今月24日に発足する「おおさか維新の会」。初代会長に就く橋下徹大阪市長が、学生団体「SEALDs(シールズ)」の動向に神経をとがらせているらしい。 8月30日に国会前で12万人デモが行われた際、橋下市長はツイッターで「こんな人数のデモで国家の意思が決定されるなら、サザン… この記事は有料会員限定です。 日刊ゲンダイDIGITALに有料会員登録すると続きをお読みいただけます。 (残り678文字/全文818文字) ログインして読む 初回登録は初月110円でお試し頂けます。
既に先行するまとめがありますが、一夜明けていろいろ反応が出てきたので、纏めてみました。 なお、本纏めでは主題の議会の進行状況に対する評価について、「可能な限り中立」に呟きを拾ってます。
上記のまとめhttp://togetter.com/li/711888 で纏め主がコメントブロックしてるので作りました。 自分は維新の会を「アホ」と思う者ですが、民主主義の否定を糾弾する纏め主が、言論の自由を否定して恥ずかしくないんですかね。 今回は纏め主のその対応の元になった経緯(他に接点はないので)も入れてます。
自分のことは自分で決めたい。この意志を「自分たち」に適用したとき、それは自分たちのことは自分たちで決めたいという、デモクラシーを求める心理の基盤となる。だが自分だけで決めることと、自分たちで決めることには、大きな違いがある。一と多の違いだ。 多数の異なる意見から、一つの決定を導かねばならない。満場一致は理想的だが、それを実現するのは容易でない。延々と話し合いをしても決着は付かない、全員が納得する結論にはなかなか至らない。ではどうするか。 だから多数決をするのだ、と簡単に話を切り上げてはいけない。多を一に結び付ける方式、集約ルールは、多数決だけではないからだ。むしろ多数決はさまざまな集約ルールのなかでは、かなり出来が悪い。 有名な例を挙げよう。2000年のアメリカ大統領選挙では、共和党のブッシュと民主党のゴアが、二大政党の擁立する主要候補だった。事前の世論調査ではゴアが有利だったが、途中で「
2015年5月17日、大阪「都」住民投票の開票結果を受けて行われた深夜の記者会見。 まず、現われた橋下市長の爽やかな笑顔が印象的でした。 午後11時10分からと設定された記者会見に松井大阪府知事・維新幹事長しか出てこないのではないかと疑い、どの面下げて出てくるのか見てみたいと 「橋下、出てこい!」 とテレビの前で叫んでいた私としては(笑)、ちゃんと記者会見に出てきて、鮮やかに笑って見せた橋下市長に対してあらためて 「役者やのう。。。。!」 と感じ入ることしきりでした。 7年半ものあいだハシズム批判をしてきた私でさえ、気を抜くといつの間にかあの突き抜けるような笑顔のマジックにかかって、潔いなあ、さすがやなあ、敵ながらあっぱれと思ってしまいそうです。 ああ、これでは相当意識して橋下政治を見てきた人たち以外、大方の人は「持っていかれる」なあ、特に判官びいきと言う美風のある我が国では大阪「都」構想
はじめに別に「独裁」を連呼はしてないけど、橋下も、その支持者も嫌いなので一言。前出の動画を見て簡単に要点をまとめるけど、 橋下「僕は民主主義のルールを守った上で、自分の意見を実現するための方法を行っている」 橋下「少数意見を尊重していたら、実行ができない。少数意見尊重は理想だが、今はそれをやっている場合ではない」 まあ、おおむねそういうことを言ってる。ここまではOK? でも、この上段と下段は矛盾してる。そこが理解できているのだろうか。これをなぜ矛盾というか、順に説明したい。(これが矛盾だと理解できる方は、一気に下の「矛盾について」までジャンプしていただいて構わない。) 民主主義とは何か多数決は糞だまず、橋下や多くの橋下支持者の言う「民主主義」とは何か。本当に理解しているのか? たとえばそういう人に、民主主義って何?って聞いてみると、それは多数決のことだとか言う。馬鹿!としかいいようがない。
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