三顧の礼の記述 三顧の礼は、正史三国志諸葛亮伝に書かれています。こんな記述です。 先主(劉備)は新野に駐屯していた。徐庶が先主に会うと、先主は徐庶を逸材であると 思った。徐庶は先主に言った。 「諸葛孔明は臥(ねむ)れる龍です。お会いになりたくありませんか?」 先主「君が連れてきてくれ」 徐庶「この人に会いに行くことはできても呼びつけることはできません。 ご自身で訪問なさるのがよろしいでしょう」 そこで先主は諸葛亮を訪問し、およそ三度の訪問で会うことができた。 このあと、劉備が憂国の志を述べ、諸葛亮が天下三分の計を献策する文言が続けて書かれています。「およそ三度の訪問で」とあるから、実際三回ぐらいは足を運んだっぽいですよね。 諸葛亮伝に「およそ三度の訪問」とあるのになぜ疑う? 正史三国志にバッチリ書かれているのに、なぜ「三顧の礼はなかった」という説があるのでしょうか。それは、正史の諸葛亮伝の