京の北西に平安時代から丹波、若狭へ続く「鷹峯街道」がありますが、この街道の先の一帯が「鷹ヶ峯」と呼ばれる地域で、この辺り江戸時代の初期、9万坪の広大な土地に、金工・陶工・蒔絵師・画家たちが集結した“芸術村”があり、ここにリーダーの「日本のダ・ヴィンチ」がいました。 直進しますと「鷹峯街道」となり、しばらく行きますと左に史跡「御土居」があります。 史跡・御土居 近くで見ることはできませんが、御土居は秀吉が外敵に対しての備えと、鴨川の氾濫を防ぐため京の中心部の周辺を22kに及ぶ土塁を築きました。土塁の内側を洛中、外側を洛外と呼び各地につながる七街道には「京の七口」として出入口を設け、その一つ「長坂口」がここにありました。この辺りには当時広大な薬草園や珍しい野菜などが栽培されていましたが、元禄十五年頃には、商家が増え材木問屋、薪炭問屋などが営まれ「船のつかない港」とも言われた時期があったそうです
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