potironfilmのブックマーク (144)

  • 昼はサラリーマン、夜はクラブ歌手のアルバイト。私はそこで社会を知った。

    昼間は普通のサラリーマン、夜はクラブ歌手。その頃の私は、夕方になると違う人間になる二重生活を送っていた。私は、総務企画に携わるバリバリのキャリアウーマンでありながら、同時に歌手でもあった。 歌手と聞くと、テレビの画面でライトを全身に浴びながら歌うような、ヒットチャートに入る人たちを想像するかもしれない。私はそういった歌手ではなく、シャンソンというジャンルを歌うクラブ歌手だった。歌う場所は夜の酒場だ。 当時、歌手としての出演料は1回5,000円~8,000円だった。週に二回出演したとしても、それだけでべていけるものではない。私のような下っば歌手はクラブの専属となり、出演が無い日はアルバイトとして給仕や店の切り盛りの手伝いをする。専属歌手は、足りない給料を補填するために、他の日にお店のアルバイトに入るのが普通だった。 私はサラリーマンとしてそれなりの給料をもらっていたので、アルバイトは来は

    昼はサラリーマン、夜はクラブ歌手のアルバイト。私はそこで社会を知った。
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    potironfilm 2020/09/24
    “私は「こうあるべき」という自分の勝手な思い込みに縛られていた。”
  • 老舗パン屋のアルバイトをしていたら、いつのまにか結婚することになっていた話

    「おじいちゃん、今日は俺の嫁がお客さんから笑顔がいいって褒められたんだよ」 「おじいちゃん、俺の嫁にも醤油を渡してやってくれよ」 吐き気がした。なぜ好きでもない人の嫁を演じなければならないのか。 当時大学生だった私は学校の近くのアパートで一人暮らしをしていた。実家からの仕送りはあったけれど、家賃や費などを支払ってしまうと、お金はほとんど手元に残らなかった。 でも華の大学生、おしゃれもしたいしメイクも楽しみたい。友達と外だってしたい。そう思った私はアルバイトを探すことにした。 できればバイト先は徒歩か自転車で行けるところがいい。駅が近くにあることはあるが、アルバイトのためだけにわざわざ電車に乗ってどこかへ行くというのは時間がもったいない気がした。 近所を歩いて募集の張り紙を探そうと思って、まずは家と大学の間にある店を片っ端から覗いていった。 パチンコ屋、居酒屋、ちょっと高いお酒を出す店。

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    potironfilm 2020/09/17
    俺の嫁という悪夢
  • どうしようもなければ逃げ出せばいい。昭和の親方の下で電気工事のバイトをした話

    私は電気系の仕事に憧れていた。 小さい頃から、ラジコンカーの組み立てに夢中になったり、高校の先輩を通して知ったアマチュア無線、パソコンなど、電気・電子系のものが好きだった。 工業高校を出てからファストフードやガードマンなどのアルバイトを転々とした後、そろそろ技術系の仕事に就きたいと考えていた。 そんなある日、知り合いの電気工事業を営む親方から、「ウチに来ないか? 見学、体験バイト、大歓迎だよ!」と誘われた。そのときの親方はとても優しかったことを覚えている。 前々から憧れていた電気関係の世界で働けると思った私は、もちろん二つ返事で飛びついた。 電気工事というと、どんな作業を思い浮かべるだろう? 電話や集合インターホンの何十もある細い線を、テスターを使って確認しながら、一配線・接続していくような作業。会社のオフィスでパソコンを並べてLAN配線しセットアップしていく作業。そういったものを

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    potironfilm 2020/09/10
    糧にして生きていく
  • 台湾ワーホリで日本語教師のバイトをしていたら、生徒がいなくなってしまった話

    一人、また一人と生徒が減っていく。 1月の寒い季節だというのに、わたしの背中を冷や汗がだらだらと伝った。 震える手でホワイトボードマーカーを強く握り締めた。グラグラの膝を叱咤しつつ、私は彼らの前に立っていた。 「来月いっぱいで、仕事を辞めさせていただければと思います」 「え、なんで」 「台湾にワーキングホリデーに行こうと思いまして」 ワーキングホリデーとは、18歳から30歳までの人を対象とした、就労しながら休暇を楽しむことのできる制度である。この期限には、30歳の誕生日を迎えてから31歳になる前日までの1年間も含まれている。つまり満30歳の誕生日を迎えた後でも、ワーキングホリデービザの申請が間に合うということだ。 「え、でも、芦田さん、もう30歳でしょ。その歳で仕事辞めてワーホリなんて行くの?」 「はぁ、まぁ、そうなりますね……(ほっとけよ)」 「その、ワーキングホリデーが終わった後はどう

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    potironfilm 2020/09/03
    日本語は難しいなー
  • NHKのADバイトで「ひょっこりひょうたん島」のディレクターに怒鳴られた話

    「お前、いい加減なヤツだな」「馬鹿野郎!今何時だと思ってんだ!」ナベさんの怒声がまた飛んでくる。 ケアレスミス、ちょっとした遅刻。やる気とは裏腹に、仕事は失敗だらけだった。ストップウォッチ一つ満足に使えない。オープンリールのテープが上手くかけられない。台の校正も間違いだらけ。毎回、出勤するとお小言で、凹んでしまい、段々バイトがつらくなってきた。 「N先生がNHKでADのバイトできるヤツ探してるってよ」 語学の授業の後、友人に呼び止められた。当時、私は芸術学部放送学科の学生だった。NHKでバイトなんてこれ以上のチャンスがあるだろうか。渡りに船だ。行きますと迷わず答えた。 数日後、渋谷の放送センターの地下の堂で面接を受けた。 「日曜日が収録、朝8時から。夕方6時には終わるわ。水曜、金曜がリハーサルと準備。午後の来られる時間からでいい。日給は4000円ね」 女性のディレクターで、名前は長与さ

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    potironfilm 2020/08/27
    ルパーン
  • 「今日もタカシはやって来る」大学生だった私がコンビニバイトで学んだこと

    「は? 温めないでスパゲッティーったらガビガビだろ。何言ってんだよ!」 と彼は言い捨てた。私は一瞬フリーズしたが、すぐに我に返り「そうですよね、申し訳ございません」と引きつった笑顔で答えた。 私は昔から正義感のかたまりだとよく人に言われた。子供の頃は将来警察官になるんだなとおぼろげに考えていた。 しかし大学生になるとそんなことも忘れて青春時代を楽しむようになっていた。中でも大学生のうちにやっておきたいことの一つにアルバイトがあった。とりあえずバイト求人誌をめくり、コンビニで働いてみようと思った。 最初は覚えることが多くて大変かなと思ったが、3ヶ月ほどすると大体のことはできるようになった。10代から50代までと幅広い年代のバイト仲間は皆気の合うメンバーばかりで居心地がよかった。時々オーナーがおでんの残りをくれることもあった。私にとっては、天国のような職場だった。 コンビニには色んな人がやっ

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    potironfilm 2020/08/19
    強烈なタカシ
  • 今でもあの和歌を思い出す 〜巫女さんバイトの裏表〜

    『包めども包めども 隠れぬ人の魂は 身より余れる光なりけり』 几帳面に四角く整えられたきんつばは、薄く透けた衣の下にぎっしりとあんが詰まっているのがわかる。半分に割るとぷっくりとした艶々の粒が弾けんばかりだった。 『巫女のアルバイト3名募集。11月○日〜○日土日祝日、3日間限定。時給900円。当神社のお祭りに合わせ、主に御守りの授与を行っていただきます。』 「ねえ、巫女さんだって!こんな求人初めて見た!私巫女さんやってみたーい!一緒にやらない?」 隣で一緒に大学のアルバイト求人サイトを見ていた日語が堪能な留学生の友人が、目を輝かせて誘ってきた。 「いいね!これ来週末だって。応募間に合うかな?急いで応募しないと!」 ただ単に、巫女さんの格好をしたい。あの、白い衣に緋色の袴!しかもそんなに大変な仕事じゃなさそうなのに、当時の地方のアルバイトとしては時給がいい。最高じゃん!それだけの気持ちで私

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    potironfilm 2020/08/14
    きんつば食べたくなってきた。
  • 別府のゲストハウスバイトで風呂掃除をしていたら大変なことになった

    私はお風呂の床をブラシで念入りに掃除していた。 「Whoa!! Oh my gosh!」 源泉掛け流しの風呂に響き渡る甲高い声の衝撃を、私は生涯忘れることはないだろう。 神奈川県で生まれ育ち、神奈川県内の高等学校普通科に通って3年目。私はとうとう進路を決める時期に差し掛かっていた。 当時は勉強が好きではなかったが、唯一、苦ではなかった教科が英語だった。海外ドラマのセリフを書き下ろし、辞書で単語を調べ、フレーズごと覚えて使えるようにと一人で英語を学んでいた。なんとなくであったが、将来は英語を学んで、それを活かしていけたらいいなと思っていた。 しかし独学では限界があると感じていた。 そんな中、2つ歳上の兄の友人が別府のとある大学へ進学したことを聞いた。なぜ遠く離れた大分県別府市の大学へ進学したのだろうか。その大学が何か特殊なものなのか、それとも別府がいいところなのだろうか。話を聞いていると、何

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    potironfilm 2020/08/06
    “Whoa!! Oh my gosh!”
  • 日雇いアルバイトでイラクへ行った。そこで見た地獄

    私たちを乗せた飛行機はパキスタンのカラチ空港で給油し、二十時間ほどのフライトでバグダッド空港に着いた。 タラップを降りたとたん、私は激しい息苦しさを覚えた。 私がアルバイトでイラクの建設現場に行くことになったのは、1980年の七月半ばのことだった。サダム・フセインが大統領になった翌年である。当時、大学を中退した私は、金がなくなると高田馬場の職安前の公園内にできる寄せ場に行き、日雇い労働でいつなぐ生活をしていた。 そんなある時、顔馴染みの手配師が、「にいちゃん、外国の現場があるんだけど、行かねかぇかい?金はいいよ」と誘ってきた。聞くと、契約期間は七月末から三か月。旅費は勿論、衣住付きで三百万円を支払う。仕事は日の大手建設会社が建てているビルに資材を運び入れる外国人労働者の監督をするのが仕事だという。 「こんなにうまい話があるのかな……」と多少疑心暗鬼にはなったが、「前金として百万円払う

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    potironfilm 2020/07/31
    壮絶すぎる...
  • スーパーの惣菜バイトをしていたら友人が万引きで捕まった話

    バイトをしていたのはもう10年以上前のことだ。人生初のアルバイトは近所のスーパーだった。仕事の内容は、総菜部門での清掃や簡単な調理で、時給は850円。今思うとちょっと安い気もするが、当時の私の地元ではこれが普通の金額だった。今ではもう店名が変わっている。それでもちょっと買い物に立ち寄って見てみると、私が作業をしていた調理場は昔の面影を残したままだ。 私の地元、四街道市は首都圏のベッドタウンとして発展した閑静な街である。引っ越してきた当初は、空き地が目立ち、スーパーどころかコンビニもなかった。ようやくできたお店が、私のアルバイト先となるスーパーだった。料品から衣料品まで取り扱う巨大なスーパーだ。学生のとき、実家から近かったのでとりあえずそこへバイトの応募をした。 初めてのアルバイトということもあり私は緊張していた。とりあえず早めに行くのがいいと思って面接の20分前にはもう社用入口前に着いて

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    potironfilm 2020/07/22
    スズキ先輩......。
  • 居酒屋「あすなろ」とヤクザと私

    私の今も忘れられないアルバイトは、大学に入学したときのことだから、今から三十年以上も前のことになる。私は何か目的があったわけでも、何かを勉強したかったわけでもなく、ただ単純に東京に出てみたくて北海道から東京にある大学に進学した。 しかし、その大学は一年生のときだけ、埼玉県の大宮市にある校舎で学ばなければならなかった。私は仕送りをあまりしてもらえなかったので、その校舎の裏手にある部屋代が格安の学生寮に住むことにした。しかし、その校舎の周辺はほとんど家も店もなく、寮生たちのほとんどは自炊しなければならなかった。お金のない私は費を浮かすためにも事つきのアルバイト先を探したのだが、繁華街は大宮駅周辺しかなく、寮から大宮駅に行くにはバスで二十分ほどもかかる。当時は、まだコンビニがあること自体珍しく、ファミリーレストランも見かけることがほとんどない時代だった。だから、学生のアルバイトといえば、喫茶

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    potironfilm 2020/07/07
    痴人の愛か。
  • 郵便局の仕分けバイトの話 〜昭和の思い出〜

    ニワトリのような動きをする挙動不審な自称リーダーは、仕事が早く終了すると「今日の作業時間は〇時間〇分〇秒だから」と何かに憑依にされたように、誰彼構わずしゃべりかけていた。 当時の私は高校時代に覚えた麻雀趣味とする昭和の香りただよう大学生であった。近代麻雀を愛読書とし、学友と朝まで麻雀談議を繰り広げるなど、親のため息が聞こえてくるような生活を送っていた。 ある日そんな私にハプニングが訪れる。 それは、もうじき夏休みを迎えようかという平日の夜だった。その日は前期試験が午前中で終わったため、例のごとく大学の友人達と麻雀を打っていた。私は仲間内では一応勝ち組だったが、このところ調子を崩していた。元々、貧乏学生なうえに負けがこみ、オケラ街道をばく進する日々だった。 その日もマイナスにへこみ、さらなる節約を覚悟しながら帰路についた。しかし、家に着いて後ろポケットを探ったと同時にハッと青ざめた。財布が

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    potironfilm 2020/06/25
    昭和な雰囲気
  • 暗証番号を間違えすぎて大晦日に蕎麦を手売りしないといけなくなった話

    寒さがこれほど人を惨めな気分にさせるのだと、その日初めて知った。寒空のなか、かじかんだ指先はものに触れる感触もよくわからなくなっていた。 大晦日の夜、私は全財産たったの1000円で正月が明けるまで生き延びなければならなくなった。 当時、私は自動改札機も設置されていないような田舎から出てきたばかりの大学生だった。入学のために上京してきた私にとって、日常生活は知らないことだらけだった。はじめての大学生活。はじめての一人暮らし。そしてはじめての東京で迎える大晦日。毎日が楽しくて、楽しくて、地元に帰省する気なんてさらさら起きなかった。 目にうつる全てが新しいものだらけで、私は毎日浮かれていた。若さゆえの無敵感があった。とりあえずなんとかなると思っていたし、実際なんとかなっていた。その日、大晦日もそうだと思い続けていた。 だがその大晦日は違った。 当時の私は全くの無知だった。生きるために必要な最低限

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    potironfilm 2020/06/18
    工夫して売ることの楽しさってどこから来るんだろうなー。
  • 変人たちの集まる治験バイトでなぜかちょっとだけ人生を学んだ話

    子供のころから、要領が悪く不器用なせいで、よく大人に叱られた。特に思春期以降はそこに生意気さも加わって、バイト先ではあらゆる罵詈雑言を浴びせられた。とある接客バイトの飲み会で「お前みたいにモゴモゴ話してる奴、俺は大嫌いなんだよ!」と店長にビールをぶっかけられたこともある。 たしかに若かりし頃の自分はまったく使えず、気も利かず、愛想も悪く、時間も守れず、そのくせプライドだけは高く、雇用者側からすればイライラの元でしかなっただろう。そういう経験ばかりしたおかげで、「アルバイト=恐怖」でしかなくなり、面接申し込みの電話をしようとするだけで、ビールをかけてきた店長の鬼の形相が思い出され、携帯電話を持つ手が震えた。 「これはまずい」 大学3年生の僕は、大いに焦っていた。アルバイトさえ満足にできない人間がこの先、社会の荒波の中でうまくやっていけるはずがない。社会の入り口にさえ入っていない、こんなところ

    変人たちの集まる治験バイトでなぜかちょっとだけ人生を学んだ話
  • 「一度でいいから親父と一緒に酒が飲みたかった」 〜硫黄島での食堂バイト体験記〜

    圧倒的な睡眠不足だが、どうしても眠れない。 耳をつんざくような戦闘機のエンジン音は体の内側を揺らされているようで眠りにつくことを許してくれないのだ。 圧倒的な睡眠不足だが、どうしても眠れない。耳をつんざくような戦闘機のエンジン音は体の内側を揺らされているようで眠りにつくことを許してくれないのだ。 薄汚れたカーテンを開け海風に腐されて錆びついた窓を開けると、硫黄の香りを含んだ生暖かい風が頬を撫でた。満天の星空を見上げると手が届きそうなほどの低空を旋回していくF15戦闘機のライトが規則正しく点滅しているのがみえた。機体が遠ざかるにつれ音は次第に小さくなっていくが、すぐさま後続の戦闘機が爆音をあげて飛び立ち高度を上げていく。夜間の飛行訓練が始まると途切れることなく離発着を繰り返し、深夜までジェット音は途切れることがない。 「明日もはええんだから、はやく窓閉めて寝ろ」 2人部屋の相棒である松さん

    「一度でいいから親父と一緒に酒が飲みたかった」 〜硫黄島での食堂バイト体験記〜
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    potironfilm 2020/06/04
    硫黄島の映画はすごかった。
  • 「私がやるしかない!」 〜英語オンチだった私が一歩を踏み出せたリゾートバイト体験談〜

    「Thank you!」 「謝謝」 「ありがとう」 たった一言。 その、たった一言の感謝の言葉が心をポカポカと温めてくれる。 世界は、やさしい言葉で溢れている。 「行ってきます」 「気を付けてな」 私は玄関に置いてある鍵を手に取った。箱の上の棚に目をやるとユニークな顔をした人形がずらりと整列している。それを見て思わず口元が緩む。数ヶ月後に帰宅する頃には、また新しい人形が置いてあるんだろうなと思いながら、箱の中からお気に入りのコンバースを手に取る。 3年前の誕生日に自分の身長と同じくらい大きなバックパックを背負いアジアを旅する!と家を出たあの瞬間がフラッシュバックする。あの時の私は、初めての一人旅への恐怖と不安に襲われて号泣していた。 それ以来、同じコンバースを履くたびにあの時の光景を思い出す。ただあの頃と違うのは、コンバースを履いても泣かなくなったことだ。 車のエンジンをかけてお気に入

    「私がやるしかない!」 〜英語オンチだった私が一歩を踏み出せたリゾートバイト体験談〜
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    potironfilm 2020/04/02
    英語は学問じゃなくてコミュニケーション手段。一歩を踏み出す勇気。
  • 「これじゃあ、作文の延長線上だ」 〜出版系ベンチャー会社で小説家を目指した僕のバイト体験談〜

    会議室の扉が開いて、一人の老人が入ってきた。 膝下までのロングコートを着て、チャコールグレーのハットを被り、目元は薄い色のサングラスで覆われていた。 その人がFriday元編集長のマナベさんだった。 一年間の浪人生活が無事に終わり、入学式を前にした三月。十九歳の僕はアルバイト先を探していた。 小説家になるという固い意志があり、だからできれば文章を書くことに繋がるようなアルバイトがしたいと考えていた。出版社でアルバイト、屋でアルバイトという案がすぐにひらめいたが、その選択肢に進むのはなかなか気が進まなかった。小説家になりたいという考えから出版社、屋という発想に行き着くのはあまりにも安直すぎたからだ。文章を書くことに繋がり、かつ、いわゆる普通の道と違う要素もあるアルバイトという贅沢な条件を僕は求めていた。だから僕のアルバイト先探しは最初から難航していた。 そんなある日、入学祝と称して、近所

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    potironfilm 2020/03/26
    さすがFriday……。
  • ホストクラブに潜入するバイトをしたら、友達がドハマリして大変だった話

    「無料でホスト行ってみない?」 ぬめっとした黒髪のおっさんが言った。 何も知らない女子大生の私は答えた。 「えっ、行きたい!」 それがパンドラの箱だったとは知らずに。 女子大生だった私はその頃、とある学生街のバーでスタッフをしていた。そのバーはお酒を安くたくさん飲めるお店だったので、騒ぎたい学生はもちろん、飲んべえの社会人も来店するような店だった。いつも繁盛していた記憶がある。 常連はとにかく個性的だった。酒に酔うと必ず失禁して周辺では軒並み出入り禁止になっているオヤジや、とりわけ美人でもないような私をいつも「姫」と呼ぶ明らかにホステス上がりのオネエサマまでさまざまだ。 その中でとりわけ存在感があったのは、横にも縦にも体が大きく、ぬめっとした黒髪が特徴的な「あやしいおっさん」だった。 おっさんはいつも強めのスピリッツをストレートでぐいぐい吞み干すほどの酒飲みで、カウンターに立ってあくせく働

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    potironfilm 2020/03/19
    なぞのおっさん
  • 「一緒に絵本を選んで欲しい」 〜本屋さんでの私の初めてのアルバイトの話〜

    ロッカールームから出ると、狭い事務所には数人のスタッフがいた。おはようございます、と言った私の顔を見て、伊藤さん——私の教育係であるお姉さん、小柄で凛とした目つきが印象的だ——が眉をひそめた。 「あなた、どうしたのよその表情。そんな暗い顔をしていたら、接客業なんて務まりません。笑顔でいなさい、笑顔で」 伊藤さんは、何百枚と連なる注文伝票をバサバサとめくった。時折何かを書き込んでは、またバサバサとめくる。 ひとしきり注文伝票を整理すると伊藤さんは立ち上がって私の肩をポンと叩いた。 すみません、やっぱり緊張してしまっているみたいで、という言葉を飲み込み、はい、わかりましたと笑った。ぎこちなさが拭えない。鏡を見ずとも分かる、どこか引きつった笑顔だと。 「さ、売り場に行きましょう。今日は記念すべきあなたのデビュー日よ」 デビュー日、と繰り返すように私は呟いた。いいように言えば、その日は私のデビュー

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    potironfilm 2020/03/05
    本はやっぱりいいですね
  • ただの女子大生だった私がコールセンターのアルバイトでちょっとだけ強くなって世界を知った話

    「ところでさ、お姉さん、いま何色のパンツ履いてるの」 「ありがとうございます。申し訳ありませんが、お答えできかねます」 何に対しての「ありがとうございます」なんだろう。でも私の口は、私の頭が考えるよりも先に言葉を発してしまう。こんなセクハラのテンプレートのようなセリフも、20回も聞けば驚きも嫌悪感もなくなってしまうのだ。 「チッ。もうかけてくんなよ」 それだけ言われて、ガチャンと電話を叩きつけられた。こんな不機嫌な中年男性の対応に対しても、恐怖も苛立ちも何も感じない。あくびをしながら、私の指はもうすでに次の顧客の電話番号へとダイヤルしている。今日、パンツ何色だっけなあ、そんなことをぼんやりと考えながら。 「お世話になっております。株式会社〇〇の遠藤と申します。現在、プロバイダについてのアンケートを行っておりまして、〇〇様のご自宅でご利用中の回線は……」 この台詞も同じだ。流れるように口から

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    potironfilm 2020/02/27
    いい話