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加藤涼に関するprisoneronthewaterのブックマーク (3)

  • 危機解明の糸口になる「信用外部性」:日経ビジネスオンライン

    前編で、マクロ経済学が十分に金融危機を扱ってこなかったと書いた。しかし、マクロ経済学には、金融危機を扱う「バブルの理論」があるではないか、と指摘する読者もいるだろう。「バブル」は日常的に耳にする、良く知られた言葉だ。いわゆるバブルの理論は長い歴史があり、1950年代には成立していた。しかし初期のバブルの理論は今日あまり省みられない。それはなぜだろうか。 初期の理論によれば、バブルは基的に「無価値な資産」であり、これを誰かが保有することは、基的には、資源の無駄遣いに過ぎない。すると理論的には、バブルと不況が同時に発生する可能性が高いという帰結が得られる。これがあまりに現実離れしていると受け止められてきたからだ。 言うまでもなく、現実のバブルは好況期に発生しやすい。だからこそ、バブルと、バブルではない真の好景気との識別が難しい。 欠陥を抱える「新世代のバブル理論」 こうした景気循環とバブル

    危機解明の糸口になる「信用外部性」:日経ビジネスオンライン
  • マクロ経済学は「役立たず」なのか?:日経ビジネスオンライン

    2012年2月現在、ギリシア、イタリアの国家債務問題を焦点としてユーロ圏に新たな金融危機の火種がくすぶっている。ユーロ圏の債務問題が甚大な金融危機に発展するかどうかはともかく、世界レベルの金融危機は長い歴史の中で繰り返し発生してきた。 2008年のリーマンショックを契機に、「既存の経済学は金融危機の理解や抑止に全く役立たない」、あるいは「既存の金融経済学こそが金融危機を引き起こした」といった批判が巻き起こった。程度はともかく、こうした批判は現在でも続いている。経済学者はこうした批判にどう応じてきたのだろうか。 ここでは、経済学に対する批判的問いかけの意味も込めて「金融危機はなぜ繰り返し発生するのか」について考えたい。 自由競争とリスクの証券化が進んだ世界金融市場 まず、リーマンショックを足がかりとして、既存の経済学や「市場原理至上主義」、さらにはやや漠然と「資主義」なるものに対し、批判的

    マクロ経済学は「役立たず」なのか?:日経ビジネスオンライン
  • 朝日新聞グローブ (GLOBE)|World Economy―先読み世界経済

    [第40回] 金融危機後のマクロ経済学 加藤涼 Ryo Kato 日銀行金融研究所企画役 《要旨》2年前のリーマン・ショックを頂点とする金融危機は、従来のマクロ経済学の不十分さを突きつけた。しかし同時に、今後深めていくべき方向も明らかになってきた。研究と政策実務の双方が連携し、着実に歩みを進めるべきだ。 金融危機後、現在学界で主流になっているマクロ経済学に対しても批判の声が聞かれるようになった。「アメリカ型資主義は死んだ」といったキャッチコピーと並んで、「危機を予期できなかったマクロ経済学も死んだ」とも語られた。 加藤涼氏 マクロ経済学に携わる者は、金融危機を予防できなかったという事実を重く受けとめ、批判にも耳を傾ける必要がある。しかし、資主義が終焉(しゅうえん)していないように、マクロ経済学も死んでなどいない。むしろ現代的なマクロ経済学の手法は、金融危機を再発させないための仕組みづ

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