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2011年3月23日のブックマーク (5件)

  • 原発の対応について、僕が政府をそれほど疑っていない理由 - 宇宙線実験の覚え書き

    専門家じゃないですからね。政治としては主観の入った論、科学としては一般論です。 目に見えない放射性物質、聞いていても分からない保安院や東京電力の説明、そして物理の素養があっても全く状況の掴めない原子炉の現在の状況。そこで出てくるのが、「政府や東電はちゃんと状況を国民に説明しているのか」という疑いの目。これは当然だと思う。 ただし、多分、現場の人間だって原子炉の状況はちゃんと分かっていない。少ないデータなりに、今より悪化する状況もちゃんと想定しているのだろう。決して楽観視はしていないはずだ。そして、それを国民に知らせたって、誰に何の得があるというのだ。混乱か?絶望感か?それとも、楽観的な予想を伝えて国民を安心させるのか?何を伝えるべきかというのは難しい。 原発への対応は、この数週間での短期決戦と、今後数年間、はては数十年にわたる戦いが必要になるだろう。長期的な被害については、まだ政府は口を閉

    原発の対応について、僕が政府をそれほど疑っていない理由 - 宇宙線実験の覚え書き
  • Twitter / 東大病院放射線治療チーム: ヨウ素131は高揮発性のため、原発から離れたところま ...

    ヨウ素131は高揮発性のため、原発から離れたところまで到達します。高揮発性ということは、水に含まれたヨウ素131は煮沸させることで幾分取り除くことができます。気体となったヨウ素はすぐ拡散します。たとえ呼吸によって取り込んでも、経口摂取するよりは被ばく線量を低くすることができます。 約1時間前 Echofonから 100+人がリツイート

  • 東電が原子力発電所より太陽光発電所を作るべき理由 : 404 Blog Not Found

    2011年03月22日20:30 カテゴリ東日大震災SciTech 東電が原子力発電所より太陽光発電所を作るべき理由 諸君、私は原発が好きだ 諸君、私は原発が好きだ 諸君、私は原発が大好きだ この地上で行われるありとあらゆる原子力発電が大好きな私でも、以下を鵜呑みにするのは無理である。 原発の未来、国民的合意の期待 ― コストに注視を ‐ 石井孝明 : アゴラ - ライブドアブログ 経産省の試算では原発の発電コストは建設費と再処理費用を含めても電力のキロワットアワー(kWh)当たりで5.3円、日の発電コストの平均は6.7円になる。一方で自然エネルギーは太陽光で47円以上、風力9-12円、バイオマス発電12.5円、地熱22-20円と高い。東電「実際の原発はもっと高い」 5.3円/kWhというのはあくまでモデルケースであり、実際の数字ではない。すでに40年もやっているのだからモデルではなく

    東電が原子力発電所より太陽光発電所を作るべき理由 : 404 Blog Not Found
  • 原子力安全・保安院の会見動画、時系列まとめ【3/11〜3/17】 : 座間宮ガレイの世界

    ※このエントリーは更新の度ブログTOPに掲載する。 ※エントリー当時の衝動が反映された内容です。 すんごく楽しそうな満面の笑みだ。画面左上には「死者1000人超」のスーパー。はちきれんばかりの笑顔のせいで、逆にスーパーが不謹慎だと錯覚してしまうほどだ。 この根井寿規審議官の笑顔は、2011年3月13日、大地震2日後、東日大震災真っ只中で行われた原子力安全・保安院の会見の冒頭のもの(会見動画は文中に掲載)。氏は、この笑顔で以下のように切り出した。 嘘だと思うでしょう? しかし彼は、実際に、のらりくらりと、にこにこしながら、会見をする経緯の説明をした。幹部からの指示であることを説明し、自分には責任が生じないというエ クスキューズをおりまぜながら。その態度からは、原発事故の危機感が全く伝わってこない。危機感を伝えないことが目的なのだろうか。 ------(追記1)2011.3.23.17:4

    原子力安全・保安院の会見動画、時系列まとめ【3/11〜3/17】 : 座間宮ガレイの世界
  • 無言の箱 前川國男邸

    建築家が最も「好きなようにできる」仕事 それは、自分の家です。 請け負った仕事だったら施主の求めるものを建てなければいけませんが 自分の家なら何でもやりたい放題です。 建築家の家は一番その建築家らしさが表れる建物と言えるかもしれません。 小金井市の「江戸東京たてもの園」の中に 日建築史上名高い、ある建築家の家が移築されています。 前川國男邸 20世紀最大の建築家 ル・コルビュジエの「弟子」であり 日モダニズム建築の旗手と言われた 建築家 前川國男の自邸です。 新潟に生まれた前川國男(1905~1986)は 東京帝大(現東大)在学中に 当時新進気鋭の建築家だったル・コルビュジエを知り 卒業後、単身フランスに渡り、ル・コルビュジエの事務所で働きました。 「伝説」によれば、國男青年は卒業式の日 安田講堂で卒業証書をもらったその足で神戸港に向かい そのまま神戸港から船で中国へ渡って 対ソ干渉戦