“太宰文学は思春期に一度は陥る、一種の麻疹のようなものである” この有名な言葉を、私は大学の心理学の教授から卒論の面接の際に浴びせられた。 そして私自身が「そうなのかもしれないな」と感じていたことも、認めざるを得ない。 実際に大学卒業後は、太宰文学から次第に足が遠のき、読むこともなく過ごしてきている。 ただ、あの頃抱いた、ある想いだけは忘れてはいない。 「太宰治の年齢を越えてから読んだ時、 どんな風に感じるのだろうか?」 若い自分では、共感しづらい部分があることを、当時の私は気付いていたのだ。 太宰の年齢を越えた今、“果たして、太宰文学は麻疹にすぎないのであろうか?”というその命題を、真っ向から否定してやろうと、私は考えている。