1995年1月17日、大地震が神戸を襲った。電気は停止、交通網は寸断された。さまざまなライフラインやインフラが機能不全に陥る中で、「お金」というライフラインも危機にひんした。お金が滞れば略奪さえ起きかねない。日銀神戸支店は大震災に臨んで、3つの異例の措置を迷うことなく断行することで「お金」を守った。当時の支店長、遠藤勝裕氏に話を聞いた。(聞き手:森 永輔) 1995年1月17日、大地震が神戸を襲いました。朝5時46分。神戸の日の出は7時すぎですから、街はまだ暗闇の中にありました。震源は淡路島の北部、その規模はマグニチュード7.3。神戸の一部では最大で震度7を記録しました。 死者は6434人、負傷者4万3792人。人的被害はこの時点で戦後最多に上りました。 遠藤さんのこの日はどのように始まったのですか。 遠藤:単身赴任の社宅で寝ていたところを、激しい揺れにたたき起こされました。最初にドーンと