指定避難所で何が 東松島・野蒜小 証言で振り返る大津波 5センチの厚さに堆積した泥の上にピアノや演壇がひっくり返ったままの野蒜小体育館。並べた板とビニールシートに遺体が仮安置されていた=11日、東松島市 泥にまみれた児童用シューズ。津波で運ばれた防潮林の松葉が一面に散らばっていた=11日、東松島市の野蒜小体育館 東日本大震災の巨大津波は、自治体の指定避難所までのみ込んだ。「ここに逃げ込めば助かる」と疑いもしないまま犠牲になった人も少なくない。東松島市の野蒜小もその一つだった。あの時、何が起きていたのか。証言を基に再現する。 (藤田杏奴、野内貴史) ◎午後2時46分/徒歩や車で住民続々/ここは安全のはず 3月11日午後2時46分。放課後の野蒜小には5、6年生約60人が残っていた。激しい揺れで電気が消えた。揺れが続く。子どもたちはおびえきっていた。 直後から野蒜小には、子どもの安否を気遣う