暮らし 健康も楽しみも失ったうえ、誰からも必要とされず社会的コストにしかならない老後の人生など送りたくないので、60歳を超えたすべての国民に『安楽死権』を与えて欲しい - 自意識高い系
多くのブコメをみたけどいろいろな論点があるなと感じたので、整理してみたい。 A. 扮装やメイクが問題なのではなく、「黒人が笑われている」という絵面が問題である。黒人(およびその他のマイノリティ)が見たときに不快に思う。また、黒人に不利なステレオタイプ形成を助長する 【反論A-1】エディ・マーフィに扮装したのであって黒人は関係ない 【反論A-1-1】そのコンテキストは決して広く共有されていない。エディ・マーフィに扮装したことではなく、黒人の特徴によって笑いが起きている 【反論A-2】そのような受け取り方は意図しておらず、曲解である 【反論A-2-1】少なくない人数がそう受け取る以上、控えるべきである 【反論A-3】笑いが大なり小なり加害性を含むのは仕方がない。これもユーモアの一部であり、その表現の自由は保障されるべきである 【反論A-3-1】大勢が見る番組なら十分に配慮すべきである。差別的に
by jon jordan 新たなメルセンヌ素数を探している「グレート・インターネット・メルセンヌ数検索(GIMPS)」が、既知の素数として最大のものとなる50番目のメルセンヌ素数を見つけました。新たな素数は「2 77,232,917-1」で、「M77232917」と呼ばれています。 50th Known Mersenne Prime Discovered https://www.mersenne.org/primes/press/M77232917.html メルセンヌ素数とは、「2のべき乗より1小さい自然数」であるメルセンヌ数の中でも素数のものを指します。 GIMPSによると50番目のメルセンヌ素数「M77232917」は2324万9425桁の数字で、これまで最長だった49番目のメルセンヌ素数「M74207281」の2233万8618桁と比べて、約100万桁大きくなっています。 以下の
blog.tinect.jp リンク先を読み、自主性が乏しいけれども仕事が優れている人っているよね、と思った。 出しゃばらず、言われた仕事はきっちりこなし、上司やパートナーの采配次第では抜群の仕事をやってのける人材が、自主性を求められる状況に直面し、困惑して、メンタルヘルスを損ねて来院する……というパターンは精神科では珍しくないものだった。 今では死語になりかかっている感があるけれども、「メランコリ―親和型うつ病」などと呼ばれていた類型の患者さんのなかには、そういうタイプが少なくなかったように思う。フリーハンドを与えられるまではものすごく重用されて、本人も報われた感触を得ていたけれども、フリーハンドを与えられた瞬間にマゴマゴしてしまい働けなくなってしまうタイプ。そういう患者さんは2000年頃に比べて減ってしまった。ひょっとして、自主性が乏しいけれどもしっかり働く働き手は淘汰されてしまったの
この記事が物議を醸しているようでモヤモヤしたので自分の中で整理をつけるために文章化してみる。 「笑ってはいけない」浜田の黒塗りメイクが物議 黒人作家が語った不安 http://b.hatena.ne.jp/entry/www.huffingtonpost.jp/2018/01/02/history-of-blackface_a_23321243 考えを書き出してみる[1]. 単にエディ・マーフィという役者のモノマネをするためのメイクであって(意図的・無意識とわず)黒人をいじるものではないのは明白 [2]. 被差別の対象だった人たちの身体的な特徴を使った表現は相手を傷つける可能性がある。(ただし被差別対象ではない人が差別だと叫ぶ場合は差別の拡大になるだけで誰も得しないことがあるので注意が必要) [3]. 特に黒人風の肌メイクを差別的にエンターテイメントとして使われた歴史的なバックグラウンドか
ブログが長く休止状態だった昨年だが、その休止を挟む10月22日に実施された衆院選挙に関連して、私はポリタスに『たぶんあなたは採用しない「3つの投票方法」』(参照)という寄稿をした。この寄稿には自分ではいくつかのモチーフがあった。一つには、日本風のリベラルと保守の対立は党派的すぎて、もし本来のリベラリズムがあるのなら、ごく簡単な原則を基本的な要素として重視するはずだという指摘がしたかった。これに実質的にはアイロニカルな含みが生じるのはわかっていた。いわゆるリベラル派が党派性のために本来のリベラリズムを二次的なものにしていることへの批評である。 しかしこうした私の主張は、批評的アイロニーの想定内であるように、あまり顧みられることはなかった。私としては、リベラリズムの倒錯的な状況よりも、もっと本来のリベラリズムが何を主張すべきなのかという指標を描くことが重要だと思っていた。そのとき、おそらく指標
私は、2009年ごろから継続的に音声入力を試してはやめて繰り返しでしたが、2016年ぐらいから、ようやくキーボードの生産性に追いつくようになりました。 そして2017年に完全に逆転しました。特に、ドラゴンスピーチでは様々な文脈に従って単語を選ぶのが難しかったのが、iOSの音声入力中心にすることによって、前後の文脈から正確な単語を読み取る確率が上がったため、変換ミスがものすごく少なくなったからです。 そのことによって文書作成の能率がどのぐらい上がったのかなと言うことを考えましたが、ざっくりと 3倍 だと感じています。 3倍と言うのは、私がこれまでと同じ時間を原稿や文章の作成に使ったときに、3倍早くできるか、あるいは同じだけの時間を使ったら3倍の分量位できるイメージです。 有料のメールマガジンも毎日書いていますが、音声入力を使っていないころは、大体1,200字位で私の気力が切れてしまったのです
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