カメキチの目 ②〈弱さ〉に従う自由、「弱い者」に従う自由ということ。 「弱い者」とはここでは老人ですが、それ以外の「社会的弱者」と呼ばれる人たちも含みます。 なんで社会全体が「弱い者」、そういう立ち場の人々をまもらなければならないのか? それは自分がいつなんどき、そういう立場になるかもしれないということもあるけれど、そもそも「強い」とか「弱い」とかいうけれどそれはどういうことなのか? 「強さ」「弱さ」という相対的なものを超えたところから人間が生きる、いのちというものをとらえてみなければならないと、著者は言っているようです。 【引用】 「〈弱さ〉に従う自由 他なるものの受容 ひとは自然環境に、他者たちに、依存しないでは生きてゆけない。そして、まるで自立が依存を含まないかのように考えたところに、自然を加工と支配の対象とみるテクノクラシー(技術支配)や、他者たちを管理の対象とみるビューロクラシー