千葉県船橋市丸山の町会事務所。関東大震災時、この場所にあった地蔵堂を借りて住んでいた朝鮮人労働者たちを外部の自警団が殺そうとしたが、集落の人々は彼らを体を張って守りきった。(2017年12月撮影・加藤直樹) ◆「朝鮮人暴動」を伝える流言記事が「証拠」 前回の記事(1月19日「日本版『否定と肯定』裁判で問われた南京事件」)で、歴史学者がホロコースト(ナチスドイツのユダヤ人虐殺)否定論者に訴えられたという実話に基づく法廷劇を描いたイギリス映画『否定と肯定』を紹介し、それを地で行くような裁判が、日本でも南京事件の生存者の証言をめぐって起きていたという話を書いた。 まともな歴史学の見地からは否定しようがない史実を史料の歪曲や曲解、果ては捏造によって否定しようとする試みを「歴史修正主義」と呼ぶ。歴史修正主義の内実がいかにデタラメでなものであるかを、私が身にしみて痛感したのは、自分の関心領域である関東
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