揺らぐ「労働の対価」としてのお金 現在の世界での「お金」の仕組みが別のもので置き換わる、さらには消滅する――。そのことについて筆者は検証してきたのですが、そもそも私たちはそれを望むのでしょうか。そのことについて考えてみたいと思います。 これから先の未来、自動化があらゆる分野で進んでいくと思いますが、その過程でも「お金」の存在意義がまた1つ問われることになります。それは「お金」が持つ「労働の対価」という意味合いです。 私たちの多くは今現在、「お金は労働の対価である」と思っていますが、そもそもその労動の多くがこの世から消えかけているのです。 この話を進めるとき、アメリカの発明家で未来学者であるレイ・カーツワイルが広めた、「技術的特異点(シンギュラリティ)」という概念について少し理解しておく必要があるかもしれません。 特異点とは、一般には文字どおり「特異な点」という意味で、それまで広く知られてい
![いつまで人間は「今の仕事」を任せてもらえるか](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/051e0a19260bdffb64df09e872fa3307aaa7b881/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Ftk.ismcdn.jp%2Fmwimgs%2F8%2F9%2F1200w%2Fimg_89a48afd987c92564f35120469054733159379.jpg)