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吉田竜夫とcomicに関するprisoner022のブックマーク (2)

  • アメコミの戦後史 - 漫棚通信ブログ版

    がアメコミをどのように輸入してきたか。ちょっと書いてみますね。(ここで言うアメコミとは、アメリカンコミックスのメインストリーム、主にスーパーヒーローもののことを指してます) 1)神話時代 戦後、アメコミが日で正式に発売されたわけではありませんが、いつの間にやらマンガや絵物語に影響を与えていたようです。おそらくは、米軍が持ち込んできたものが出回ったのか。 福島鉄次の絵物語「砂漠の魔王」(1949年〜1956年冒険王)におけるカラフルな色使いがアメコミの影響であると言われてます。また、水木しげるのマンガデビュー作「ロケットマン」(1958年)や「プラスチックマン」などは、もろアメコミのエピゴーネンキャラクターでした。 TV実写版「スーパーマン」の日での放映開始は1956年でした。当然モノクロ。日で放映されたアメリカTVドラマの最初期のもののひとつになります。「空を見ろ、鳥だ、飛行機だ

    アメコミの戦後史 - 漫棚通信ブログ版
    prisoner022
    prisoner022 2008/02/06
    「少年画報」本誌では1959年9月号から1960年10月号まで、マンガ「スーパーマン」を連載しています。後半で作画を担当したのが、のちにタツノコプロをつくる吉田竜夫です。
  • 吉田竜夫と梶原一騎 - 漫棚通信ブログ版

    ガッチャマンにしても、マッハGoGoGoにしても、タツノコアニメの魅力の大きな部分を占めてるのが、吉田竜夫の、あのバタ臭くて色気のあるキャラクターであるのはまちがいないところです。 吉田竜夫/梶原一騎「チャンピオン太」全5巻が、マンガショップから出版されています。週刊少年マガジン1962年1号から1963年52号まで連載された、梶原一騎初のマンガ原作。力道山の弟子の少年プロレスラーが活躍する作品で、テレビ化もされた人気マンガです。 オタクトリビア的には、テレビ化されたときアントニオ猪木が死神酋長役で出演し、リングネームも危うく死神酋長にされかかったというのが、有名な話。 梶原一騎の自伝マンガ、原田久仁信作画の「男の星座」、これは未完に終わりましたが、この作品は、少年マガジン編集長の牧野武朗が梶原を訪れて作品を依頼するシーンで終わっています。その作品がこの「チャンピオン太」でした。つまり、「

    吉田竜夫と梶原一騎 - 漫棚通信ブログ版
    prisoner022
    prisoner022 2008/02/03
    吉田竜夫は絵物語中心に活動していました/はっきりマンガにシフトしたのが、少年画報の「スーパーマン」でした/吉田竜夫は、日本で初めてアメコミを(版権をとって)描いたひとでもあった
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