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防空法制下の庶民生活1
1942(昭和一七)年4月18日12時30分、アメリカのドゥーリトル爆撃隊(B25爆撃機一六機よりなる)が日本... 1942(昭和一七)年4月18日12時30分、アメリカのドゥーリトル爆撃隊(B25爆撃機一六機よりなる)が日本本土に第一弾を投下した。この日、伊藤整は、日記にこう記した。「初めての本当の空襲であるが、晴れて明るい日のこととて、のん気である。あの飛行機が敵機というのだそうだが、ふだんの日本の飛行機を見るのと変らない気持。今まで受け身でばかりいたアメリカ人も初めて少しは仕事らしいことをしたと、ほめてやりたい位の気持ちである。昼間の東京に入って来るなど、なかなかやるわい、といかにも冒険好きなアメリカ青年の顔が目に浮かぶやうだ」(伊藤整『太平洋戦争日記』新潮社、1983年105頁)。 この直後にやってくる日本の運命を考えると、そこからは、庶民が、のんびりしたムードで初空襲を迎えたことが読みとれる。伊藤の筆致には余裕すら感じられる。この「余裕」は、いったいどこから生まれたものなのだろうか。 この連載
2014/03/01 リンク