アメリカを代表する社会派映画監督のオリバー・ストーン氏がこの夏、はじめて被爆地の広島・長崎を訪問した。かつて「原爆投下が戦争を終わらせ、日米両国の多数の人命を救った」と信じていたストーン監督だが、いまでは「『原爆投下は正しかった』というのはアメリカが創作した神話であり、トルーマンという凡人によって引き起こされた悲劇」だと断言する...
突然だが、この間「プロ市民」とかいう言葉に出会ったので、突然思い立って「口だけ左翼」的な意味で使われる英単語を自分用に整理しようと思う。 Parlor pinks (「客間左翼」) …たぶん「口だけ左翼」あるいは「論壇左翼」?議論だけで実際に行動しない左翼の蔑称らしい。pinkは赤っぽい=共産主義的、という意味で使われるらしい。Pinkoだとたぶん日本でいう「アカ」か。アメリカの表現かな? →方向性は逆だが、Chickenhawkと発想は同じだと思う。チキンホーク(タカ派チキン)は実際に戦争に行ったりしないのに好戦的な政策をとりたがる人のことを指す単語でたぶんアメリカ英語。 Champagne socialist(「シャンパン社会主義者」)…イギリスでよく使われる単語だと思うのだが、シャンパン=アッパーミドルクラスの飲む酒を飲んでいる社会主義者、ということで、ブルジョワ的に暮らしているが社
「レッテル貼りはやめて」。集団的自衛権の行使容認や安全保障関連法案の議論で、安倍晋三首相は繰り返し言う。政治とは言葉の応酬であり、絶妙な言い回しが政権をゆさぶった例も少なくない。「レッテル貼り」について考えた。 昨年7月14日、集団的自衛権をテーマに開かれた衆院予算委員会の集中審議。民主党の海江田万里氏が「抑止力を高めると軍拡競争が始まるのでは」と指摘すると、首相は「私を抑止力万能主義と決めつけるが、抑止力をほとんど認めていないような、さすが民主党だ」。さらに「レッテルを、私がレッテルを貼ったなら謝るが、海江田さんもレッテルを貼ったなら取り消していただきたい。お互いにレッテルを貼りあうという不毛な。海江田さんがまずレッテルを貼ったから、私もレッテルを貼った。レッテル貼りの議論ではなくて、レッテル貼りではなく中身の議論をすべきだと思う」。 1回の答弁で8回も「レッテル」という単語を使い、「レ
『日之丸街宣女子(ひのまるがいせんおとめ) vol.1』 岡田壱花[作]/富田安紀子[画]/青林堂[出版]を批判するにあたり、多数のヘイトスピーチ(差別扇動表現)を記述していますので、読まれる際は充分ご注意ください。 『日之丸街宣女子』は、事実に基づかないフィクションであり、都合の悪いこと(数多くのヘイトスピーチ)は描かずに主人公側を美化し、差別扇動である嫌韓デマが含まれた非常に問題のあるプロパガンダマンガです。 Amazonや楽天、セブンネットや読書メーターなどでの感想やレビューも、この点に触れているものはほとんどありません。 そして2009年に京都朝鮮学校襲撃事件を起こし、刑事裁判で有罪、民事裁判では大阪高裁による控訴棄却で「人種差別に該当する」として約1200万円の賠償を命じられた「在特会」などを賛美しています。 あらすじは、中学2年の女子中学生が、幼なじみの男子がきっかけでヘイトス
自民党の村上誠一郎衆院議員が6月10日、日弁連が主催した安保法制に反対する集会に出席し、自民党の執行部を「あまりに傲慢」と批判した。会場には弁護士や野党議員ら190人が参加し、それぞれ安保法制に批判的な意見を述べていたが、集会の途中で、与党・自民党に所属する村上議員が姿を見せ、マイクを握ると大きなどよめきが起きた。 村上議員は9日の自民党総務会で、安保法制について「党議拘束を外すべきだ」と発言したところ、執行部の一人から「最高裁判決(砂川判決)を読んだことがあるのか」と問われたという。そこで村上議員が「あなただけですよ、砂川判決が(集団的自衛権の)根拠だと言っているのは」と反論すると、「学者は、最高裁判決までおかしいというヤカラだから、話を聞く必要がない」と言われてしまったのだという。 村上議員はこうしたやり取りに激怒したとして、「学者がそろって違憲だと言っているのに、自民党がそれを無視す
よく見かけるレトリックに,「肉屋を支持する豚」というものがあるけれど,これって揶揄表現としては問題大ありだと思うんだよなあ。 たとえばそれは「福祉切り捨ての新自由主義を支持するワープア層」とか「表現規制の自民党を支持するオタク」とかに向けられている言葉なわけだけれど,自分の私的利害と「あるべき社会像」が衝突したときに後者を優先させるのは,その「あるべき社会像」の内実を問わずに外形的基準のみで評価するならば,民主政国家における模範的市民と言い得るんじゃないのかと。 もちろん,全員が公共の福祉のために滅私奉公するのだ,といえばそれはファシズムになってしまうのだが,しかし公正な社会像をめぐる議論ではなるべく自分の私的利害は反映させない方がいいんじゃないのっていう点はたとえば無知のヴェール論とかでも論じられてきてるわけで,自分の私的利益度外視して各人の考えるあるべき社会像の実現にコミットする行為そ
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