前回の記事までは、猿喰(さるはみ)湾の入り口につくられた堤防や、その堤防にもうけられた潮抜き穴(樋門:ひもん)についてご紹介しました。元庄屋の石原宗祐(いしはらそうゆう)が考えた樋門のしくみにより、猿喰湾内の海水がとりだされました。 海水が取りのぞかれて干拓工事が完了したのは宝暦9年(1759年)といわれます参照。この干拓工事でできた田んぼの広さは33ヘクタール(=1辺3.3㎞の正方形の面積)でした。猿喰新田の周囲をぐるっと1周あるくと、約30分かかるくらいの広さです。 この猿喰新田の南端に、ポコッと水田のなかに浮かんでいる小島のような場所があります。厳島神社がまつられる小さな杜です。 猿喰新田のことを知ることができた書籍『北九州歴史散歩 豊前編(北九州市の文化財を守る会)』P.43で、この厳島神社は、水田をつくった石原宗祐(いしはらそうゆう)が水田の守り神として勧請(かんじょう)した…と