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2006年10月23日のブックマーク (2件)

  • 「死ぬ死ぬ詐欺」とか「2ちゃんねらー」とかアレコレ - 黒く濁った泥水を啜る蜥蜴

    最近id:mushimoriさんのエントリー「「2ちゃんねらー=ネット右翼」に関する覚え書き――「死ぬ死ぬ詐欺」言説に寄せて」 にあれこれコメントしていたのですが(自分のブログを更新せずに何やってるのかと(特に白い人に)怒られそう)、議論に関わった手前、この問題(「死ね死ね詐欺」)について自分のところで改めて考えながらまとめてみようかと思います。 あいかわらず話題についていくのが遅い。 募金に対する私の考え まず私は、募金というものに対してあまり意味を見いだしていません。募金はそれによってわずかな人数の命が一時的に救われるというだけで(それ自体はとても大切なことだけど)、募金を必要とする人間を生み出す構造そのものを変えることには至りません。 たった百円ほど募金するだけで自分の持つ社会に対しての問題意識などを満足させてしまうことや、根的な問題から目をそらし対症療法ばかりに目を向けさせる可能

    「死ぬ死ぬ詐欺」とか「2ちゃんねらー」とかアレコレ - 黒く濁った泥水を啜る蜥蜴
    polymoog
    polymoog 2006/10/23
    >批判がルサンチマンから出るものであっても、必ずしも問題だとは思いません。しかしそれは誰の得にもならない個人へのバッシングへではなく、社会体制そのものへ向くべきではないでしょうか。
  • ことばの構造:「2ちゃんねらー=ネット右翼」に関する覚え書き――「死ぬ死ぬ詐欺」言説に寄せて

    最近「死ぬ死ぬ詐欺」*1という言説がはやったみたいだ。率直に言えば「死ぬ死ぬ詐欺」の言説はおかしいと思う。 ちらちらと見ていると、どうやら「2ちゃんねらー=ネット右翼」の特徴を表していた出来事だったようだ。彼らは基的にこういう騒動に参加することで一種の自己実現をしている。彼らは自分たちの立場を正当化するためになんらかの「社会正義」を偽装することが常であるが、その実具体的な社会構想はまったくない。それもそのはずで、彼らはイベントに参加する一瞬一瞬に立ち現れる自己像、「私が私であることの感覚(または社会的承認)を与える(ように見える)物語」に酔っているに過ぎないからだ。そのため彼らの議論はきわめて狭い範囲の立証によって正当性を獲得しようとするものに終始し、問題を歴史性や全体の文脈から総合的に捉えることができない。またそのことと表裏一体のものとして、「狭い範囲の論理によって全体を否定する」とい

    ことばの構造:「2ちゃんねらー=ネット右翼」に関する覚え書き――「死ぬ死ぬ詐欺」言説に寄せて
    polymoog
    polymoog 2006/10/23
    >その証拠に彼らの言説は常に世間的ゴシップ=陰謀論の様相を帯びる。