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ブックマーク / thir.hatenadiary.org (9)

  • 本当に「ゆとり教育に伴う思考力の低下」が原因なのだろうか? - Thirのノート

    工業化学科の1学年は235人。従来、私の授業では1割程度が単位を落としていました。ところが、現在の3年生から急に4割ほどの学生が単位を落とすようになりました。 http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20080825/168719/?P=1 さて、引用元ではこれが「ゆとり教育で思考力が低下したのせい」だと言う話になっているのですが、では、実際に「ゆとり教育」という姿勢それ自体が間違っていると結論づけるのは、些か早計すぎる気がします。まさかこれだけの懸念している教授が初歩的な部分で誤認をするとは思えないため、以下のことが実際に当たっているかは全く分からないのですが(それこそ京都大学に在学しており、なおかつゆとり教育とそれ以前の端境期を生きているid:iammg氏に検証していただきたいのですが)、実際に私の身に起こった事実も思い出しながら、少

    本当に「ゆとり教育に伴う思考力の低下」が原因なのだろうか? - Thirのノート
  • 「いじめ」と「いじり」の違いは何か - Thirのノート

    「「いじめ」っつーか「いじり」だろ - ニート☆ポップ教NEO」を発端に、「ニコニコ大会議」で起こった事は「いじめ」なのか「いじり」なのか、という事が、問題からスピンアウトして一つの論争となっている。実際問題客観的に見て「いじり」と「いじめ」は区別がつかないことが多く、またいじめの当事者達が彼らの行動を自己弁護するために「今のはいじりだった」と言うことは非常に良くあることであるし、その逆ももちろんある。 「当事者が了解していたら、それはいじりだ」という言い方も出来るが、id:hokusyu氏が「いじめ/ファシズム/引きつった笑い - 過ぎ去ろうとしない過去」で述べているとおり、当事者(つまり「いじられ」「いじめられ」側)の意見が場の雰囲気によって歪曲されている場合も多く、その判定は難しいのが実情である。 なのでここでひとつ、僕が大いに同意する「いじり」と「いじめ」の決定的な違いについて、声

    「いじめ」と「いじり」の違いは何か - Thirのノート
  • あのー、それ、普通にいじめなんですけど - Thirのノート

    ニコニコ大会議であった例の件について。例の件について存じない方は、とりあえず「2008-07-04」を読んでくださいな。 いじめの構造 いじめというのは、ある一人の人物を他の大多数の人間が「見下す」ことで、虐める側の人間が「虐める側」としての共通意識・仲間意識を持つものである。つまり、虐める側は虐められる一人の人間を「外部」として定義することで初めて集団性・内部性を保つことに成功するのである。 ここで出てくるのが、「生け贄にされた一人」の問題である。いじめの構造上、彼は彼が有している感情の如何に問わずその集団の外にはじき出されている。いじめについては他にも様々な問題があるが、ひとまず「集団の内部と外部」という構造が見て取れる点だけを、今回は問題としてみる*1。 さて、ここで件のエントリに戻る。 ニコニコ大会議の場合 衝撃を受けた。すごい。すごいことだ。 あまりにも斬新すぎるコミュニケーショ

    あのー、それ、普通にいじめなんですけど - Thirのノート
  • ニコニコ動画に二次創作が再び戻る日 - Thirのノート

    ニコニコ動画においてMADや二次創作作品*1が削除されはじめた、というニュースが話題を呼んでいる。「パロディ封じに対するニコ動のしたたかな戦略 - プログラマーの脳みそ」のような肯定的な意見から「ニコ厨の脳内がお花畑すぎる件について」のような否定的な意見まで論調は様々ある。 けれどもとりあえず、ここでは「犯人捜し」だの「ニコ動はこれからどうなってしまうのか」だのを論じるのはやめよう。だって、みんなニコニコ動画から二次創作やMADが消えるのは嫌なんでしょ?それなら、今考えるべきなのは「どうやったらニコニコ動画に再び二次創作が戻ってくるのか」ということであって、「権利者はニコ動が申請者を表示する機能を実装することで消費者の制裁を受けるだろう」とかそういうじゃないのは一目瞭然。権利者の意識改革が必要なのは分かるけれど、それは消費者からの脅迫によって成り立つものじゃないでしょうに。現時点で権利者が

    ニコニコ動画に二次創作が再び戻る日 - Thirのノート
  • 馬鹿なのはゆとり世代じゃなくて - Thirのノート

    こんなことを言わなくてはならないのは当にばかげていると思うのだけれど、どうも未だに「ゆとり世代はこれだから」で昭和61年生まれ以降を無批判に叩こうとする人がいるようなので、ここで一度書いておくことにする。 馬鹿な若者というのは、今更ここで言うまでもなくいつの時代にも一定数いたものである。説明書を読もうとしない人間も、不満ばかり垂れ流す人間も、あるいは飲酒喫煙を自慢したり、犯罪自慢をする人間だって、さらには中二病的な諸事象も、別に今の時代になって突然現れたわけじゃあない。昔からそういう人間はいるし、それは人間古来の欲求から来る衝動なのだから、存在しないはずがないのである。 かつて、若者のさしたる行動は、社会から隔絶され閉じられた学生特有のコミュニティ空間のみで共有されるものであり、「学生」間での出来事は大人達の構成する「社会」によって具体的に認知されるものではなかった。学生による行為は、そ

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  • いい加減、インターネットという共同幻想から目を醒ましたらどうですか - Thirのノート

    未だに、インターネットは現実とは全く違う理念で動き、そして独自の世界を築き上げていると思っている人がいる。そういう人は、例えば「インターネットでは簡単に儲かるらしい」と豪語してしまったり、「インターネットでは全てのものが『無料』であることが理念として存在するから、なんでもタダで入手してOK」とか、「インターネットでは加藤が神扱いされている。気持ち悪い物だ」等と言ってしまったりする。あるいは、最近見られた「ニコ動でアニメの編が削除されるのはおかしい。だって宣伝効果があるんだもん。インターネットならではのそういう新たな面を認めようよ」なんていうのもそれに含めてしまっていいかもしれない。実際当にそうであるのかは全く確認されていないのにもかかわらず、「インターネットだから」という理由だけで、現実とは違う<何か>が存在するような錯覚を持ってしまう。 錯覚を錯覚と認めよう。もう、インターネットの独

    いい加減、インターネットという共同幻想から目を醒ましたらどうですか - Thirのノート
  • 学校裏サイトの舞台は「ケータイ」文化なんですけど - Thirのはてな日記

    以前、「学校裏サイト問題の質は「いじめ」問題であることを、ほとんどの人が認識していない - Thirのノート」という記事を書いたあと学校裏サイト問題についてはほとんど言及してこなかったのだが、最近また写真が怖いのにブログのタイトルは可愛いことで有名な吉田氏が「けんじろう と コラボろう!:オルタナティブ・ブログ」で言及されたり、"ミルクカフェ・2ch2管理者が現状について述べた記事"が話題になっているので、このタイミングでまた学校裏サイト問題についてコメントをしてみる。とりあえず、僕の学校裏サイトに関する見解は前回の記事でかなりまとめているので、そちらを参照あれ。 学校裏サイトの舞台は「ケータイ」 ITMediaの記事で一つ引っかかったのは、2ch2及びミルクカフェの管理者を「学校裏サイト管理人」の代表格として登場させている点。僕がいろいろと聞いて回った感覚*1や、自分が高校に在籍してい

    学校裏サイトの舞台は「ケータイ」文化なんですけど - Thirのはてな日記
  • 歩行者天国の廃止は逆効果 - Thirのノート

    なんだかねえ、通り魔殺人事件が起こってしまった理由があの歩行者天国にあるのではないか、という論調のメディアが多い(たとえばこことか)。実際模倣犯防止のため歩行者天国を中止する可能性が高いそうなのだけれど、では実際歩行者天国であることが事件を大きくしてしまったのだろうか? 正直、歩行者天国関係ないけど あらかじめ断っておきたいのは、僕は通り魔事件が、歩行者天国にその原因を求める程度に矮小化されるべきではないと思っているし、またそうすること自体が(ある種のキチガイが起こした行動に対し理由付けをすることも含めて)全くの無意味であると考えている。歩行者天国を規制しても、「人殺しをしたい」という人間は全く別の手段をもって殺人を犯すに違いない。曰く殺人を起こすのは凶器や現場ではなくあくまでも彼の思っている心情なのであるから、そこに何があろうと事物は全く関係ないのである。 それでも「歩行者天国」に乗っか

    歩行者天国の廃止は逆効果 - Thirのノート
  • 何がサービスを閉鎖的にするのか - Thirのノート

    はてなは閉鎖的だといわれる。同様にmixiも2ちゃんねるもニコニコ動画も閉鎖的だといわれる。では閉鎖的に見える原因はどこにあるのだろうか? ...簡単な話である。そこにコミュニティ的な要素が存在する限り、外部から見たそれは閉鎖的なものに映る。別に真にコミュニティが存在する必要はない。つまり内部の人が「俺、このコミュニティに属しているから」と自覚している必要はない。外部からみてそこにコミュニティがあるように見えれば、直ちにそれは閉鎖的であると判断される。 もちろん、コミュニティの形成要因はサービスによって様々である。代表的な事例は「会員登録制度によるコミュニティ化」と「共通の話題に伴うコミュニティ化」だろう。個人的には前者を「上からの閉鎖性」、後者を「下からの閉鎖性」と呼んで、同じ閉鎖性でも性質が全く異なることを常に意識するようにしている。*1もちろん、はてな2ちゃんねる等の事例もあるので

    何がサービスを閉鎖的にするのか - Thirのノート
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