19世紀は捕鯨が大変盛んな時代でした。 太平洋にもイギリスやアメリカの捕鯨船が進出してきており、ハワイなどは捕鯨の中継基地として、大変栄えていたそうです。 1830年にはナサニエル・セーボレーやマテオ・マザロなど欧米人5人や太平洋諸島民を含む20数名が移住してきました。 彼らは農業や漁業を営み、捕鯨船に新鮮な食糧、水、薪などを提供する港を拓き、生計を立てていきました。 1835年にはゴンザレス一家が母島に移住し、母島にも定住者が現れましたが、この頃はまだどの国の政府も小笠原の統治には関与していなかったようです。