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ブックマーク / www.aja.gr.jp (3)

  • データ

    この三月に私は[独立行政法人国際交流基金]なるいかめしい名の団体からの要請でメキシコ、コスタリカ、アメリカ・アトランタ訪問のために勇躍太平洋を渡ったのであります。太平洋を渡った、などといささか大げさな表現になってしまいますのは実は私今までハワイより東に言ったことがないのでありまして、なおも大げさに言えば中米などと言うのは地球の反対側の国々でありまして、正直言って、ま、地の果てを訪れるような気分なのでありました。しかしその気負った私の気分とは裏腹に[独立行政法人国際交流基金]からの指令は「かの地に参って、何でもいいからアニメの話をしておいで」という、まあなんとものどかでゆるーいものでありまして、つまりはその、まあ、結論としてはドンと胸を叩いて自信を持ってお引き受けしたのであります。 さて、かの地で私めが用意しました講演の演題は『ジャパニメーション1963〜2004』というものであります。

    prisoner022
    prisoner022 2008/10/12
    「日本のアニメーションがジャパニメーションと言われるほどの隆盛と特異性を発揮した原因はどこにあるのでしょうか」
  • 藤津亮太

    「言葉とアニメーションと2人の監督」 藤津 ふじつ 亮太 りょう た アニメーションを見ていると、 そこで使われる言葉が気になる瞬間がある。 絵でもなく、 物語でもなく、言葉そのものが気になるのは、それ自体がアニメーションの絵と対をなし ている一種の記号だからだろう。 宮崎駿の監督作を見ている時にもしばしばそういう瞬間はある。宮崎はアニメーター出 身で、監督作の作画には自ら徹底的に手を入れることでもよく知られる典型的な「絵の人」 だ。だが宮崎は絵と同じか、それ以上のナイーブさで言葉を扱う「言葉の人」でもある。 あまりにも有名な『風の谷のナウシカ』のラスト間近の1シーンを見てみよう。暴走す る王蟲の大群をナウシカが身を挺して静止させた後、城ジジのゴルと大ババが感極まって こんな言葉を漏らすのに気づくはずだ。 「奇跡じゃ、奇跡じゃ!」 「なんといういたわりと友愛じゃ。王蟲が心を開いてお

  • データ

    平成16年(2004年)2月26日の昼にヒューストンに入ったとき、空港に外務省の職員の出迎えを受けた。二十年前に交流基金の招待でロスに行ったときは、現地の領事館に基金の担当者と挨拶に行った覚えがあるので、時代は変わったものだと実感した。 翌27日は、NASAのヒューストン基地見学をして、次期シャトルに搭乗する宇宙飛行士の野口聡一氏と昼を共にすることもできたのも外務省の尽力のおかげである。 その午後、ライス大学で近代日史専攻のゼミに呼ばれて、1時間半ほど教授と学生の質疑応答の形で、創作する姿勢についての話をした。12名の学生は、アニメに興味を持っている文科系であっても、演劇的な劇作論であるドラマツルギーについての意識が希薄で、演劇的素養をもてなければ映像作品はつくれないという教育は、より必須であると実感した。 夜は、領事公邸で天野総領事ご夫主催のレセプションに招かれた。数カ

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