タグ

2014年4月2日のブックマーク (2件)

  • 歌わない権利を守ること〜カナダ国歌についての思い出(長谷川澄)

    長谷川 澄(カナダ・モントリオール在住) *当時の写真 今年41歳になった息子が小学校を卒業した時のことだから今から殆ど30年も前のことですが、日の公立学校での国旗、国歌の強制の話を聞くたびに思い出し、日の人に話したいと思うことなので書いてみます。 息子はフランスで生まれ、3歳の時に私達といっしょにカナダのケベック州に移民し、幼稚園と小学校はモントリオール郊外の公立で学びました。今は公立学校は宗教と関係が無くなりましたが、当時は教育委員会がカトリックとプロテスタントに分かれていて、無宗教の私達は宗教教育の殆ど無かったプロテスタント教育委員会の方の仏語学校を選びました。ケベックの仏語系住民は殆どがカトリックだから、プロテスタント仏語という学校に通うのは親が移民の子か、プロテスタント英語系住民だが、子どもに仏語で教育を受けさせたいと考える家庭の子どもでした。 全校生徒数が200人と少しの小

    歌わない権利を守ること〜カナダ国歌についての思い出(長谷川澄)
  • 【QOL(生活の質)】見えない辛さを伝える「うさポンバッジ」 | 再発転移がん治療情報

    術後や治療中を伝える新たなマーク「うさポン」の考案 「手術後の数ヵ月くらい、すごく辛くて、電車で優先席に座っていたとき、『いい若い者が何座ってるんだ、譲りなさい』という視線を受けることが多々ありました。そこでマタニティマークのような、何か手術後の人向けの目印があったらいいなと、漠然と思ったのがきっかけです」 こう話すのは、うさポン製作委員会というプロジェクトの発案者であり、3年前に子宮体がんのため開腹手術を受けたというイラストレーターのusapon氏。術後10日で退院してからは、「電車通勤時や職場での仕事中、貧血でフラフラになったり、ときには倒れてしまったり。足の浮腫みも辛かったですね。それに開腹手術の傷は鞄の先がチョンと当たるだけでも激痛です。」と当時の厳しい状況を語ってくれました。 こうした状況の中、以前一緒に闘病した女性や、がん患者のブログで知り合った人たちと接するうち、だんだん体も

    【QOL(生活の質)】見えない辛さを伝える「うさポンバッジ」 | 再発転移がん治療情報
    pon-zoo
    pon-zoo 2014/04/02
    これはいいわ。外から見えない病気や怪我で電車に乗るのは本当に大変だもの。