連理木 @renribokushu ウチの会社なんかでもそうですけど、よく「今は若い技術者が育たない」なんて言いますよね。でも、技術は往々にして仕事の中で身につけるものだし、技術を身につけるための仕事そのものが減ってきてるのに「技術者が育たない」もへったくれもあるかと思いません? 2016-03-18 22:18:32
振り返れば5年前まで僕は他人が汚した便器の始末をするような人生を送っていた。たとえば友人の家に集って酒を飲んでいるとき、尿意を催してトイレに駆け込むときまって便器には誰かのウンコがこびりついていて、トイレの神様なんて信じちゃいないけれど僕はいつもそれをキレイキレイしてきた。僕の前にはいつも汚れた便器があり、死ぬまで僕の未来には汚れた便器が待ち構えている。人生とはそういう業の深いものなのだと半ば諦めていた。他人のウンコをこすり落とし続ける人生が終わったのは5年前、結婚をしたとき。信じがたいことだが妻はウンコをしない。2度ほど残り香めいたスメルを嗅いだことがあるが、本人が「私はしない」と頑として認めないので、公式にはウンコをしたことがないことになっている。つまり僕の住むマンションのトイレを汚すのは僕のブツしかありえず、それは僕以外のブツが存在しないことを意味している。しかしその状況が一変した。
かねてより自分を評価することがマジ大事クソ大事だと考えていたけど、その考えはますます強くなるばかりである。評価するだけではなく、評価しきることが大事で、必要なのだ。仕事ならば、どんな職業であれ自分のやった仕事をリリースする前に徹底的に評価分析することが大事。人間とは勝手なもので、評価というとプラス評価に目が行きがちだけれども、徹底的に評価するというのは自分の仕事に対する反応をプラスマイナス構わず予想し尽くすことだと僕は考えている。逆説的にいえばそうでない仕事はプロの仕事ではない。己の仕事に対する評価を予想するというのは、自分の仕事をあらゆる点から見つめなおすことなので、その結果修正することも可能であるし、諸事情により修正できない種類のものであっても(たとえば僕の場合、商品価格とか)マイナスの評価を予想してあればこそ、今後の仕事に即座に反映できるのだ。 なぜ評価しつくすことが大事なのかといえ
あかん、Miitomo楽しいなぁ。— りょう (@ogataryo) 2016年3月18日 ↑ブログもおざなりに? こんばんは、りょうです。 Miitomo、やってますか? 昨日から、ツイッターのタイムラインでめっちゃ話題になってまして、ついついダウンロードしてしまいました。 そして、まんまとハマってしまっているという。 これ、ツイッターのフォロワーさんで、Miitomoやってる人とフレンドになれるのですが(もちろん承認制)、フレンドになるとお部屋に遊びに来たり行ったりできるんです。 Miitomo立ち上げるたびに、仲良しのフォロワーさんと談笑してて、なんだか羨ましいぞ。 チャットのような直接の会話はできないのですが、Miiにされた質問に答えていくことで、その答えにコメントをもらって、コメントを返したり、逆にフレンドの回答にコメントしたりでやり取りができます。 チャットみたいにリアルタイム
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