2020年6月5日のブックマーク (5件)

  • 日本社会では成果よりも「みんなと一緒に」という美徳が信頼の源泉になっている。

    たとえば体育の授業で、ゴールネットとか重いものを運ぶときにみんなで運ぶんだけど人が多すぎて手を添えて持ってるフリするみたいなことがあると思うんだけど社会に出るとあのときみたいな気分が蘇る場面がある。 — 方便 (@ryohoben) June 30, 2016 日人あるあるの一つ、「みんな一緒に重いものを運んでいる時には、実際には不要でも、手を添えて持っているフリをしなければならない」。 今から現場に加わっても負担が減らせるわけでも、効率が良くなるわけでもないのに、それでも現場に加わって”やっている感”を出さなければならない場面は、学校でも職場でも珍しいものではない。 あるいは、職場や現場で自分の仕事が先に終わった時にも、堂々と昼寝をしていたりソリティアをしていたりしたら色々まずい……と感じる場面もあるはずだ。 そういうシチュエーションでは、当は手持無沙汰でも、仕事をやっているような体

    日本社会では成果よりも「みんなと一緒に」という美徳が信頼の源泉になっている。
    pazl
    pazl 2020/06/05
    これはおしいけど少し違うと思っている。ゴールポストをしっかり持つ方が持ってる感出すより皆楽だと思っていてだから日本人は人よりちょっとだけ真面目に働こうとする。
  • 「お願いです。補聴器をイヤホンと思わないで」。警察官の注意に当事者から悲痛な声。

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    「お願いです。補聴器をイヤホンと思わないで」。警察官の注意に当事者から悲痛な声。
    pazl
    pazl 2020/06/05
  • 新聞記者最後の日。書けなかったエピソード。|塩畑大輔

    記者をやっていると「書きたいけど書けない」という状況にも出くわす。 大半は「書かれる側」に配慮して、というパターン。 これは読者の皆さんにも想像はつくかもしれない。 もうひとパターンある。 それは「自分が関わりすぎていて書けない」だ。 ファンの皆さんが読みたいのはやはり、アスリート人のエピソードだと思う。その描写に、あくまで「媒介者」でしかない記者が写り込むのは避けるべき。多くの記者がそう考えている。 ただ、記者が写り込むことによるマイナスと、書いた時のインパクトとで、後者が上回りそうな時もある。 天秤にかけて、書いた方がいいのではないか、と悩む。原稿の仕上がり直前まで、その要素を削ったり、また書き込んだり…と。 今回は書かせていただくのは、記者人生の中で最も悩んだケース。 それは新聞記者生活の最後の日のことだ。 よりによって、現場から書く最後の原稿について、僕はものすごく悩むことになっ

    新聞記者最後の日。書けなかったエピソード。|塩畑大輔
    pazl
    pazl 2020/06/05
    栗山選手も記者も素敵だけど、何気に辻監督が1番凄くないか?ちゃんと結果出す選手を見抜く力。
  • トランプが国民に銃を向ければアメリカは終わる

    ホワイトハウス周辺の秩序維持のため到着、デモ隊の前を通り過ぎた米軍兵士(6月4日) Joshua Roberts-REUTERS <天安門事件を非難してきたアメリカが自国民の抗議デモを武力鎮圧すれば、アメリカの連邦制や民主主義は崩壊しかねない> 「彼はわれわれを分断しようとしている」----マティス前国防長官はこのように述べ、かつての上司をナチスになぞらえて、白人警官が黒人市民を死亡させたことに抗議するデモが全米に広がる中、これを米軍によって鎮圧しようとするトランプ大統領の対応を痛烈に批判した。マティスは、後任のエスパー国防長官がデモの行われている市街地を「戦場」とみなし、米軍がこれを「制圧」する準備ができていると発言したことも、軍の存在意義をおとしめるものだとしている。マティスはトランプらを合衆国憲法に対する脅威とみなしているのだ。 全米に広がる抗議デモのほとんどは平和的なものであるが、

    トランプが国民に銃を向ければアメリカは終わる
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    pazl 2020/06/05
  • 40歳で料理を始めてみたら「パソコンを起動できないおじさん」の気持ちがわかった件。

    自分の無知や弱点を晒すことは、学びを得る上で非常に重要なことです。 かつてソクラテスが言ったように、「自分が何を知らないか」ということを認識するのはどんな人にとっても大変困難なことでして、多くの場合他者との接触を通して「自分の無知」を認識する他ありません。 その意味で、「俺はこれについて何も知らない」ということを、我々はどんどんオープンにしていくべきなのです。 ということで恥を忍んで申し上げるのですが、しんざきは料理というものについて全く、さっぱり、完全無欠に知見がありません。 今までの40年程の人生料理というスキルに殆ど触れずに生きてきてしまいました。 いや、決して、私が「男子厨房に立たず」などという時代錯誤な主義を持っているわけではないのです。 厨房には立ちます。 皿も洗えばシンク掃除もするし生ごみの始末も排水口の掃除もします。 そこについては主張させてください。 ただ、しんざき家で

    40歳で料理を始めてみたら「パソコンを起動できないおじさん」の気持ちがわかった件。
    pazl
    pazl 2020/06/05
    正直さっぱり共感できないので私にとって料理は、岩田さんの言うところの得意な事なんだろうと思う。