さしなみのとなり さしなみのとなりにかよふ道ならむ 籬の竹のひまのみゆるは (明治三九年) 隣組の運営マニュアルの巻頭に掲げられた明治天皇「御製」の歌である。「さしなみ」は隣の枕詞、「籬」まがきは竹や柴を荒く組んだ垣、「ひま」は隙間をいい、「隣同志互ひに垣根を通つて往来し親しむ姿を御歌ひ遊ばされたもの」と解説されている(鈴木嘉一『隣組と常会--常会運営の基礎知識』誠文堂新光社、1940年)。 古典落語の世界にも登場する日本独特の隣近所システムの分析は、その方面の専門研究に譲り(鰺坂学他編『町内会の研究』御茶の水書房、1989年ほか参照)、ここでは、太平洋戦争を目前にした時期に、なにゆえに国家が隣近所の問題に上から介入し、その体系的組織化・管理化に乗り出してきたのかについて少しこだわりたいと思う。この問題は、防空法体制のもとで、隣組がどのような位置を占め、またどのような役割・機能を果たしたの
1942(昭和一七)年4月18日12時30分、アメリカのドゥーリトル爆撃隊(B25爆撃機一六機よりなる)が日本本土に第一弾を投下した。この日、伊藤整は、日記にこう記した。「初めての本当の空襲であるが、晴れて明るい日のこととて、のん気である。あの飛行機が敵機というのだそうだが、ふだんの日本の飛行機を見るのと変らない気持。今まで受け身でばかりいたアメリカ人も初めて少しは仕事らしいことをしたと、ほめてやりたい位の気持ちである。昼間の東京に入って来るなど、なかなかやるわい、といかにも冒険好きなアメリカ青年の顔が目に浮かぶやうだ」(伊藤整『太平洋戦争日記』新潮社、1983年105頁)。 この直後にやってくる日本の運命を考えると、そこからは、庶民が、のんびりしたムードで初空襲を迎えたことが読みとれる。伊藤の筆致には余裕すら感じられる。この「余裕」は、いったいどこから生まれたものなのだろうか。 この連載
UPDATE 23/FEBRUARY/2014 UPDATE 17/FEBRUARY/2014 UPDATE 15/JUNE/1997 February, 2014 『検証 防空法――空襲下で禁じられた避難』 本書の参考として: 本書の解説Q&A NHK朝ドラ「ごちそうさん」と防空法 禁じられた地下鉄駅への避難 直言「『検証 防空法―空襲下で禁じられた避難』のこと」 直言「NHK連続テレビ小説『ごちそうさん』と防空法」 直言「NHK連ドラ『花子とアン』と防空法――大阪空襲訴訟最高裁決定にも触れて」 直言「向田邦子と防空法――火叩きによる消火」 本書の書評等: 「「人貴キカ、物貴キカ」——防空法制から診る戦前の国家と社会」『立命館平和研究』第16号(2015年3月)1-11頁(pdfファイル) 牛田守彦「書評」『歴史地理教育』2014年10月号92-93頁(書評PDFファイル) 山内敏弘「書
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