「君、○○し給え」はどうして目下に用いられる言い方なのでしょうか? 「給え」という敬語はそもそも目上に用いる命令語だったと思いますが… 例) 悪しきを払うて助け給え、天理王命(天理教の「みかぐらうた」の冒頭) 試みに遭わせず、悪より救い出し給え(キリスト教の「主の祈り」より) 「君、○○し給え」だと、目下に用いる命令形で、しかもその語を発した人がかなり尊大に感じてしまいます。 どうしてなのでしょうか? 疑問に感じた理由は、昔キリスト教の教会に通っていたときに、古めかしい讃美歌の歌詞に「○○給え」というのが多出していており、神様に偉そうに命令している感じで違和感を感じたからです。 (韓国語の「讃頌歌」では目上に用いる最高敬語を用いていましたし…)
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