JAIME RAZURI 【10月8日 AFP】「新しい技術によって、本の中身が陳腐化するような事態にならないことを願う」。2010年のノーベル文学賞(Nobel Literature Prize)受賞が決まったラテンアメリカ文学の巨匠、ペルーのマリオ・バルガス・リョサ(Mario Vargas Llosa)氏(74)は7日、ニューヨーク(New York)で開いた記者会見でこのように語った。 「印刷された本」を好む同氏は、電子書籍やデジタル化がもてはやされる時代の中で、貴重な何かが失われるかもしれないとの危惧(きぐ)抱いているという。 ■政治と文学、両立させた創作人生 同時代の政治紛争の中に身を置
文藝春秋 2011年 09月号 [雑誌] 出版社/メーカー: 文藝春秋発売日: 2011/08/10メディア: 雑誌購入: 1人 クリック: 4回この商品を含むブログ (4件) を見る「文藝春秋」の9月号は、いつもならば、「芥川賞発表号」だ。しかしご承知の通り、今回の芥川賞は「受賞作なし」になってしまった。なので、芥川賞はすっかり影を潜めてしまっている。メインの特集は「運命を変えた手紙」であったり、「脱「菅」・反旗の閣僚独占手記」である。 とはいっても、受賞作なしでも「選評」はもちろん掲載されている。なぜ受賞作なしになったのか、ここで分かると言ってもいい。そして受賞作なしの場合でも、候補作から一編掲載される慣習があり、今回は戌井昭人「ぴんぞろ」が載っている。 ところで私はひとつ、残念でならないことがある。なぜここで掲載されたのが「ぴんぞろ」だったのだろうか? もちろん、純粋にこれが「候補作
文藝春秋 2011年 09月号 [雑誌] 出版社/メーカー: 文藝春秋発売日: 2011/08/10メディア: 雑誌購入: 1人 クリック: 4回この商品を含むブログ (4件) を見る 今月号の「文藝春秋」には、「受賞者なし」となった芥川賞の選評と候補作『ぴんぞろ』が掲載されています。 恒例の選評の抄録です(各選考委員の敬称は略させていただきます)。 小川洋子 私にとって最も切実な問題をはらんでいたのは、『これはペンです』だった。何かを書こうとする動機、書かれる内容、書き手の人間性になど特別な意味はなく、ただ書き方がもたらす偶然のみが言葉を決定してゆく。この理論に則って叔父さんがでっち上げる文章は、実際に今、小説を書いている者の心を揺さぶる。自分の身体の内側から搾り出すようにして生み出した、などと思っているのは作家の勝手な幻想で、実は英字パスタをスプーンですくっても同じ小説は欠けてしまう。
第10回配本 Ⅰ- 11 黒人への暴力の現実を描くノーベル賞作家の傑作を初紹介 鉄の時代 J・M・クッツェー くぼた のぞみ 訳 反アパルトヘイトの嵐が吹き荒れる南ア、ケープタウン。末期がんを宣告された一人暮らしの初老の女性ミセス・カレンは、自分が目の当たりにした黒人への暴力の現実を、遠く離れて暮らす娘に宛て、遺書のかたちで書き残す。そして、彼女の家の庭先に住みつき、次第に心を通わせるようになったホームレスの男に、その遺書を託そうと決意するのだった──英語圏を代表する作家の傑作を初紹介。 第11回配本 Ⅰ- 12 現代イタリア文学を代表する二人の女性作家の話題作 アルトゥーロの島/モンテ・フェルモの丘の家 エルサ・モランテ/ナタリア・ギンズブルグ 中山 エツコ/須賀 敦子 訳 「アルトゥーロの島」 ナポリ湾の小島で、自然を友とし野生児のように暮らす少年アルトゥーロ。不在がちな父の帰り
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く