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今回は,メタ的構造を私が肯定的に評価しているメタ的構造と,否定的に見下しているメタ的構造とに二分することを目標としている.しかし,本エントリではその見分け方の紹介まで行けなかった. しかし,一応前段階としての否定的に見下しているメタ的構造の紹介はできたと思っている. 氾濫するメタ 最近のオタ界隈の議論の風潮 - 「○○というメタ的構造が~」 - 鍵っ子ブログ 最近はこの傾向が酷くなってきて、もう猫も杓子も東浩紀の真似事で「〜このゲームは〜というメタなのです」「〜というゲーム的リアリズムであります」「ポストモダン化に対する〜です」などと書いて結論を出しているか、もしくは「このゲームは○○というメタ的構造が埋め込まれています。以下、それを考察していきます」などと前提を置いて、メタ構造を考察するだけの文章を読む機会が増えています。 (中略)流行語があまりに便利すぎて、これらの単語を使えば「考察」
古澤克大氏のところで、イカフライ氏と議論が続いています。最初は「戦争を悪と規定すること」が話題だったはずなのですが、途中からなぜか「非モテ」の話にすり替わっています。 議論自体の流れとは直接関係ないんですが、このエントリの中で、こちらでも触れている「恋愛の交換可能性」の話題が挙げられているので、それについてこちらで言及しておきたいと思います。 そして、恋愛という概念そのものは近代において成立した特殊な概念であるという視点が欠落している。おうおうとして我々近代人は近代固有の概念を当然のものとして考えるが、少なくとも恋愛という概念は近代特有であるということは注意せねばならない。 (中略) これは最近はてな界隈で議論されている恋愛の交換可能性問題ともリンクするわけであるが、恋愛という形式そのものは交換可能な単なる器に過ぎない。しかし、その他者との相互承認関係は特別なものであり、それは一義的に誰で
イースト・プレス 2007年9月 こういう本が好きなのだなあ、と思う。 大分以前、ローレンツの本をはじめて読んだときのことを思い出す。30歳すぎたころだと思う。子供ができ、育児というようなことを考えていて、精神分析の説を信じていた。伊丹十三さんや岸田秀さんがさかんに精神分析の啓蒙活動をしていた。伊丹氏が「男というのは馬鹿だ。仕事という誰でもできる他人が代替可能なことをするために、自分の子供を育てるという自分にしかできないことを放棄している」というようなアジテーションをしていた。今から思うとこの伊丹発言はかなりとんでもないもので、女性を家庭に閉じ込めるイデオロギーであるという批判がまずでてきそうであるし、今なら「子育ての大誤解」(J・R・ハリス 早川書房 2000年)といったほうからの反論もありそうである。そもそも精神分析の権威が随分と低下した。しかし、その当時は精神分析を信じていたので、ロ
このコラムについて なぜ人は思い通りに動かないのか――。職場、家庭、学校、それから政治経済の現場でも、誰もがいつも悩んでいる問題に、社会心理学の切り口で光を当てていきます。 記事一覧
このターンXすごいよ! さすが∀のお兄さん!! メガネ君ですこんばんわ。 ってなわけで最終話まで見ましたよ∀。おもしれー、多分今まで見たガンダムの中で三強を選ぶなら、今のところ0080とGとこれですね。え? SDとSDガンダムフォース? ふざけんなあれは俺の中で不動の一位だから別枠だ!! 個人的な意見ですが、純粋に話を見るのなら、∀は全ガンダムシリーズの中でも最高峰に位置すると思います。その代わり、プラモの売る気の無さも最高潮だと思います。でも見る前はやれヒゲだやれチンコだ馬鹿にして、これは無いわ……とか思ってたあの∀ガンダムが、歴代でも一二を争うほどカッコイイ主人公機に思えてなりません。MG買おうかな…… スモーもMGで出してくれたら買うのになぁ…… 特に月光蝶の壮絶な、どこか攻撃的なまでの美しさと、それがもたらす破壊の描写はさすが富野監督と思わせるものでした。これがリーンの翼の最終話で
いわゆる、みんながセカイ系だって感じるあれっていわゆる物語的な仮構だから ポストもへったくれもなくてずっとセカイ系で停滞し続けると思うな。 今も昔も。 現実的な設定からあえて現実ならありえるであろう一部部分の何かが(話のテーマ的な理由や気分的な理由で)排除されてる世界なわけだから。 ガンダムだって心情はリアル少年の動きに近いかもしれないけど。 あんな巨大人型兵器が活躍する現実はありえないとか。 リアルさは一部だけがリアルで後はテキトーだったりする。 どっかこっかがオモシロさのために現実では実現できない可能性をはらんでて。 そういう部分にセカイ的な何かを感じてるだけだから。 自分とセカイが直結するって、極端な話「ボクがガンダムを一番うまく扱えるんだ」っていうメンタリティとおんなじだから。 将棋の世界チャンピオンがセカイを救える設定は世界系だよね「ボクが将棋を一番うまく扱え
ときどき自分が作品経験を絶対化するような立場に立っているかのように感じることがある(自意識過剰なのだろうか)。美術に対して何かを言うとき、対象を実際に見た事が/作った事がなければ語ってはいけないわけではもちろんない。そんな「縛り」があったら、ひとはほとんど何も美術について語ることができなくなる。僕が例えばモネに対して何かを言う時、そこでは1つの作品について語っているようであっても、確実にどこかで他の作品を脳裏に置いているものだし、そのような想起されている作品には、見た事がない作品が多数含まれている(もっと言えば、他の多くの作品も必ず想起されている)。図版で、映像で見た作品を排除することなどできないし、そもそも人は一般にメディアを通じて「絵画」や「絵画史」を知るしかない。そういったものの媒介なしに、人は「絵画」という概念を獲得できないし、概念がなければそもそも人は美術館に出かけることもしない
うわっ、酷い(笑)。[TV]『21世紀を夢見た日々』では、70年代からSFはさらに発展して今に到る、という作りだったのに、海燕さんの記事では、まるで、「SF」が死んでしまったと扱っていたかのような書きようだっ。……いや、海燕さんの言わんとするところは、わかるんだけど(^^;。 ――「好きなら言っちゃえ!! 告白しちゃえ!!」 そういうつもりはなかったんだけれど、そういうふうに見えますかね。いつものことながら、いいたいことを正確に伝えることはむずかしい。 結局、「発展」ということをどう考えるか、ですよね。 たしかにあの番組では、「SFはその後も発展していき、いまのアニメやゲームに受け継がれている」という調子でまとめていました。 しかし、その描写は逆に、「それらの作品は現在、SFとして認知されてはいない」という事実を浮き彫りにしていたと思います。 番組の制作スタッフは、一般的にSFとして認知さ
mixiで安田朗さんがコメントをくれたので、レスをちゃんとしようと思ったので、買った。 あきまんさんはやっぱり新訳Zは新作画で見たかったといつも言ってる。でも、トミーノは予算スケジュールにはとても物分りがよいから、Zは旧画だったのです。 そんなレス。 富野監督は作品やインタビューでは体制批判をするんで過激派のように見えたりもしますが、やっぱり製作側のことも配慮して、切ないです。 リーンの翼がアニメになった時、ネット配信でテレビ局の機嫌を伺わないで、自由なスケジュールで26話はやると思ったので、すごいモノができると思って、浮かれたんですけど、OVAフォーマットで6話だけだったのでしょんぼりでした。短編映画としてまとめるということも企画としてはおもしろいんですけど、あれはもっと大河ドラマみたいにだらだら見たかったです。 そんで、Zガンダムの映画が出来た当初も「旧作の絵の雰囲気を大事にして持ち味
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