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ポストモダンと<公共性>に関するprisoner022のブックマーク (3)

  • 東浩紀「ポストモダンと情報社会」2008年度初回 - メタサブカル病

    今年も頑張って粘着していこうと思います。ちなみに毎週金曜日16:40から18:10まで東工大のH111でやっています。 どうも こんにちは 僕がこの授業を担当する東浩紀です ポストモダンと情報社会 去年も一昨年も同じタイトル 内容については便覧に書いたとおり 毎年同じことをやればいいということになっている 単位は一回しか取れない でももぐりとか何回も続けて出ている人とか ネットに内容に公開している人も居るので 変わることが宿命付けられている - 僕は基的には物書き 2001「動物化するポストモダン」 オタク論の中ではそれなりに知られている 現代社会分析も僕の仕事のうちのひとつ 1998「存在論的、郵便的」 「存在論的と郵便的」にしておけばもっと普通のタイトルだった ジャック・デリダについて 僕はもともとフランス現代思想の研究者としてキャリアをスタートした これが博士論文 大学院時代からい

    東浩紀「ポストモダンと情報社会」2008年度初回 - メタサブカル病
    prisoner022
    prisoner022 2008/10/04
    今までの社会でイメージされていた公共性は話し合って決めようということだった/真面目に喋っても真面目に聞いていないということがあまりにも明らか/何かを言っても無化されていくのが前提
  • 塚田憲史「社会システム・テレビゲーム・NPC」『筑波批評 2008春』所収 - らいたーずのーと

    ■ この評論には二つの目的がある。まず第一に、東浩紀が『動物化するポストモダン』で提示し、それを受けて稲葉振一郎が『「公共性」論』などでより広い意味で用いた「動物」という概念を、そこに含まれるネガティヴなイメージをむしろポジティヴなものとするためとして「ゲーマー」という概念に置き換えること。稲葉の言う「動物」とは、「慣習や制度などの人々を取り巻く人工的な環境」*1である「社会システム」を「自然」として体験する主体のことを示している。だが、その体験とは、「動物」という言葉からは能的な、受動的なものとして捉えられる。塚田氏はそれを否定し、自ら合理的に判断し、あえて「社会システム」に従う道を選んだ主体として彼らを「ゲーマー」と名指す。 評論の後半では宇野常寛の『ゼロ年代の想像力』との接続が行われる。彼が提示する「決断主義」という物語ムーブメントを「(東が提示する狭義の)動物」ではなく「ゲーマー

  • うのもえ 第4話 「三つの決断主義」 - ukparaの思索メモ (つねに未完成)

    蒸した部室に、Aさんが帰ってきた。 帰省先でも町角のしなびた屋で『SFマガジン』の最新号をせっせと買い込み、宇野常寛さんの連載「ゼロ年代の想像力」を読んでいたというのだから驚きだ。なんという宇野萌え。 S-Fマガジン 2007年 10月号 [雑誌] 出版社/メーカー: 早川書房発売日: 2007/08/25メディア: 雑誌 クリック: 7回この商品を含むブログ (15件) を見る B「好きだねえ・・」 A「まあね」 B「で、どうよ、今回は」 A「うーん、『ワタクシは決断主義を徹底して前提化し、謙虚でエレガントな決断主義、つまり、思考停止と暴力とを肯定しない決断主義を、めざすのであります』っていう結論になっているんだけど、、」 B「ほほう」 A「なんだか、決断主義って言葉の意味がだんだん広がってきているような気がして、ちょっとねえ・・」 B「ちょっと?」 A「うーん、もっと明確に言葉を使っ

    うのもえ 第4話 「三つの決断主義」 - ukparaの思索メモ (つねに未完成)
    prisoner022
    prisoner022 2007/09/06
    決断主義の語義の混乱/決断主義2(サルトル実存主義)は、ポストモダン時代では不可避な生き方だから、当然の(歴史相対的な)前提/こういった自覚がない人は、自分の発言の政治性を自覚できないので、危険
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