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人生に関するppummuのブックマーク (13)

  • アラサーになって「何者にもなれない」という呪いが解けた - 欲しがります負けたって

    昔からずっと「私は何者にもなれない」と思い続けていた。 幼少期を欧米で暮らし、親も周囲もなんでも褒めてくれる環境で育った。 就学前に文字を読めば天才と呼ばれ、絵を描けば画家になれると言われ、笑えば「こんなに可愛い子は見たことがない」と言われ、仏頂面でいても「この子は哲学者だね」と言ってもらえた。(どんな子どもにもそうやって接する文化なのだ。) 当時の私がその褒め殺しの環境をどう捉えていたかはわからないが、帰国して国立大附属の小学校に入学した時のショックは覚えている。 イギリスの学校では筆算ができるだけで神童のように扱われていたのに、日の同級生には数学オリンピックで入賞するような子がいて、それなのに体育の成績が悪いと親に怒られて体操教室に通わされていた。自分は絵が得意だと思っていたけど、教室に並べて貼られた作品の中で自分の絵はお世辞にも上手い方には見えなかった。 とにかく勉強も運動も芸術も

    アラサーになって「何者にもなれない」という呪いが解けた - 欲しがります負けたって
  • 祖母が施設に入る事が決まった

    今、入所後に使う私物に貼る名札シール作ってる所なんだけど、涙が止まらず明日に響きそうなので吐き出しておく。 今週の水曜日、同居してた要介護3のばあちゃんがグループホームに入所する事になった。足が悪く半分寝たきりで、認知症も進んできたばあちゃんを俺と父親で1年くらい騙し騙し介護してきたんだけど、入所の順番待ちをしていたグループホームから先週「急遽空きができたんですが、入所されますか」と連絡が来たのだ。先方からは以前、申し訳ないが空きができるにはまだ半年以上かかると思う、と言われていたので寝耳に水だったが、予期せず、介護生活からの解放と70年以上実家に住んでたばーちゃんとの別れがやってきてしまった。いつか来るとは思ってたけど、もっと先だとばかり思っていたので、まったく心の準備ができていなかった。ことの決定権は父親と叔母(父の姉)にあった。毎日主に世話をしているのはお前だからと、俺の意思も訊いて

    祖母が施設に入る事が決まった
  • お祖父さんが作ったドールハウスが泣けるほど昭和の住宅だった :: デイリーポータルZ

    私ごとですが、この前のクリスマス、3歳の娘にシルバニアファミリーの家と人形プレゼントした。ネットで購入した家が届いたとき、が「そういえば、子供の頃におじいちゃんが作ってくれたドールハウスが実家にあるはず」と言った。「すごい団地っぽかった」という。 団地っぽいドールハウスって何だ?と思ったけれど、正月に帰省したときに発掘したところ、何もかもが想像以上のシロモノが出てきたので紹介させてほしい。

    お祖父さんが作ったドールハウスが泣けるほど昭和の住宅だった :: デイリーポータルZ
  • 31歳目前に「余命5年」 大切なもの知った女性経営者 (朝日新聞デジタル) - LINEアカウントメディア

    ppummu
    ppummu 2018/01/09
    "私の今日がどれだけ素晴らしいかを感じたい"
  • 人生に物語は要らない

    先日ホッテントリに上がっていた単著持ち増田のエントリを読んで、そういえば自分も増田が原因でを書いたんだったと思い出した。 数年前、初めて増田に文章を投稿したら2000ブクマ付いた。「文才がある」「物書きとしてっていける」とか言われたので、24万字の文章を書いてKindleで出版した。ぜんぜん売れなかった。人の言うことを安易に信じてはいけないと思った。 そのあとまたホームレスになったので(2年ぶり3回目)しばらく福島で除染作業員として働いた。除染と言うと何か特別なことをしているように聞こえるけど、実はただの土木工事である。肉体労働は久しぶりだったけど、小難しいことを考えず黙々と目の前の作業に打ち込んでいると、頭の中の不純物が取り除かれていく感じがした。 そうだ、僕は物書きになりたいなんて思っていたわけじゃない。そんなものは誰かから押し付けられた「物語」でしかない。いままでも「元ホームレス

    人生に物語は要らない
  • 誰かの人生を「片付ける」ということ。遺品整理士として働くある女性の想い

    Search, watch, and cook every single Tasty recipe and video ever - all in one place! News, Politics, Culture, Life, Entertainment, and more. Stories that matter to you.

    誰かの人生を「片付ける」ということ。遺品整理士として働くある女性の想い
    ppummu
    ppummu 2017/08/25
    "気持ちがないものになってしまうのが嫌だった。だから「見たくなかったら見なくてもいいです」と書いた袋に入れて、送った。"
  • 42歳。年収1千万円。経済力はあっても私は1人では生きていけません~40歳からの婚活入門(2)~(大宮冬洋) - エキスパート - Yahoo!ニュース

    ***大企業の正社員、中谷里佳子さん(仮名、42歳)の話*** 結婚しないで1人で生きていこうと思っていました。新卒で入社した会社でずっと頑張って来たし、経済的には自立をしているからです。年収ですか? あまり言いたくはありませんが、残業代を含めると1千万円ぐらいもらっています。でも、無駄遣いはしません。家計簿もちゃんとつけています。 こんな私が婚活に合計160万円も投じるきっかけとなったのは、母親が大動脈解離で倒れたこと。私が35歳のときでした。幸いなことに1ヶ月ほどで回復しましたが、亡くなっていたかもしれない大病です。親の死を切実に感じたとき、「私は1人では無理。経済的は大丈夫でも精神的にもたない。生きていけない」と悟ったのです。両親ともに70歳を超えていますし、父親は以前から心臓に病気を抱えています。 私が結婚相手に求めるのは、ちゃんと会話ができること。そのためには、ある程度の学歴があ

    42歳。年収1千万円。経済力はあっても私は1人では生きていけません~40歳からの婚活入門(2)~(大宮冬洋) - エキスパート - Yahoo!ニュース
  • オシム監督から岡田監督に代わったとき、フッと何かが切れた……坪井慶介が語る日本代表の記憶 - ぐるなび みんなのごはん

    坪井慶介は飄々と記者たちの前に現れる。 「僕(ネタを)持ってませんよ」などと言うが、 決してぞんざいな態度ではない。 相手が質問してくる限り丁寧に答え続ける。 表情を大きく変えることもなく、 ほんの少しだけ笑顔を交えながら淡々と話している。 2002年、日韓ワールドカップが終わった直後から注目を集めた。 その年にJリーグ最優秀新人賞に選ばれ 日本代表チームにも選ばれる。 プロになる前に受けた警告は1回だけ。 しかも味方選手の責任を主将として肩代わりしたものだった。 そんなエリートの好青年は生き様を変えずに15年過ごしている。 だが周囲は気付いていなかったかもしれないが 心がささくれ立ったこともあったそうだ。 それでも家では辛さを見せなかったという。 見た目が変わらないのは 「髪型が変わらないのは大きいかもしれませんね」という。 でもそれだけではない。 感情の揺れが少ないことや いつも配慮の

    オシム監督から岡田監督に代わったとき、フッと何かが切れた……坪井慶介が語る日本代表の記憶 - ぐるなび みんなのごはん
    ppummu
    ppummu 2017/07/22
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    福祉保健局は、令和5年7月1日から福祉局と保健医療局に再編し、URLを変更しました。下の各局バナーからトップページに進み、分野別取組・キーワード等で検索をお願いします。 ブックマーク、お気に入り等に登録いただいている場合は、お手数ですが、再登録をお願いします。 The Bureau of Social Welfare and Public Health was reorganized into the Bureau of Social Welfare and the Bureau of Public Health on July 1, 2023, and the URL was changed. Please proceed to the top page from the banners of each bureau below and search by area-specific i

  • 夢を見たい - 便所虫系男子blog

    なにか言いたくなることが多くてこまっている。ボロボロの人生だが、人に毒づくくらいは生に未練があるらしい。上から目線でものを言える立場じゃないのに。当は力がほしいのだろう。どこかで自分はまだ終わっていないと信じているから怒ったり見下したりして、惨めな自分から目をそらしたいと願うのだろう。 気がつくと、自分の心身が自由には動かなくなっている。あちこち軋みはじめ、舌も上手くまわらない。聞き上手とよく言われたのに、他人を受け入れる余裕がなくなってる。恥を晒していきていることに屈辱を感じる。耐え難い。ここから消えてしまい、何処か静かな場所で健康的な生活をおくりたい。病院でも刑務所でもいい。ゆがんだ自負心を、満たされぬ自己承認を、なんとかして鎮めてくれるものならなんでもいい。 信じるべきものが無いことに常に苦しみを感じている。快感を感じれなくなった自分にとって、自己満足は生きる理由には軽すぎる。尽く

    夢を見たい - 便所虫系男子blog
    ppummu
    ppummu 2017/07/20
    キャバなど行っても、相手がラクできるように気づかい(効果はない)して自己満してすり減らして行くようになると死が近い
  • 余命3か月宣告された35歳女性 死を覚悟し家族とピース写真 (NEWS ポストセブン) - Yahoo!ニュース

  • 昔、私をいじめから救ってくれたヒーローがいた

    思うところがあって、お礼の手紙を書いてみたいと思う。 すごく長くなったけど、どうしても全部吐き出したかった。 子供の頃、ヒーローに会ったことがある。 毎日、小学校でいじめられていた私の狭い世界を、一瞬で壊してくれたその人は、有名なスポーツ選手だった。 いじめが始まったのは、小学校の中学年。たぶん、三年生の後半だったと思う。 いじめの内容は、スタンダードなものだった。 バイキン呼ばわりして、私や持ち物を避ける。 机の上に筆箱を出しっぱなしにしていると、休み時間に奪われて、それで菌のつけ合いがはじまる。 遠足の時の写真が教室に張り出されると、私の顔だけポスカで塗りつぶされる。 お風呂に入ろうが何しようが、臭いだの汚いだの言われる毎日だったけど、途中からエイズとか言われるようになった。 その時期、ニュースでエイズが取り上げられるようになったから、男子が面白がって言いはじめて、クラス中に広がった。

    昔、私をいじめから救ってくれたヒーローがいた
  • 妹と私

    ■妹にまつわることを思い付くまま箇条書きしてみる。 ■妹は15才年下。 ■妹ができたことはうれしかったけど、40代で子供をつくった両親の「頑張り」が、当時は何とも気恥ずかしかった。 ■私は大学進学と同時に一人暮らしを始めたので、妹と一緒に暮らしてたのは4年足らず。 ■私が実家を出た時、妹はまだ3才。 ■妹の赤ちゃん時代の可愛さは異常。なんだあれは。毎日、学校から帰ってくると、とてつもなく可愛い存在が家で待ってた。あの日々!奇跡! ■おかげで私は反抗期というものを経てない。妹をかわいがっているうちにその時期をみすみす逃してしまった。くやしい。父親に悪態をついたりしてみたかった。 ■上京してからは、妹と会うのはお盆と年末年始だけになった。会う度に彼女の成長ぶりに驚かされた。 ■妹が小6の時、母から電話で苦笑まじりに言われた。 ■「あの子、あんたのせいで大変よ。変なものにかぶれちゃって。大丈夫か

    妹と私
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