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一神教と哲学に関するpolynityのブックマーク (2)

  • <私>の存在の比類なさと一神教

    永井均 @hitoshinagai1 中田考氏によれば、私は「一神教の真の意味を理解している数少ない日人」であるそうだ。そもそも一神教の信者でもないのに? 不思議な評価だが、ほかならぬ中田氏にこのように褒められると、なんだかちょっと嬉しい。『イスラームのロジック―アッラーフから原理主義まで』 (選書メチエ)も参照。 中田考 @HASSANKONAKATA @hitoshinagai1 」(永井均『<私>の存在の比類なさ』57頁) <私>とは唯一者であり、「最も重要な意味において隣人をもたない」もののこ とであった。「他の<私>とは、だから、矛盾表現であり、他の<私>の存在と は、一個のパラグックスでしかありえないはずなのである。

    <私>の存在の比類なさと一神教
  • Anti-Nietzsche Introduction - 金田一輝のWaby-Saby

    昔からニーチェが嫌いだった。厳密に言えば「ニーチェが好き」とか言ってるやつらが嫌いだった。(笑 それは冗談としても、ニーチェのキリスト教(西洋形而上学)批判、腑に落ちたためしがない。もちろんこれは、私がキリスト教(特にカトリック)シンパだったから、ということはあるにはある。しかし、ごく客観的に言っても、ニーチェの哲学史理解はあさっての方に行っているのではないかという疑惑がある(ニーチェ好きの永井均もどこかで、ニーチェのカント理解はデタラメと言っていた記憶がある)。メタフィジックに対する救いようのない鈍感さを感じる。 さて、ニーチェの根思想に「永劫回帰」というものがある。その内容は、私の理解するところではこんな感じだろう。キリスト教(プラトンにはじまる西洋形而上学)は、この世の外に生の価値基準を設ける。そのことで、生を貶め、究極的には否定している。生を肯定するためには、生の価値を、「永遠に

    Anti-Nietzsche Introduction - 金田一輝のWaby-Saby
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