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ブックマーク / koheko.hatenadiary.org (5)

  • 道行く人を皆馬鹿にする女子高生3人組を見ながら思ったこと - 諏訪耕平の研究メモ

    サイゼリヤ事に行ったら隣に女子高生3人組がいた。勿論盗み聞きなどする気はなかったし、する必要もなかったのだが、聞くとはなしに内容が聞こえてきてしまった。何せ、視界に入るあらゆるものにケチをつけまくるのである。基的には窓の外を見ながら、ちょっと変わったTシャツを着ている人を見つければ、「見て見て、あのTシャツありえなくね?(笑)」。はげてる人を見つければ、「はげ発見!(笑)」。少し変わった服装の女性を見つければ、「あの人時代逆行してね?(笑)」と、とにかく否定しまくる。見た目はごく普通の、髪を染めるなどもしていない女の子3人だったので(別にギャルならさもありなんと言うわけでもないが)、少し意外な思いをしていた。 ちょっと焦ったのは、すぐ近くの男性1人の席にステーキが運ばれてきたときのこと、サイゼリヤに行ったことのある人なら分かるかもしれないが、ある種類のステーキを頼むと、ジュウジュウと

    道行く人を皆馬鹿にする女子高生3人組を見ながら思ったこと - 諏訪耕平の研究メモ
  • 「悪いのは自分」では解決しないこともある - 諏訪耕平の研究メモ

    正に今の自分そのものが書かれていて胸に突き刺さりました。 自分の場合、何が分からなくて何を質問したらいいのかすら分からず、言われた通りに進めた結果失敗した上、教えて貰ったことも全くものにできず、先輩との仲が完全に冷え切りました。今では挨拶すら返してもらえず、軽度の欝を患い通院中です。 自業自得といえばそれまでですが、それでもなんとかやり直したいと考えてます。出来るかどうかは別として、ですが。来年度こそまともな成果が出せればと思う反面、まずどうすればいいのかが分からなくて悩んでます。 具体的な質問のやり方ではなく、人の話を聞いた際の疑問・質問の抱き方のコツがあれば教えて頂きたく。 このエントリー(に限らず,この方の「研究室」論は大変示唆に富む内容で,尊敬しております),非常に面白い内容で,かつ概ね妥当だと思うのですが,ちょっとそのスタート部分,このコメントの意味をとらえそこねたので書いておき

    「悪いのは自分」では解決しないこともある - 諏訪耕平の研究メモ
  • 就職率が下がったのは不景気のせいだけじゃなくて大学生の数が増えすぎているから - 諏訪耕平の研究メモ

    今週のモーニング「エンゼルバンク」は良かった。就職率が下がったのは不景気のせいではなくて,大学生の数が増えたからという話。就職数で言えば微増傾向とのこと。それに比して,自営業者の数が減り続けている。以前は自営業というのも重要な受け皿になっていたのに,これが減って,企業もそこまで増えすぎた大学生の面倒を見切れないということで,今みたいな状態になっていると。 公務員は増やすことはないだろうし,自営業も今は大企業のチェーン店とかにどんどん負けて減り続けているという実感もある。じゃあ大企業がすべてカバーしてくれるかというとそこまでは無理ということで,さあどうするかという話ですね。自民党はかなり大企業よりの政策を出してきたはずで,それでもカバーしきれなかったんだとしたら,この先民主党政権ではさらに厳しいですよね。 となると自営業の復権みたいな流れがあったりするのかな。個人的にはそれもいいかなと思いま

    就職率が下がったのは不景気のせいだけじゃなくて大学生の数が増えすぎているから - 諏訪耕平の研究メモ
    peppers_white
    peppers_white 2010/01/08
    そこでネットワーク、インターネットなのかね
  • 内田先生の教育観 - 諏訪耕平の研究メモ

    つねづね申し上げているように、学校教育というのは、「そこでなぜ学ばなければならないかの理由を子どもたちは知らないが、大人たちは知っている」という「知の非対称性」に基づいて構造化されているからである。「いいから黙って勉強しろ」というのが学校教育にかかわる大人たちの基文である。自分がなぜ学ばなければならないのか、その理由がうっすらとはわかるが完全にはわからないという「グレーゾーン」に子どもを置くのが学校教育の目的である。そうすると、どういうわけだか知らないけれど、子どもの学力は向上することが経験的に知られているからである。 ようやく内田先生の教育観が見えたような気がします。そして,反対します。 「学力」というのは「学ぶ力」のことである。何を知っているかではない。知識や情報や技芸のことではない。「学びたい」という抑えがたい欲望のことである。「学びたい」という欲望は、自分が何のために何を学んでい

    内田先生の教育観 - 諏訪耕平の研究メモ
  • 左手で握手しながら右手で殴り合うということ - 諏訪耕平の研究メモ

    『加治隆介の議』という漫画の中で,「外交」についてこんなセリフが出てくる。 「外交とは喧嘩ではありません。右手で殴り合っていても,左手は握手しているということが重要です」(原文とは少し違うと思う) 私は,これは外交に限らず,人間関係においてもかなり重要な考え方ではないかと思ってる。特に教授−学習関係においてこの考え方の重要性が浮き彫りになる。日人は人を褒めるのが下手であるそうだ(http://d.hatena.ne.jp/favre21/20090618#1245293123)。いきおい,日人の後輩指導は,叱りが中心になる。そこにおいて,後輩が左手での握手を認識できていれば,それほど問題はないが,両手で殴られているという認識に至ってしまうと,悲劇を生みだすことになるだろう。つまり,「この人は自分のためを思って言ってくれている」という感覚と,「この人はただ自分を否定したいだけだ」という感

    左手で握手しながら右手で殴り合うということ - 諏訪耕平の研究メモ
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