コンピュータの歴史秘話①...
死ぬとわかっていながら宇宙に飛んだ、旧ソ宇宙飛行士コマロフの悲劇2011.03.23 11:00216,913 satomi 宇宙飛行士ウラジーミル・コマロフ(Vladimir Komarov)はソユーズ1号で地球を飛び発った時、自分が二度と生きて帰れないことは百も承知でした。それを見守る人類初の宇宙飛行士ユーリー・ガガーリン(Yuri Gagarin)も。 でも当時のソ連のリーダー、レオニード・ブレジネフ書記長は共産党革命50周年を盛大に祝うものが欲しかったんですね。だからコマロフはソユーズ1号に乗って飛び、予言通りの運命を辿りました。上の写真はコマノフの遺体です。 Jamie DoranとPiers Bizonyの共著「Starman」はコマロフとガガーリンの友情を紐解き、なぜふたりがUSSR(ソ連)の危険なミッション断行を阻止できなかったのか、真相に迫る本です。 その詳細がNPRに載
2017年06月20日22:00 触れてはいけない日本の歴史のタブーってどういうのがあるの? 過去のおすすめ記事の再掲です 1 : 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします : 2010/08/16(月) 23:18:52.60 ID:0UVByoc80 明治天皇のクーデター未遂とか? これは有名かな http://ja.wikipedia.org/wiki/二卿事件 二卿事件は、明治4年(1871年)、攘夷派の公卿、愛宕通旭と外山光輔が明治政府の転覆を謀ったクーデター未遂事件。「外山・愛宕事件」とも呼ばれる。 2 : 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします : 2010/08/16(月) 23:20:17.92 ID:DjgZK2EX0 秀吉は本能寺の変を知っていた。 http://www.asyura2.com/08/reki01/msg/192.html 4 : 以下、
当時イタリア北東にあったシバリスという国で 騎馬隊の馬を勝利のパレードのために 音楽で躍らせるよう調教した。 ところが肝心の戦いの時、相手が音楽をはじめてしまった。 大混乱の末に大敗北。 5月11日、ガリバルディは1089人の北イタリア都市生活者からなるアルプス軽歩兵軍団(通称千人隊) を率いてシチリア遠征に出発した。 5月15日、パレルモを目指して進軍していた千人隊はカタラフィーミにてブルボン軍と会戦することとなった。 赤シャツ隊とも呼ばれるこの部隊の中で、実際に赤シャツを着ていた人間は約50人と言われ、軍務経験者はジェノヴァ憲兵隊35人のみ。 対するブルボン軍は二万の総兵力のうち3000をカタラフィーミに派遣した。 当初、実戦経験の差、装備の質、兵力の点でブルボン軍の勝利はゆるぎないものだと思われていた。 実際に戦闘は苛烈を極め、千人隊は退却を考慮したが、 ガリバルディの「ここで統一イ
モバイルゲーム 物凄い勢いで勃興したモバイルゲーム業界は、いろいろな課題や問題に直面しながらも巨大化し、今日の時点でのスマートフォン向けゲームの市場へと継承されていきます。 モバイルゲームの歴史 2001 Javaアプリと3Dゲームの登場 Javaが利用できるようになったことにより、ダウンロード型のゲームが供給できるようになりました。 2002 携帯電話端末の大容量化・3D化競争 Java搭載携帯電話端末が登場してからごく僅か1年の間に、アプリのサイズに関しては10倍に広大化し、表現方法も2Dから3Dにシフトし始めました。J-PHONEは『ゼビウス』や『スペースハリアー』などといった昔のアーケードゲームを、ドコモはSIMCITYなどパソコンで世界的規模のヒットを飛ばしたゲームを主力商品としていました。 2003 モバイルゲームの一般化 メモリの制限が厳しいJava仮想マシン上ではなく、OS
2011年05月08日 古代日本人に今の日本語で話しかけたら通じるかな? 2 : 名無しさん@涙目です。(兵庫県) :2011/05/08(日) 11:44:02.19 ID:nVnM66zw0 ギャルにギャル語で話しかけられても分からないと言うのに 4 : 名無しさん@涙目です。(神奈川県) :2011/05/08(日) 11:44:43.26 ID:YVrtratgP リアルな当時の口語なんて記録に残しようがないと思うがどうなんだろう 名無しさん@涙目です。(神奈川県) :2011/05/08(日) 11:46:38.61 ID:TQrzb/Sq0 同時代に生きていてさえ、 東北の訛りがキツイおっちゃんとかの言ってることが理解できなかったりするのに 古代なんて無理だろ 12 : 名無しさん@涙目です。(チベット自治区)[sage] :2011/05/08(日) 11:4
以下のニュースがありまして、 →asahi.com:オスマントルコ皇帝の勲章見つかる 軍艦遭難事故救出 - 文化・芸能 オスマントルコ皇帝の勲章見つかる 軍艦遭難事故救出 2008年01月05日01時58分 118年前に和歌山県串本町沖で遭難・沈没し、600人近い犠牲者を出したトルコの軍艦「エルトゥールル号」(エ号)遭難事故。その生存者を日本が母国に送り届けた功績をたたえ、当時のオスマン・トルコ皇帝から海軍士官に贈られた勲章やメダルが、東京都内の士官の親族宅に保管されていることがわかった。親族は今月から同町で始まるエ号の調査に合わせて、これらを町に寄付する意向だ。 保管されていることがわかったのは、当時のオスマン・トルコ皇帝アブデュル・ハミト2世が岸榮太郎・海軍大尉(のちに大佐、1925年没)に贈った「勲四等メヂヂヤ勲章」と「イムチェール銀章」。岸氏のおいで東京都武蔵野市に住む眞田茂夫さん
ギャグであれば、研究中に爆発事故が発生しても髪の毛がチリチリになった程度でピンピンしている……というのが「発明家」キャラのステレオタイプとして描かれる姿ですが、現実の発明家は不死身ではないのでギャグでは済まない事故が起こることもあります。時には、その発明のために命がけになるということもあるようです。 自ら発明・開発したり発見したものによって命を落とすことになった発明家・科学者10名を紹介します。 10 Inventors Killed By Their Own Inventions http://www.elistmania.com/juice/10_inventors_killed_by_their_own_inventions/ ◆トマス・ミジリー(1889-1944) 有鉛ガソリンを開発しフロンを発見したトマス・ミジリーは、「史上最も多くの人の死を招いた発明家」として知られます。自身
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