ライトノベルに限らないが、構造的に「馬鹿にされる」場合がある。 定義が曖昧で、玉石混交で、定性的に評価されるもの全般のことね。 すると、自分の感性で都合良く石だけピックアップして馬鹿にできる。 定量的に計測できたって、好きに時系列を切り出して、定義付けを恣意的にすればなんとでもなる。 そして、「なんとなくこういう批判がある・こういう擁護がある」と藁人形を用意すれば、 その架空の人形をサンドバックにするのは、とても簡単だ。 そこで、馬鹿にするのはどういう人か、何が批判足りえるのか、振り返ってみよう。 まず、ライトノベルの批判を否定形から追い込んでいく「無い」事の証明は難しい。 だから「有る」もので「ライトノベルで無い」モノを追いだしていこう。 表紙がアニメ絵である。太宰治はライトノベルか? 表紙がいわゆるアニメ絵柄かどうかは、絶対的な要因ではない。 だから、「絵が恥ずかしい」というのは、表紙