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思想に関するpj1200100のブックマーク (47)

  • ジョセフ・ヒース「学問としてのマルクス主義はなぜ凋落したのか」(2024年9月15日)

    先日投稿した「ジョン・ロールズと西洋マルクス主義の死」(原文はここ、邦訳はここで読める)という記事が、このブログ(In Due Course – substak)に投稿してきたこれまでのどのエントリより数倍も多くの読者に読まれた。私はこの事実を突き付けられ、最近の人が何を読みたがっているのかについて、自分が根的に何も分かっていないことを認めざるを得なくなった。これほどたくさん読まれると分かっていたら、このエントリはもうちょっと違った形で、カジュアルさを落として書いていただろう。 具体的に言うと、先のエントリは、私の人生の一時期に政治哲学の分野で起こった1つの論争を説明しようとしただけだった。西洋マルクス主義の運命について全般的な説明を行おうとしていたわけではなかったのだ。そこで私が述べたのはある意味で、(少なくとも哲学者の間における)マルクス主義理論へのとどめの一撃である。だが、マルクス

  • 東浩紀伝

    東浩紀の伝記を書く。ゼロ年代に二十代を過ごした私たちにとって、東浩紀は特別の存在であった。これは今の若い人には分からないであろう。経験していないとネット草創期の興奮はおそらく分からないからである。たしかにその頃は就職状況が悪かったのであるが、それはまた別に、インターネットは楽しかったのであり、インターネットが全てを変えていくだろうという夢があった。ゼロ年代を代表する人物を3人挙げるとすれば、東浩紀、堀江貴文ホリエモン)、西村博之(ひろゆき)ということになりそうであるが、彼らはネット草創期に大暴れした面々である。今の若い人たちはデジタルネイティブであり、それこそ赤ちゃんの頃からスマホを触っているそうであるが、我々の小さい頃にはスマホはおろか携帯電話すらなかったのである。ファミコンはあったが。今の若い人たちにはネットがない状況など想像もできないだろう。 私は東浩紀の主著は読んでいるものの、書

    東浩紀伝
  • コロナ禍における日本の雰囲気を理解するために役立った書籍リスト - 山下泰平の趣味の方法

    コロナ禍における日の雰囲気はちょっと変なので、これはなんなんだろうかって考えることがある。 こういうことを考えて理解するためには知識が必要で、なにも知らない状態だと正しく考えることはできない。考えたところでどうしょうもないんだけど、考えて理解できると多少は落ち着く。そんなわけで今の日の雰囲気を理解するために考えた際に、読んでて良かったなと思ったり、新たに読んだを紹介する。 私が気になった今の雰囲気は次の3つとなる。 個人で判断している理由 集団の判断が変になる理由 ケチで嫉妬深い理由 なんでこれが気になったのかというと、『ケチで嫉妬深い』個人が『個人で判断』するため『集団の判断が変になり』別の個人が『個人で判断』して問題を解決しなくてはならなくなるといった状況が嫌になってしまったからだ。嫌なものは嫌で仕方ないんだけど、理由が分かれば納得できる。そんなわけでこの雰囲気はなんなんだろうか

    コロナ禍における日本の雰囲気を理解するために役立った書籍リスト - 山下泰平の趣味の方法
  • 介護と人間ドッグ――ぐずぐずの理由

    昨日、今日と大学は事務休止でお休み。 昨日は、このごろとみに歩行に困難を訴えるようになった86歳の母親を介護用品店に連れてゆく。 ご人の希望であったが、出かけるときには「別に今日でなくても・・・」と言い出す。 それでもなかなか日がとれないからと、でかける。 親戚に寄って、77歳のおばさんも誘う。 店に着くと、親切そうな店員さんから介護保険を申請していると安くなる、場合によっては1割の値段になると告げられる。 が、なんだかその言葉にカチンと来るところがあったらしく、申請のことはあまり聞きたがらない。 歩行器が目当てで合ったはずだが、横目でチラッと見るだけであまり関心を示さない。 結局、シャワー用の椅子を買う。 が、家に帰ると「まだ使う必要はないから、片付けておいて」と言う。 鷲田先生の『「ぐずぐず」の理由』の一節を思い出す。 「人間の、人間としての基礎にかかわることがらは、すぐには答えの出

    介護と人間ドッグ――ぐずぐずの理由
    pj1200100
    pj1200100 2011/09/14
    "昨日は、このごろとみに歩行に困難を訴えるようになった86歳の母親を介護用品店に連れてゆく。ご本人の希望であったが、出かけるときには「別に今日でなくても・・・」と言い出す"
  • 【レビュー・書評】ナショナリズムと想像力 [著]ガヤトリ・C・スピヴァク - 書評 - BOOK:asahi.com(朝日新聞社)

    ナショナリズムと想像力 [著]ガヤトリ・C・スピヴァク[評者]中島岳志(北海道大学准教授・南アジア地域研究、政治思想史)[掲載]2011年6月12日著者:ガヤトリ・チャクラヴォルティ・スピヴァク  出版社:青土社 価格:¥ 1,680 ■市民国家への「脱皮」は可能か 自由や平等、民主主義などの諸価値を実現するためには、ナショナリズムの想像力こそ有用だとする「リベラル・ナショナリズム」論に注目が集まっている。セーフティーネットが崩壊する中、再配分への動機づけとして「同胞への愛着や信頼」を活用しようというのだ。社会民主主義者のようなリベラリストが、ナショナリズムの機能を再発見しようとしている。 しかし、スピヴァクの主張は異なる。彼女は国家による再配分を維持・強化しながら、ナショナリズムを放棄する道を模索する。 現在の国家は、ネイション・ステイト(国民国家)という形態をとる。これは国民主権の実現

  • 浅田彰によるフーコーの整理 - Hello, How Low?

    週刊ダイヤモンドの記事「続・憂国放談」で、浅田彰×田中康夫の対談のゲストに宮台真司が来たときのこと。http://dw.diamond.ne.jp/yukoku_hodan/200512/ ぼーっと見てたら、浅田彰のフーコーの権力論(と統治論)の明快な整理があったので、ちょっと長いけれど引用。 (…)ギデンズやベックは第二の近代として再帰的近代ということを言っている。それに対して、ポストモダン思想などと言われる側では、ミシェル・フーコーが考え、ジル・ドゥルーズが延長した図式、ソヴリンティからディシプリンを経てコントロールへという図式があるんですね(フーコー自身は、早すぎた晩年の講義録などを見ると、ソヴリンティ/ディシプリン/セキュリティという三幅対で、ただし歴史段階論的にではなく考えていたようですが)。ソヴリンティ(主権)とは、要するに君主権ということで、神とか王とか父とかいうような超越的

    浅田彰によるフーコーの整理 - Hello, How Low?
  • 東浩紀のベーシックインカム原理論

    東浩紀 Hiroki Azuma @hazuma 国家は、自立できないひと自立させるためにあるのではなく(どうせそういうひとは勝手に生きていくのだから)、そうできないひとを「ぎりぎり救う」ためにあるという発想にはならないもんかな。BIはぼくとしてはそういう文脈で捉えるべきだと考えている。 2010-02-10 10:44:01 東浩紀 Hiroki Azuma @hazuma 人口の3割ぐらいしかやる気がなくても、それで社会全体が回るならいいと思うんだ。依存自体を悪だということには意味がない——というか、いまの社会でも、かなり多くのひとがだれかに依存して生きているのであって、世の中ってそんなものでは。 2010-02-10 10:50:03 東浩紀 Hiroki Azuma @hazuma ぼくはBIを実施するなら、その部分は電子マネーにして原則トレーサブルにするべきだと考えているので(国

    東浩紀のベーシックインカム原理論
  • 宮台真司のトンデモな歴史観 - 遠方からの手紙:楽天ブログ

    2007.05.11 宮台真司のトンデモな歴史観 (6) カテゴリ:明治維新・アジア主義 宮台真司の近代史認識がいかにでたらめかを示す例を、MIYADAI.com Blog から引用してみる。 その点、昔の米国は凄かったよ。例えばGHQの“ホワイト・パージ”。日が内政外交上の無能力者になったのは米国による“ホワイト・パージ”による所が大きい。“レッド・パージ”は有名だけど、実は講和までの8年間に戦前までの右翼──国の成り立ちを真に知る存在──が根絶しにされたのは知られない。(中略) 同じくGHQの指示でなされた“レッド・パージ”の目的は労働運動の弾圧で、GHQは思想弾圧すべからずと指示書を書いていたほどだ。ところが右翼の思想的鉱脈は完全に根絶やしにされた。結果、維新以降の国の成り立ち、特に「田吾作による天皇利用」の真実を、コミュニケートする機会が消えた。それ以降の右翼は戦前とは別物。右翼

    宮台真司のトンデモな歴史観 - 遠方からの手紙:楽天ブログ
  • 2009/10/23 朝生後のTwitter上での議論まとめ

    東浩紀 Hiroki Azuma @hazuma 誤字が多かったので再ポスト。「高橋氏はparticipatory budgetを市川市に部分的に導入したらしいし、小黒氏とも話があった。雨宮さんもBIに賛成していたし、結局この世代の考えていることはだいたい一致しているんだと思った。ただそれが既存の政治的言説に乗っていないだけで。 2009-10-24 06:30:17

    2009/10/23 朝生後のTwitter上での議論まとめ
  • 信じて読む――シモーヌ・ヴェーユと津村記久子

    春秋社(「文藝」はつかない方の)のPR誌『春秋』8・9月号で「いま、ヴェーユを〈読むということ〉」という特集が組まれている。 渡邊一民氏や今村純子氏ら研究者や仏文系の作家・堀江敏幸氏の文章が掲載されているが、その先頭に津村記久子さんの文章が載っている。 たいへん気持ちのよい文章で、電車の中や机の前で何度も読んだ。 なんだかすごく感動したので、少しご紹介したい。 *        *        * ひどく寒い日の光 津村記久子 時々、当は自分は何も信じていないのだろうと思う。男も女も嫌いなんだ、人間が好きではないのだとうそぶいて、自分にとってストレスのない距離を作り出そうとしているが、それは悪い意味でも当なんだろうと。誰の言うこともまともに聞いていないだろうし、誰に届かなくてもかまわないし、誰も良いと思っていない。何を書きたいとも思っておらず、何が書かれていても信じない、そういう気分

    信じて読む――シモーヌ・ヴェーユと津村記久子
  • 50年代祭り(1)――橋川・シュミット・ベンヤミン - 感情レヴュー

    今回は、橋川文三の日ロマン派論を軸に、1950年代を素描し、ロマン主義と決断主義の関係を論じて、現代の論壇事情についても言及しました。 1 橋川文三は、1957年に日ロマン派について考察をはじめ、その成果を雑誌に連載していった。それを60年に単行としてまとめたのが『日浪曼派批判序説』(以下『序説』)である。58年にはその中間発表として、雑誌「文学」に「日ロマン派の諸問題」という論文を発表してもいる。雑誌「文学」はこのとき日ロマン派の特集を組んでおり、橋川の論文はその一部をになうものだったのである。 国粋イデオローグとして戦争の片棒をかついだとされる日ロマン派(とくにその首領・保田與重郎)について、戦後十年たったいまもなお、まとまった議論がまともになされていないという思いが当時の橋川にはあった。しかしそれと同時に、その思いを踏みにじるように「もはや戦後ではない」と喧伝されはじめ

    50年代祭り(1)――橋川・シュミット・ベンヤミン - 感情レヴュー
    pj1200100
    pj1200100 2009/08/02
    "今回は、橋川文三の日本ロマン派論を軸に、1950年代を素描し、ロマン主義と決断主義の関係を論じて、現代の論壇事情についても言及しました"
  • 『夜戦と永遠』佐々木中氏インタビュー

    『夜戦と永遠』佐々木中氏インタビュー 「図書新聞」2009年1月31日号 「永遠の夜戦」の地平とは何か 聞き手・白石嘉治 松潤一郎 重厚長大な『夜戦と永遠――フーコー・ラカン・ルジャンドル』(以文社)という書物が出版された。不可思議で魅惑的な表題であり、内容・文体はそれ以上に 魅力的である。著者の佐々木中氏にインタビューした。聞き手は、白石嘉治氏と松潤一郎氏にお願いした。なお今回、以文社の前瀬宗祐氏に全面的にご協力い ただいた。記して感謝申し上げます。(収録日・12月10日、神田神保町にて。〔須藤巧・誌編集〕) 「現在」をめぐって 白石 このたび『夜戦と永遠――フーコー・ラカン・ルジャンドル』(以文社)という六〇〇頁を超える大著が出版されました。この書物を無視して、おそらく 現代思想を語ることはできない。ここから静かなる鳴動がはじまるのだろうと思います。今日は私と松潤一郎さんから、

  • [書評]吉本隆明の声と言葉。〜その講演を立ち聞きする74分〜(吉本隆明,・糸井重里): 極東ブログ

    今日、NHK教育で22:00~23:29に、ETV特集「吉隆明 語る ~沈黙から芸術まで~」(参照)が放映される。いちおう録画予約を入れた。リアルで見ることはないと思うし、予約がこけることもないと思うのだけど、そうだな、ワンセグのほうでもダブルで予約入れておくかな。 戦後思想界の巨人と呼ばれ、日の言論界を長年リードしてきた吉隆明(よしもと・たかあき)さん。84歳になった今も、自らの「老い」と向き合いながら、思索を続けている。 吉さんは、目が不自由になり読み書きがあまりできなくなった。足腰も弱り、糖尿病を抱えている。しかし、2008年夏、「これまでの仕事をひとつにつなぐ話をしてみたい」と親交のあるコピーライター糸井重里氏に協力を依頼し講演会を開いた。 とういこと。 かなりたぶん、この講演のころ出版された「吉隆明の声と言葉。〜その講演を立ち聞きする74分〜(吉隆明,・糸井重里)」

  • 新・アニメ・批評 - FC2 BLOG パスワード認証

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  • 『「日本という方法」書評レビュー』

    元多読書評ブロガー石井の「行動読書」学びシェアブログ 月間101冊多読書評ブロガーとしてのアルファブロガー活動は一旦休止中ですが、学びのシェアというコンセプトでは細々と続けていきたいと考えていますので、また今後ともよろしくお願いいたします。 「日という方法」書評レビュー 著者:松岡正剛 出版:NHK出版 おすすめ度:★★★★★ 【概要・書評】 【知の巨人が問う日のエッセンス】 簡単なではないですが、最終章でも言っているように、確信的なことは書かずに、あえて難解に、示唆に富ませるような文章で書かれた日論です。 「世界と日の見方」同様付箋だらけになりました。 【内容メモ・学んだこと】 ・和歌の歌合せ アワセ(相反するものを比べ)・キソイ(競争)・ソロエ(まとめ)・カサネ ・陽明学 「知行合一」虚禅に浸るな「抜塞減(サクゲン)」根をふさぐ?代表的日人の西郷隆盛、中江藤樹、二宮尊徳

    『「日本という方法」書評レビュー』
  • 「自己責任!!」 「うさぎ!」(小沢健二著)から

    先日来、何回も紹介している「うさぎ!」の話の続き。 やっと手に入れた2話以降を読んでいる。 第3話にある「自己責任」の話に目から鱗 こんな風に書かれている。 == 貧しい人の痛みを、自分のお腹の中の痛みとして感じとる。 死者たち、先に生きた者たち、ご先祖さま、そんな者たちの痛みも、遠くにあるものではなく、今、ここに生きる、自分のお腹の中の痛みとして、感じとる。 人には、そんな得体の知れない能力があるようでした。 動物たちや、山や、神々の痛みさえ、「そんなもの関係ないよ」と切りすてるのではなく、「自然を大切にしましょう」とアタマで考えるのでもなく、自分のお腹の中にある、正直な痛みとして、「ああ、これはひどい」と感じとる。 そんな太古の昔までつながる、人の不思議な能力が、「親切」という行いの源にあるようでした。 そして、どうやら、その「親切」によって、人は、まわりの者や自然とつながっているらし

  • 共同研究「人間の尊厳」:考えをめぐらせていること - 仮 定 さ れ た 有 機 交 流 電 燈

    歴史文化・環境をめぐる学術的話題から、映画ゲームについての無節操な評論まで、心象スケッチを連ねてゆきます。 現在参加している文学部の共同研究「〈人間の尊厳〉を問い直す」で、5月に報告をしなければならない。さて、何を題材とするか。別に原稿を要求されているわけではないらしいので、来年5月締め切りの倉田実さんの還暦論集へ出す論文に繋がればいいな、というところである。 いま、漠然と「書きたいな」と思っていることは次の二つ。 ひとつは、先日のモノケン・シンポの一柳さんの報告にあった、臨終に際して出現する親しい者の霊について(お爺さんが別れの挨拶にやって来た、出征している兄が枕元に立ったなど)。明治に欧米オカルティズムの影響下で心霊学が流行するとき、近世的な幽霊がさまざまな検証によって否定されるなかで、この現象のみが〈テレパシー〉という概念を介し、科学的に承認されるという。なぜ、それほどまでにこの

    共同研究「人間の尊厳」:考えをめぐらせていること - 仮 定 さ れ た 有 機 交 流 電 燈
    pj1200100
    pj1200100 2008/03/26
    "悪ゆえに人は〈人間〉たりえ、悪ゆえに救済される。逆説的だが、考える必要のある問題である"
  • 組曲『マルクス経済学』を勢いだけで歌ってみた

    水道管です。カラオケ行ってきて声が潰れてるにも関わらず、無理矢理歌いました。音程ガタガタです。風邪も治らず鼻声&滑舌最悪です。でも歌いたかった。ほぼ初見で歌ったのでリズムやらが酷いですが、撮りなおすには声の限界すぎました。素敵すぎる元動画はsm1334677様よりお借りしました!●追記●いつの間にか再生数2万超えてました…。たくさんの再生&コメントありがとうございます!!▼マイリストとか作ってみた→mylist/3749126●8/26.ガンダム00流星群を歌ってみた→sm4431160

    組曲『マルクス経済学』を勢いだけで歌ってみた
  • ゲーテの色彩論とか - finalventの日記

    コメントで頂いた⇒極東ブログ: 河合隼雄先生のこと ゲーテの色彩論について特徴ある洞察をしたのが、陽明学との関連性を指摘した林田明大先生ですが、林田先生も、ゲーテの色彩論をそのまま受け入れていて、より充実したより洗練された色彩論や美学を構築することのできるお弟子さんを育ててくださっているわけではないようです。 その問題意識がわからないわけではないんですよ。ただ、2つためらうところがあります。1つはシュタイナーに向き合わなくてはいけない。それがかなりしんどい。少なくともこうした領域については今までもぺろぺろ語っているわりにはまだネットでは私は語ってない部分です(実はGについてもそれほどは語ってないつもりです。ネットで理解できそうな人はごく少数だし、ということはネットで語るべきテーマではないようにも思います)。もう一つは、陽明学というより朱子学でありつまり儒教の問題をどう見るかということがあり

    ゲーテの色彩論とか - finalventの日記
    pj1200100
    pj1200100 2008/03/03
    "陽明学というより朱子学でありつまり儒教の問題をどう見るかということがあります。陽明学は日本での受容は実際には人倫の学となり自然学にはならなかった。そのあたりでむしろゲーテの接点というか原点の矛盾が出
  • アントニオ・ネグリ講演「大都市とマルチチュード」