2023年9月27日のブックマーク (9件)

  • 共働きで「特別養子縁組」を決めた経験者二組に、育休や働き方の変化を聞いた - りっすん by イーアイデム

    不妊などの理由により「特別養子縁組(※1)」が選択肢に浮かんでいるけれど、夫婦共働きだと難しいかも……と考えていませんか。 今回は、特別養子縁組で子どもを迎えた二組の共働き夫婦による座談会を開催。養子を迎えることをどのように決めたのか、職場への相談方法、育休取得期間や復帰後のことなどについて、語っていただきました。 *** (※1)特別養子縁組……さまざまな事情により実親による養育が難しい子どもの福祉を目的として、養親との間に実の親子と同じ関係を結ぶ制度。児童相談所もしくは民営のあっせん団体を通じて、登録・研修・手続きなどを行う。 2017年1月の法改正により、特別養子縁組の場合も実子と同様に育休取得が可能になったが、職場における事例の少なさ、周囲の無理解、一般的な育休とは異なる手続きやフローなど、利用にあたっての課題はまだまだ多い。 <参加者プロフィール> ・瑛子えびすこさん(46)&

    共働きで「特別養子縁組」を決めた経験者二組に、育休や働き方の変化を聞いた - りっすん by イーアイデム
  • たまにフェミニスト男性の方が女性差別的な事無い?

    たまに、と言うか実はツイッターやはてなで結構よく見るんだけど フェミニストリベラルな筈の男性が、自分でもドン引きするくらい女性差別的な事やセクハラを女性に対してしている場面を見る事が有り、げんなりする あと、そういう人は男性に対してもマッチョだったり、男らしさの押し付けをしていたりする なんなんだろうね、あれ アイドルや配信者やVTuber等に対してセクハラっぽい事を当たり前の様に言ったり、 意見の異なる女性やリベラルフェミニストリベラルフェミニズムは日フェミニストの多数派であるラディカルフェミニズムやリベラルと意見が対立しがち)に対してはかなり攻撃的にセクハラや、女性差別的な言動したり、 AV女優や風俗嬢など、性産業で働く女性に対して職業差別的な言動をしたり、 真剣にドン引きする(今日も見てドン引きした) 自分はオタクで表現の自由を尊重したい(勿論、エロやオタク表現だけじゃなく、

    たまにフェミニスト男性の方が女性差別的な事無い?
    pigorilla
    pigorilla 2023/09/27
    レディファーストなことをする男の人のことをフェミニストって言うのかと思ってた、外国人みたいな人
  • 見過ごされてきた性差:心筋梗塞の死亡率「こんなに違うのか」 女性が倍の理由とは | 毎日新聞

    人の死因として、がんに次いで2番目に多い心疾患。このうち、急性心筋梗塞(こうそく)で死亡する人は年間3万人を超える。60代以上の男性が多く発症することから「男性の病気」というイメージが強いが、さまざまな統計データをひもとくと、女性の死亡率は男性のほぼ2倍であることが判明した。性別による大きな差は何が原因なのか。医療の現場から探った。 社会のさまざまな場面にある性差を、データを基に検証するシリーズ「見過ごされてきた性差。女性の急性心筋梗塞 歌手・川中美幸さんの母の場合はこちら。 8月、仙台市青葉区の東北大星陵キャンパス。研究室の大型ディスプレーは、2の折れ線グラフを表示していた。ピンク色は女性、青色が男性。ピンクの折れ線は常に青より高い位置にあった。 グラフは、急性心筋梗塞のため宮城県内の病院に入院した患者の死亡率で、30年間の推移を男女別に示していた。この間、研究と治療に当たってきた

    見過ごされてきた性差:心筋梗塞の死亡率「こんなに違うのか」 女性が倍の理由とは | 毎日新聞
  • がん細胞がぷちぷち壊れていく…人類の希望「光免疫療法」発見の瞬間「がんを光らせる実験のはずがまさかの結末に」 | 集英社オンライン | ニュースを本気で噛み砕け

    #2 #3 始まりは、がんを「治療する」ための研究ではなかった? 2009年5月、米国メリーランド州ベセスダ。ワシントンD.C.のすぐ北西に隣接するその町に、アメリカ最大の医学研究機関、米国国立衛生研究所(NIH:National Institutes of Health)はある。そのNIHの主任研究員、小林久隆の実験室で奇妙な現象が起きていた。 ――がん細胞がぷちぷち壊れていく。 当時、小林が取り組んでいたのは「がんの分子イメージング」である。 医学における〈イメージング〉とは人体内部の構造などを解析、診断するために画像化すること。「がんの分子イメージング」とは、つまりがんを可視化する研究だ。がんを「治療する」ための研究ではない。ましてやがん細胞を破壊するなどということが目的ではない。 がん細胞の表面には他の正常細胞にはないタンパク質が多数、分布している。がん細胞を移植されたマウスの体組

    がん細胞がぷちぷち壊れていく…人類の希望「光免疫療法」発見の瞬間「がんを光らせる実験のはずがまさかの結末に」 | 集英社オンライン | ニュースを本気で噛み砕け
  • 漫画「日本とアメリカと中国が同じ会社でサラリーマンをやっていたら。」出社は健康に悪い。

    理央 @br_sss921 1~3巻発売中です! Amazonamazon.co.jp/%E5%9C%B0%E6%9… ヤングチャンピオン誌にて連載しております。 webでも読めます! youngchampion.jp/series/2b53f01… 2023-08-18 19:57:11

    漫画「日本とアメリカと中国が同じ会社でサラリーマンをやっていたら。」出社は健康に悪い。
  • イノシシに占拠された島 ウリ坊10頭が行進 瀬戸内に広がる異変 広島・生野島(テレビ新広島) - Yahoo!ニュース

    「このままでは島が乗っ取られてしまう…」大崎上島町の離島では島民よりもイノシシの数が増え、まるで占拠されたような状態になっています。瀬戸内に広がる異変をツイセキしました。 【五十川記者】 「あ、いましたいました。倉庫の横にイノシシが1頭確認できました」 橋でつながっていない有人の離島、大崎上島町の生野島。 20年ほど前まで、島にイノシシは1頭もいませんでした。 【兵庫県立大学・栗山武夫 准教授】 「瀬戸内海は割と島と島の距離が近いものですから、州か四国から入ったイノシシがそこで増えて(よりよい環境を求めて)近い隣の島に次々と移ってくると。(県内の離島)ほぼ全域に渡ってイノシシが住んでしまっているというのが現状になります」 先週、兵庫県立大学の研究グループが調査のため島に入りました。 瀬戸内で起きている「異変」を聞きつけ、今年6月からセンサーカメラを取り付け、生息数の把握に乗り出しました。

    イノシシに占拠された島 ウリ坊10頭が行進 瀬戸内に広がる異変 広島・生野島(テレビ新広島) - Yahoo!ニュース
  • 6歳のとき、友達のマホちゃんが誰も履いていないようなフリフリのスカート..

    6歳のとき、友達のマホちゃんが誰も履いていないようなフリフリのスカートを履いていた。みんなは可愛いねと言ったけど私は変だと思ったから、変だねと言った。マホちゃんは怒って泣いた。 8歳のとき、父親が知らない女の人といるのを見た。私はそれを浮気だと思ったから、晩御飯のとき二人にそれを伝えたら、数カ月後、両親は離婚した。母親は一言私に、アンタのせいよとだけ言って、それ以来父親の話をしなくなった。 14歳のとき、マホちゃんが好きだと言っていた先輩に告白された。マホちゃんがあなたの事好きらしいので、と断った。それを伝えたら、マホちゃんは怒って泣いた。 16歳のとき、初めてのバイト先で品出しをしていたらパートの人からバックヤードに呼び出された。私の品出しの仕方が間違っていると話し始めた。私は慌てて商品のところに行って、直してから退勤した。それ以来パートの人から無視されるようになった。 18歳のとき、美

    6歳のとき、友達のマホちゃんが誰も履いていないようなフリフリのスカート..
  • 税務官僚だった頃の思い出 Part3/3

    思い出⑤ 転職を決意した時 40代前半になり、管理職を意識した仕事の進め方(実務中心→マネジメントへ)を検討しはじめた頃だった。ずっと同じ部署で働いていたわけではないが、新卒からほぼずっと法人課税一だった。 そんな折、数個年上の同僚のひとりであるN君が「今年度いっぱいで辞めて転職するから」と言ってきた(ビットコインの件で苦しんでいた人だ)。職場の飲み会の帰りで、飲み直しで別の店に入った時だった。少しばかり仕事で縁のあった会計コンサルの内定を得たという。 「なんで辞めるの?」と聞くと、「昨年課長にはなったけど、どこまでいっても組織の歯車で、それだったらまだいいけど……国民のために役に立っているとは思えない。だったら民間の方がいい。自分の仕事力は、広く社会のために使いたい」といった答えが返ってきた。「上司と人事には退職の旨を話してある」という。 私は、そこまで高邁なことを考えるタイプではない

    税務官僚だった頃の思い出 Part3/3
    pigorilla
    pigorilla 2023/09/27
    自衛隊の人が軍艦作ってる会社に再就職とかしてるけど国家公務員の転職は厳しいんだね
  • 税務官僚だった頃の思い出 Part1/3

    国税庁の最終面接のことを思い出している。大学四年生の頃だ。今までの面接は、無機質な長机とパイプ椅子でのものだった。だがその時は、四角いどっかりとした檜机と、ふかふかの椅子だった。それでいて圧迫感のある面接であり、最後に「私達と一緒に働けますか?」と言われたのを憶えている。 「はい。私でよければ宜しくお願いします」といったことを告げると、その場で最終合格が遠回しな言い方で告げられた。内定通知は賃貸アパートに届いた。 こんなところに書くほどだから予想はつくだろうが、結構前に官僚を辞めている。仕事は大変キツかった(きっつー、というやつ)が、やりがいはあった。いつかは挑戦してみたい仕事もあった。 思えば、大学3年生の春からコツコツコツコツと勉強を重ねて、やっと第一志望のひとつだった官庁に合格できて、「やったー!」と無邪気に思っていた。案外こんなものだ。 国家公務員(課税部門)としての経験は20数年

    税務官僚だった頃の思い出 Part1/3