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ブックマーク / www.1101.com (9)

  • いつ世界が終わっても。 | 羽生結弦 | ほぼ日刊イトイ新聞

    きっかけは、あるテレビ番組のなかで、 羽生結弦さんが『MOTHER2』のファンだと おっしゃっていたこと。 そこからこの夢のような対談が実現しました。 「夢のような」というのは、 ありふれた決まり文句じゃなくて、 思い返してみるとほんとにそう感じるんです。 仙台にあるスタジオで、昨年の12月、 ふたりは約2時間、たっぷり話しました。 それをこうしてお届けできることを、 とてもうれしく思います。 >羽生結弦さん プロフィール 1994年生まれ。宮城県出身。 4歳からスケートをはじめ、 14歳で世界ジュニア選手権チャンピオンに。 その後、グランプリファイナル4連覇、 全日選手権4連覇を達成。 そしてソチオリンピック、平昌オリンピックにおいて 2大会連続で金メダルを獲得。 2022年7月にプロのフィギュアスケーターに転向。 現在は自身が主演するアイスショーの プロデュースに専念している。

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    post-horn 2024/03/14
  • ウクライナの、うまいパン。 | 古川英治 | ほぼ日刊イトイ新聞

    ウクライナ戦争のことは胸の痛む話が多いですが、 きちんと知っておきたい気持ちがあります。 『ウクライナ・ダイアリー』の著者で、 キーウに暮らすジャーナリストの古川英治さんが、 日に一時帰国されているときに、 「ほぼ日の學校」で現地の話をしてくださいました。 「戦時下でも、ウクライナの人々は 前を向いていて明るい」と古川さんは語ります。 また、昔からべられてきたパンの存在が、 人々の生活を支えているのだとも言います (しかもそのパンは、すごくおいしいんだとも)。 ニュースだけではなかなか知るのが難しい そこに暮らす普通の人たちの話をきっかけに、 気持ちをすこし、ウクライナに向けておきませんか。 ※この対談は、2023年10月におこなわれたものです。 >古川英治さんプロフィール 1967年、茨城県生まれ。 早稲田大学卒業、ボストン大学大学院修了。 93年、日経済新聞社入社。 モスクワ特派

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  • ひと粒の麦 - ほぼ日刊イトイ新聞

    皆川 日のトークイベントには 糸井重里さんをお呼びしました。 会場 (拍手) 糸井 よろしくお願いします。 皆川 糸井さんとは、年に1回ぐらいですかね、 お事をさせていただく機会があって。 その時に話してることは、 あとから何度も反芻するような 僕にとって大事なことが多いので、 それを、こういう場でいろんな人が聞けたら おもしろそうだなと思って。 あと、僕が個人的に 質問してみたいこともありますので。 糸井 はい。 皆川 毎年、糸井さんやほぼ日のスタッフのかたと ほぼ日手帳を一緒にやらせて いただいているんですが、 ほぼ日手帳は、2002年にはじめて発売してから もう15年目だそうですね。 糸井 そうですね。 皆川 で、このあいだ、 ほぼ日手帳にかかわる人が集まって 「今年の手帳はどうだった」って振り返る ミーティングに呼んでいただいたんですよね。 そこに集まったのが 作る人と、デザイ

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    post-horn 2023/08/10
    よい対談
  • シリコンの谷は、いま。2023 | ほぼ日刊イトイ新聞

    2003年頃、コンピュータといえば、 アメリカのシリコンバレーが中心でした。 ざっくりいうと、いま「ほぼ日」があるのも、 シリコンバレーのおかげです。 その頃、日からエンジニアとしてアメリカへ渡り、 シリコンバレーの会社で働いていた上田ガクさんに、 現地のことや働き方などについて レポートしてもらいました。 あれから20年。 コンピュータやインターネットは スマートフォンやさまざまなAI技術として 人々の日常に欠かせないものとなり、 デジタル産業は世界の経済に影響を与えるように。 さていま、シリコンバレーと呼ばれた場所は どうなっているのでしょう? 現在は彼の地で起業している上田ガクさんに、 久しぶりにレポートをお願いしました。 >上田ガクさん プロフィール 大学の頃からコンピューターとインターネットが好きで、 2001年にシリコンバレーに渡り、 以来22年間シリコンバレーで生活している

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    post-horn 2023/05/18
  • 岩波ホールの人びと。 | ほぼ日刊イトイ新聞

    50年以上に渡り、日のミニシアターの 代表的な存在だった神保町の岩波ホールが、 2022年7月29日をもって、 惜しまれながらその歴史に幕を下ろします。 そこで今、岩波ホールではたらく人たちに、 忘れられない作品や出来事、 ホールでの思い出、その魅力などについて 自由に語っていただきました。 神保町では新参者の「ほぼ日」ですが、 長年この場所に集い、愛し、 お客さまを迎えてきた人たちの「声」で、 地元の誇る老舗映画館の姿を 残すことができたらと思いました。 担当は「ほぼ日」奥野です。 写真提供:岩波ホール >座談会に参加してくださったみなさん 総支配人・髙野悦子さんの肖像画を囲んで、 後列左より時計まわりに。 岩波茂旦さん(ビル管理・岩波ホール経理) 村上啓太さん(10階お客さま対応・経理) 田澤真理子さん(映画宣伝・岩波ホール広報) 島津啓さん(映写技師) 石川亮さん(映写技師) 矢

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    post-horn 2022/07/20
  • ほぼ日の學校長だより | 河野通和 | ほぼ日刊イトイ新聞

    2018年1月に「ほぼ日の学校」は誕生しました。 そして、2021年の春に 「ほぼ日の學校」と改称し、 アプリになって生まれ変わります。 學校長の河野通和が、 日々の出来事や、 さまざまな人やとの出会いなど、 過ぎゆくいまを綴っていきます。 ほぼ毎週木曜日の午前8時に メールマガジンでもお届けします。 ↑登録受付は終了しました↑ 2021年2月11日にこのページはリニューアルされました。 今までの「學校長だより」は以下のボタンからどうぞ。 >河野通和のプロフィール 1953年、岡山市生まれ。編集者。 東京大学文学部ロシアロシア文学科卒業。 1978年〜2008年、中央公論社および中央公論新社にて 雑誌『婦人公論』『中央公論』編集長など歴任。 2009年、日ビジネスプレス特別編集顧問に就任。 2010年〜2017年、 新潮社にて『考える人』編集長を務める。 2017年4月に株式会社ほぼ

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    post-horn 2021/07/02
  • うじうじするくらいなら、 今できることをやる。 鴻上尚史 | 鴻上 尚史 | ほぼ日刊イトイ新聞

    さまざまなことが 「これまで通り」ではいかなくなったこの1年。 演劇界でもさまざまな試行錯誤があり、 それはいまもなお続いています。 お芝居の現場にいる人たちは この1年、どんなことを考えてきたのか、 そして、これからどうしていくのか。 まだまだなにかを言い切ることは難しい状況ですが、 「がんばれ、演劇」の思いを込めて、 素直にお話をうかがっていきます。 第3シリーズにご登場いただくのは、 作家・演出家の鴻上尚史さんです。 ほぼ日には以前、 「世界をつくってくれたもの。」にも出てくださいました。 今回は、芝居をつくる中で感じたことや、 SNSを通して感じたことなどをうかがいました。 演劇を主に取材するライター中川實穗が 聞き手を務めます。 >鴻上尚史さんのプロフィール 1958年、愛媛県生まれ。 演出家、作家。 早稲田大学在学中に劇団「第三舞台」を旗揚げ。 1987年「朝日のような夕日をつ

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    post-horn 2021/06/16
  • 平野レミさんと、和田誠さんのことを話そう。

    イラストレーター、映画監督、 グラフィックデザイナー、そしてエッセイストとして、 さまざまな活躍をした和田誠さんが 2019年10月に逝去されました。 糸井重里もほぼ日も、 和田さんにはとてもお世話になりましたが、 思い出を大きく語ることをしませんでした。 ご家族をはじめまわりのみなさんもほとんど、 そうしていたのではないかと思います。 あんなに偉大な仕事を数多くのこし、 憧れている人も感謝している人も山ほどいるのに、 みんなを大袈裟にさせない「和田さん」って いったいどんな人だったの? いま、たっぷり話したいと思います。 平野レミさんといっしょに、和田誠さんのことを。

    平野レミさんと、和田誠さんのことを話そう。
  • ほぼ日刊イトイ新聞 - カレー部 例会@電力館 - タモリカレーの作り方(4名分)[PDF]

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