ついったからの転載・改稿。 宇野常寛が書いていたかどうかは覚えてないが、いわゆる「決断主義」の前提には「例外状態」があるのがシュミット的に正しい立場だったような気がする。では、宇野的文脈における「例外状態」とは何か。それは社会の分子化や「大きな物語の衰退」ではなく、それが現象として生み出した「万人の万人に対する不寛容」である。 社会が分子化されていても、他者との間に無関心や寛容があるならば、例外状態というほどの危機には陥らない。他者が「敵」あるいは「潜在的敵」としてあることが「決断主義」を要請する「例外状態」の本質である。中間集団が解体し、スーパーフラット化した/しつつある社会から自己を差異化する欲望に基づいた再帰的自己決定は、永続的な他者との摩擦を引き起こし、リスクを高める。一方で、中間集団が担っていた保護と再分配のシステムが崩壊してしまった状況下では、ホッブス原典的な意味合いでの「万人