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ブックマーク / kusaiinu.exblog.jp (3)

  • 法然 | 現象学 便所の落書き

    法然、『選択願念仏集』 途中から少し読んでみる。わからないなりに、声に出してみると何となく大意が通る。歯切れがよくて気持ちのよい文である。 そもそも念仏は声に出すことが肝要なのだから、この専修念仏の理論書も声に出して読まれるべきなのは当然か。 そういえば奇妙なことだが、言文一致運動以前の書物は一般に声に出して読まれることを前提としているように思える。むしろ言文一致することで、文章は発音の身体性を次第に失っているのではないだろうか。なぜだろう。 〔追記〕 ある意味、単純なことで、日語の文語は七五調によらずとも「歌」と近いので、声に出して歌われることを前提としているのだろう。 とすると、日語の場合、「話し言葉」と「歌=エクリチュール」のあいだに断絶があることになるのか。言語学でなんといわれているのかは知らないが。 ルソーの『言語起源論』だと、歌と話言葉が等根源的になっている。そしてルソー

    法然 | 現象学 便所の落書き
  • アルチュセール ヴェイユ | 現象学 便所の落書き

    Althusser, L'avenir dure longtemps Althusser, Montesquieu, la politique et l'histoire Simone Weil, Le pesanteur et la grace 『未来は長く続く』はアルチュセールの自伝。 長年にわたり双極性障害(いわゆる躁病)に苦しんできた著者が、1980年11月にを絞殺してしまった「事件」について、精神疾患による免訴ゆえに行われなかった刑事的な供述に代わって、「自伝」としてつづったものである。その経緯については冒頭で刑事訴訟法の該当部分とあわせて説明されている。 核となる300頁は、1985年に2週間で一気に書かれている。その直後にまた病が悪化して入院治療を受けているようだ。 今回読んでいるのは、2007年に出た新版で、新しく未公刊の草稿が加えられている。持っていないので確認できな

    アルチュセール ヴェイユ | 現象学 便所の落書き
  • 昨日のフランス哲学セミナーの続き | 現象学 便所の落書き

    昨日の藤田さんの博士論文の概要のご発表と、それにたいする杉山さんの質疑応答を拝聴していて思ったこと。 杉山さんが文献学的な観点から、もう少しテキストで主張の裏付けをとる形で議論を詰めた方が良いという指摘をされていた。確かにごもっともなのだが、同時に僕は藤田さんのかなり大胆な図式化づくりに賛成するし、僕自身そういう方向でテキストに暴力をくわえつつレヴィナスを読んでいる。 つまり古典に関しては、すでに皆が知っていることをいっても仕方がない。ヘーゲルにしろハイデガーにしろ、哲学史家としても大家だと思うが非常な暴力をテキストに加えている。 何がテキストから読めるのか、その可能性を示していく大胆さは常に必要であろう。 日で論文を出す場合は杉山さんの議論が正論だが、恐らくフランスのアカデミズムでは藤田さんのように新しいシェーマを多少強引にでも提出することを高く評価すると思う。もちろんテキストで裏付け

    昨日のフランス哲学セミナーの続き | 現象学 便所の落書き
    pj1200100
    pj1200100 2007/08/20
    "ヘーゲルにしろハイデガーにしろ、哲学史家としても大家だと思うが非常な暴力をテキストに加えている。/何がテキストから読めるのか、その可能性を示していく大胆さは常に必要であろう。"
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