深夜、数ヶ月に一回くらいたまーに電話がかかってくる 番号は常に非通知 受話器をとると間延びした声で 「二十年くらい前に勤めてたー、○○ですけどー」 そして一方的に始まるよく分からない世間話 夜中だし暇だし、テキトーにあしらって電話を切ってる お局さんとか古くから会社にいる上司に聞いても心当たりは全くないとのこと その割に会社の内情を知ってんだよなあ ただやっぱりちょっと気味が悪くて、電話のあった日は夜が完全に明けてから帰ることにしてる
深夜、数ヶ月に一回くらいたまーに電話がかかってくる 番号は常に非通知 受話器をとると間延びした声で 「二十年くらい前に勤めてたー、○○ですけどー」 そして一方的に始まるよく分からない世間話 夜中だし暇だし、テキトーにあしらって電話を切ってる お局さんとか古くから会社にいる上司に聞いても心当たりは全くないとのこと その割に会社の内情を知ってんだよなあ ただやっぱりちょっと気味が悪くて、電話のあった日は夜が完全に明けてから帰ることにしてる
私が鬱病だった時は、「死にたい」じゃなくて「消えたい」と思っていた。 本当は死にたくなんてないのだけれど、 自分のような人間が生きていると周りに多大な迷惑をかけるのだから、早く死ななくてはならない、と思っていた。 身近な人たちに負担をかけていることはもちろん、社会や環境のリソースを食うことすら申し訳なくて、 一日も早く死ななければならないと思っていたが、怖くて死ねなかった。 今日も死ねなくてごめんなさい。 一方で自分が死ぬことで周りの人たちが(一時的にかもしれないが)深く傷付くとも思っていた。 「なぜ相談に乗ってやれなかったのか」と自分を責めるかもしれない。 そう思うとやっぱり死ねなくて、それならまるで最初からいなかったみたいに消えたいと思っていた。 世間の人々がまっとうに生きている午後3時、 ベッドの中で布団を頭から被って、 「私はいない」「私はどこにもいない」「最初からいなかった」 と
昔の恋人からFacebookでメッセージが来ました。 彼は私の初恋の人で、初めての恋人で、私に初めての失恋を経験させた人。私が16歳のときに彼の大学の学祭で知り合い、2ヵ月後にお付き合いを始め、私が社会人になって1年少し経つまでの7年を一緒に過ごしました。1年だけでもいいから同じ学校に通いたくて猛勉強したのに、理工学部と文学部ではキャンパスが違ったのにがっかりしたなぁ。 大学卒業後、彼は就職ではなく、遠くの学校に進学することになりました。地元に帰ってくるのは本当にたまにのことになりました。遠かったけれど、アルバイト代をためて、私も何度か会いに出かけました。 彼の卒業と、私の卒業は、ちょうど同じ年の春でした。 私は出版社に就職が決まり、彼は子供の頃からの夢だった職業につきました。なれない社会人生活に奮闘しながらも、夏休みには「落ち着いたら結婚します」と、お互いの親に報告をしました。 駆け出し
最初はただの憧れだったような気もする。中学生の時にとても可愛い友達がいたのだった。絵本から出てきたようなガーリーな洋服を着ていて、奔放で言いたい放題言うけれども憎まれない性格をしていて、いつも女の子のいい匂いがしていた。いつの間にか彼女に対して抱いていたその憧れは劣等感や嫉妬や憎悪や性欲やその他いろいろなものとぐちゃぐちゃに絡みついて、気がつけば自分の性自認は壊れていた。随分と前から壊れていることに気づいてはいたのだが、気づかないふりをしてずっとやり過ごしていたのだった。その性自認のねじれが自分でも制御できなくなってから、タイの病院に至るまではそうは時間がかからなかった。外見だけで言えばもう男性に間違われることもなかったし、女性としての社会生活も取り立てて問題はなかったのだけど、でもやっぱり女性ホルモンに漬かることで得たにせものの身体だけでは満足できなかったのだ。 タイに到着してから性転換
ブスですが、ブサメンは面倒臭いです。 以下、理由を説明します。 俺に惚れるなよ的な牽制をしてくるブサメンは「ブスに優しくすると惚れられるからヤバい」と考えており、 露骨に私にきつく当たってくるから面倒臭いです。 態度がきついだけでなく、連絡事項をわざと回さないなどの嫌がらせもされます。 嫌がらせをしておかないと惚れられてしまうとでも思っているのでしょうか? 不細工のくせに大した勘違いです。不細工の自覚がある私とは大違いです。 イケメンやフツメンはそういう態度を取りません。 イケメンやフツメンはブスをなにか別の種族のように思っているので、 そもそも自分がブスに惚れられるなどとは考えもしません。 ダンゴムシを見かけたとき「ダンゴムシに優しくすると惚れられるからヤバい」 などとは考えませんよね。そういう認識なのだと思います。 イケメンやフツメンは限りなくブスを無視してくれます。 異性という発想が
数ヶ月前、学生時代の男友達(酒好き)に連絡を取って飲みに行った。双方頻繁に連絡を取る方では無く、何年もブランクがあいた事もあったが気は合う方だと思う。以前偶然会った際「今度飲みに行こう」と口約束をしていたので、それを思い出し誘ってみた。そこでひどく酔っぱらってしまい、持ち帰られた。元々酒に強くはないが、その日体調がイマイチだったのと、飲んでる最中に「学生時代好きだったとか」とか言われて気が動転したせいだと思う。(そん時言えよ人がどれだけ喪だったと思ってるんだ!と腹が立った。ちなみに、多分本当という根拠はある。)酔っぱらうどころか急性アル中手前で、吐いたまま一瞬意識を失っていた。でなんだかんだそいつの家につれて来られ、グデングデンになってる間に乗っかってこられた。まあそうなるわなと思いつつも、ちょwまwこっちは何の準備(主に体の手入れ)もしてないし腹も超出てるし!と超焦った。それでも相手に多
このお話はたぶんフィクションです。実在の個人や企業とはあんまり関係ありません。そういうことにしろください。 10年前、20代になったばかりの頃の僕は、今思えば本当に最低な生活を送っていた。高校を中退し、実家とは疎遠で、友達もなく、金もなく、夢も希望もなく、ただバイト先と自宅を行き来するだけの毎日。いつも視界には霞がかかったようで、底の見えない空虚さだけが僕の心を支配していた。 それでも趣味らしいものはあった。オンボロマシンにRedHatを入れ、ダイヤルアップの細い回線で自宅サーバを立て、Perlでガラクタのようなプログラムを動かす。そんな子供じみた遊びだけど、プログラムを組んでいるときだけは空虚さを忘れ、画面の中に没頭できた。 ただ、そのときの僕はもうすでにいろんなものに打ちのめされていて、若者にありがちな全能感などというものは霧散していた。自分がプログラミングで何かを成すだとか、それを仕
飼い猫を先日安楽死させました。 6月下旬に顔の腫れに気がついて動物病院に連れて行った所、上顎に悪性の腫瘍があってもう手遅れだと言われました。 下顎ならば切除することももしかしたら出来たかもしれない、と言われたけれど、そんな事を言われてもどうしようも無い事だと家に帰って泣きました。 悪性な上に進行が恐ろしく早い癌で、半月程経った頃には顔の半分が変形して常に口からはヨダレが流れ腫瘍が腐って部屋中が酷い匂いになりました。 何件もペットショップやホームセンターを周り食べられる餌を探し、少しでも食べてくれと祈るような気持ちで何個も何十個もパウチを開けては捨てる毎日を続けました。 見るからに痩せ衰えた猫は、それでも私が帰宅するとフラフラと玄関までやってきてか細く喉を鳴らすのです。 夜も眠れず流れ落ちるヨダレと涙を拭ってひと月ちょっと。 ある日帰宅すると猫の頬に穴が開いていました。 腫瘍が頬骨も肉も溶か
追記:休職になりました。1年後に復帰できないようだったら退職。 いろいろコメントいただいているようですが、読む気力がない。いつか読みます。ありがとう。ごめんなさい。 一度病気で休職した後復職したが、来週また休職届を出すことにする。場合によっては退職するかもしれない。 みんな、休職したときは、できるだけしっかり休んだほうがいいぞ。 下り坂に入ってる時は、自分ではその下りを止める手段ってない。 引き潮に飲まれた時逆らうな、という教訓は知っているんだが、 どこまで後退するのかが分からないのが恐怖で、自分はそれに耐えられなかった。 以前の自分は、自分で言うのも何だけどすごい頑張ってたと思う。 でも、今の自分からみて、あそこまで戻るのはどう考えても無理だ。 かつての自分は超人パワーみたいなのがあって、それがある時いきなり失われたみたいな感じなんだ。 周りのみんなは、ちょっと調子崩してるだけだと思って
お金持ちはワンパターンである去年くらいから、仕事柄、お金を持っている人たちと仕事をすることが多くなった。 お金を持っているの基準としては、一生食べるには困らなそうな人たち。具体的には、3億以上の資産を持っている人たち、といえばいいだろうか。もちろん飛び抜けてお金を持っている人もいれば、数億の人もいるのだけど、だいたい3億以上あれば毎日働かないで暮らせるので、私からしてみれば同じだ。 そして、お金持ちと友達になることで、気づいたことがいろいろある。こういってしまっては何なのだが、お金持ちたちは非常にワンパターンなのだ。 貧乏な人たちは多種多様である。すごくおもしろいやつ、変わったやつがいたり、最高にいいやつから、最低に悪いやつまでいろいろいるが、お金持ちはほとんどパターンがない。もちろんこれは絶対的に貧乏の数のほうが多いわけで、数が多いから多種多様であるだけなのかもしれないが、それにしても、
ロンドンその他都市のあの「愚者の祭り」から1週間が過ぎて、あの月曜日の事情が少しずつ分かってきた。5年以上ロンドンに住んでいる者としてあれこれ考えることも多かったし、諸事情で「暴徒」のおかれた環境について少し知る機会もあったので、少し書いておきたい。 あの日起こったことは何だったのかこれについては、無軌道な若者の暴走と言うことで概ねコンセンサスは取れているように思う。以下のtogetterは現状ロンドンで理解されていることに近い。 http://togetter.com/li/172491 警察が、最初の暴動の抑制に失敗したことで、「今なら何をやっても大丈夫」という無礼講的なお祭り騒ぎが一挙に拡大したと言うことなのだろう。周囲の興奮と燃えさかる炎に当てられて、「乗るしかない、このビックウェーブに!」とばかりに舞い上がってしまった子供が相当数いたであろう事は間違いない。(ロンドンで逮捕された
朝日新聞の「中島らもの明るい悩み相談室」に、あるとき、じゃがいもを焼いて味噌をつけて食べると死ぬと聞いたが本当か、という主旨の相談が寄せられたそうです。それに対するらも氏の答えは以下のようなものでした。 「・・『焼きじゃがいもに味噌をつけて食べると死ぬ』というのは本当です。・・・僕の友人の医者の話でも、やはりその実例を見たそうです。その患者さんは今年九八歳になるおじいさんですが、一二の時に焼きじゃがいもに味噌をつけて食べたのを悔やんでなくなったそうです。」 というお話。 この話を読んですこしでも「味噌じゃがいもって、怖いなぁ」と”本気で”思った人は、情報を判断する能力に問題があるのでネット上で情報の拡散はやめましょう。 あなたには情報の真偽を見極める能力はありません。よかれと思った行為で多くの人が迷惑しています。
昨日、一度しか会った事のない叔父さんを荼毘に付した。 朝一番の斎場はとても静かだった。 到着してすぐに、お父さんから状況を聞いた。 部屋に入ると、引っ越したばかりで物も少ない小さな部屋で 叔父さんは布団をかけたまま息を引き取っていた。 部屋はエアコンがつけっぱなしで 部屋には500mlビールの空き缶が百本以上もあった。 叔父さんは黒ずんで、ミイラ化が進んでいた。 息を引き取ってから約3カ月後の発見だった。 俗に言う、孤独死、無縁死。 叔父さんを見かけなくて心配してくれたのは 同じ建屋に住む、管理会社のおばさん。 たまに声をかけてくれていたそうで 最近見ないから、管理会社に連絡してくれたとのこと。 本当にありがたい。そして本当に申し訳ないとおもった。 叔父さんの部屋は最近の部屋で、 ポスト窓がなく、窓も占めていたから密閉空間。 だから、臭いで発見される、というケースではなかったわけだ。 部屋
頑張ろう、頑張ろうって言うけど、 家が流されたんだよ? と、福島の兄に電話したら、言われました。 おまえ、ちゃんと分かってるの? 超つらいとき、「とりあえず帰りたい、もう帰りたい」っていう、 あの帰る家がね、全部流されたんだよ。 俺、もう、家ないの。 明日も頑張ろう!って決意するような場所がね、ないわけ。 今日も疲れた―!ってドア開けてホッとするような所がね、 全員、一瞬にして、心の準備もなく、いきなり11日から消えたわけ。 おまえ、家ないのに頑張れる? 服も漫画も、化粧道具も、アルバムも、大事にしてたもんも、全部いっきに無い。 よし、頑張ろう!って思える? すげぇ言われてるんだけど、CMとかで、頑張れ頑張れとか。 ちょっと気を許すと、「一緒に頑張ろう!1人じゃない!」とか言うわけ。 いや、おまえら家あるじゃん?そのCM撮ったら家帰ってるじゃんって。 仕事もあるじゃんって。 おれ、船、なく
朝6時に出勤した兄が、夜の11時ごろに帰ってきた。 会社は車で15分のところにある。終業時刻は10時半だったらしい。 ここ半年ほど、日をまたぐ事が多かったので、それを考えればこれでも十分早い帰宅時間だ。 兄は某自動車会社の下請企業に勤めている。車の塗装などを請け負っているらしい。不況のあおりを食らって仕事は少ないはずでは、と思うかもしれないが、事情は少し違う。 兄の勤めている会社は先にも述べたとおり、塗装屋である。つまり「塗らなきゃいけないもの」があれば、それは車でなくても良い。最近ではピアノだのテレビだの、そういうものを営業が駆けずり回って取ってくるらしい。 そうすると、今まで塗装機のマニュアルに無かったものをやらなくてはいけない。新しい試みなのでもちろん大変である。 結果、どうなったか。 仕事はたしかに増えたが、無理言って頼んでいるのだから足元見られて安い値段をふっかけられる。 仕事は
今年の春に上京して、少し経った頃に彼女ができた。もともとツイッターで話をしていて、東京に来たのをきっかけに会うことに。すぐに意気投合して、会った次の日には付き合うことになっていた。 笑いのツボも、価値観もとても近くて、お互いの趣味が一緒なのも嬉しかった。彼女が何かを話して、自分が同意をすると、こどものような顔をして喜んで甘えてくれて、それがとても幸せだった。 自分にとって初めての彼女だったから、変だと気づくのが遅かったというのはあったと思う。 半月が経った頃、彼女から「元カレにDVされて、怒られるのがトラウマ」「家族が重度の障害を持っている」「DVの影響でこどもが授かれず、もしも授かっても遺伝的に障害がある可能性が高い」との告白を受けた。今の父は実の父ではないだとか、他にもそういう話はどんどん出ていたので、彼女のことが好きで好きで舞い上がっていた自分は「なんて不幸な生い立ちなんだろう。いや
草食系とか非モテとかそういう談義が大変盛んで、みんなモテたいんだろーなと思うんだけど。 ふと、わたしは一石を投じてみたくなった。それは「どこ」での話なんだろうか。 かくいうわたしはマジでモテない。ルックスは並以下だし、少々学歴は良いものの「とーだい」というレベルではなく、 女の子の好む話題など到底出来ない。テレビは見ない、読書オタク、少々創作文芸も嗜むという いわゆる「文学部によくいるアレ」である。趣味は一人酒と喫茶店巡りだ。 もちろん、読書が好きな人間がまともな青春など送るわけがなく、中学高校と大変に恵まれない日々を生きて来た。 あんまり恵まれなさ過ぎて、蔵書が日々増えた。いわゆるオタク趣味のような仲間の作れるジャンルではなかったため 独り黙々と本を読み、文章を書いて暮らして来た。高校時代、女性と話した時間は断言できるがゼロである。 男女問わず、友人と話した時間で1時間行くかも怪しい。グ
どうでも良い話だし、誰にあてて書くでもない。 でも、自分一人しか知らないと悲しむ連中が居るので書いておく。 我が家は男ばかり3人兄弟だった。3人も男がいれば、近所でも学校でもそれなりに有名と言うか、 誰からでも「3人もいると将来楽しみですね」って言われる様な感じだった。 親父は自営業なので、「3人で跡を継ぐんだね」云々と言うのは、枕詞みたいなもんだった。 真ん中の兄貴が中学に入った頃から、何かが変わって来た。 真ん中の兄貴は剣道をやっていて、それなりに強かった。 ガタイもデカいので、ケンカも強い、そんな奴だったんだが、 いつの頃からか登校拒否をするようになった。 何やら蛇の様にネチネチしつこい担任に目をつけられて、 毎日の様にいびられる様になったらしい。 教師からのいじめだな。 そこで登校拒否になるわけだが、そんなのは学校だけのせいじゃなくて、 家の責任でもあるので恨み言は書かない。 (ま
http://anond.hatelabo.jp/20100702010352 仕事できない人って・・・http://anond.hatelabo.jp/20100707221911 向上心がないやつはほんとにどうしようもないなんかと、関係があるかと思ったけどよく考えたらあんまりない話。「ジョブコーチ入門」という本に載っている、仕事を教えるときにやってはいけない7つのこと。 1.教える人が手順を理解していない。Aを起動させて、えっと、それから何をやるんだったかな…… 2.手順がころころ変わる。まずAを起動させて……いや、まず例外処理がないかどうかBを見ておくんだった、あ、でもBを見たってたいてい例外処理なんてないしなぁ。うーんと、ま、とりあえずBを先に起動させておく、ってことで。 3.人によって教え方が違う。よし、まずCのチェックからだ。え、昨日の人からはAを先にって教わった? いや、今日
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