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明田川進に関するprisoneronthewaterのブックマーク (18)

  • 【明田川進の「音物語」】第25回 「AKIRA」で描かれた“未来”の2019年を迎えて

    「AKIRA」で描かれた“未来”が2019年です。まさか現実でも東京オリンピックが開催されることになるとは思いませんでした。他にも作品で描かれていることがシンクロしているようなところがあって、大友克洋さんはすごい人だとあらためて感じています。これまで何度かふれていますが、あらためて音響監督を担当した「AKIRA」を振り返ってみたいと思います。 大友さんとの関わりは、大友さんがキャラクターデザインを手がけた「幻魔大戦」(1983)からです。「AKIRA」がアニメになることをはじめて聞いたのは、当時、東京ムービー新社(現トムス・エンタテインメント)にいて、のちにテレコム(・アニメーションフィルム)の社長もやられた竹内孝次さんから一度会ってほしいと言われ、「実は大友さんの作品でこういうものをやるのだけれど」と聞いたのが最初だったと思います。その後、吉祥寺の喫茶店で大友さんと音の打ち合わせをしたと

    【明田川進の「音物語」】第25回 「AKIRA」で描かれた“未来”の2019年を迎えて
  • 【明田川進の「音物語」】第24回 「はれときどきぶた」の音楽のこだわりと「練馬大根ブラザーズ」

    1997年から98年にかけて「はれときどきぶた」というテレビアニメが放送されました。原作は児童文学で、企画には関わっていないので想像ですが、アニメ化にあたっては原作者にこのような流れでやるときちんと説明して、内容も相当もんだのではないかと思います。それぐらい自由でハチャメチャな内容で、原作を知らない方は児童文学がもとになっているとは感じないかもしれません。アニメならではの楽しさに満ちた当に面白い作品で、いつまでもやっていたいなと思いながら収録に臨んでいました。 制作はグループ・タックで、代表の田代(敦巳)氏からきた話でした。クレジットでは中武敬文さんが音楽監督、アフレコ演出が僕という区分けになっていますが、これは監督のワタナベシンイチさんに音楽へのこだわりがあったからでした。音楽は音響監督がつくった音楽メニューをもとにしたため録りではなく、監督と作曲家が直でやりとりするのが主で、中武さん

    【明田川進の「音物語」】第24回 「はれときどきぶた」の音楽のこだわりと「練馬大根ブラザーズ」
  • 【明田川進の「音物語」】第23回 「うたわれるもの」のキャスティングとオー・エル・エム神田氏の思い出

    今回は2006年に放送された「うたわれるもの」について、お話しましょう。アダルト向けのPCゲームが原作で、最初のゲームにはキャラクターの声はついていなかったのですが、ありがたいことに原作のAQUAPLUSさんサイドからテレビアニメ用の設定にしてキャスティングも自由にして構わないといっていただけました。 主人公のハクオロは最初、記憶を失っていて仮面を被っていますが、それを見て僕は「オペラ座の怪人」を思いうかべました。というのも、その直前に真崎春望さんという漫画家の方が描いた「オペラ座の怪人」のCDブック(※2005年発売)を手がけていて、そのときに無声映画から最新のものまで、ひととおりの「オペラ座の怪人」を見たことがあったんですよ。ハクオロは、かなり最後のほうまで記憶を失ったままでしたが、そうした設定や世界観自体がまず面白かったです。 ハクオロのように喜怒哀楽をあまり表に出さず、それでいて聴

    【明田川進の「音物語」】第23回 「うたわれるもの」のキャスティングとオー・エル・エム神田氏の思い出
  • 【明田川進の「音物語」】第22回 「シェンムー」で声の仕事をはじめた松風雅也さん

    前回お話した「シェンムー」の仕事 を3年間続けられたのは、主役の松風雅也さんと出会って一緒に仕事ができたことが大きいです。今回はキャスティングの話を中心にお話しましょう。 「シェンムー」のキャラクターの動きは主にモーションキャプチャーでつくられていて、キャスティング時にモーションアクターの人に声もやってもらえないだろうかとの話がありました。そのときに主役である芭月涼の動きを担当していたのが松風さんです。当時彼は実写の俳優として活動していて、戦隊ものでブルーなどをやっていました(※「電磁戦隊メガレンジャー」メガブルー役)。 松風さんを格的に声の世界に引き込むことになったのは、「シェンムー」で僕と出会ったことがきっかけです。番の収録までいかない段階で、音響を担当していた「KAIKANフレーズ」(1999~2000)という作品のオーディションを受けてみないかと誘ったら、主役のひとりに決まった

    【明田川進の「音物語」】第22回 「シェンムー」で声の仕事をはじめた松風雅也さん
  • 【明田川進の「音物語」】第21回 「シェンムー」の収録で3年間セガに通った日々

    僕はゲーム仕事を何かやっていて、もっとも深く関わったのがセガの「シェンムー」シリーズ(※「シェンムー 一章 横須賀」「シェンムーll」)でした。一部のキャスティングとアフレコのディレクションを担当し、音楽や効果音には関わっていませんが、アニメの仕事とはまったく違ったやり方で収録をした面白い仕事でした。 「シェンムー」は莫大な予算をかけた大がかりなつくりが話題になりましたが、声の収録も通常のやり方と大きく違うものでした。羽田にあるセガのスタジオに週3日通い、朝10時頃から夕方まで収録を行うこと約3年間。そこで収録したものがゲーム中に使われているほか、ゲームの制作にも役立てられています。 僕が関わるまでは、CGのモデルを動かすためのガイドとして社内でテスト的に声を録っていたそうですが、そろそろキャスティングをというタイミングで「内部ではやりきれないので、お願いできませんか」との話をいただき

    【明田川進の「音物語」】第21回 「シェンムー」の収録で3年間セガに通った日々
  • 【明田川進の「音物語」】第20回 「鉄腕アトム」から半世紀以上にわたる“ギッちゃん”との付き合い

    この連載で折にふれて名前のでるギッちゃん(杉井ギサブロー氏)とは、当に長い付き合いになります。今でも会社に「今日いる?」と電話がかかってきたり、何かの会で顔をあわせたあとにお茶をしたりすることが多いです。仕事の話はほとんどせず、お互いの近況や無駄話をして終わるのですけれど。 ギッちゃんは、僕が1963年に虫プロに入社し、「鉄腕アトム」の制作進行としてはじめて担当した話数の演出家でした。当時の僕は分からないことだらけで、とにかくがむしゃらだったと思いますが、ギッちゃんは人当たりがとても柔らかくて、制作に関することを丁寧に説明してくれました。僕と知り合った頃のギッちゃんはすでに演出家でしたが、アニメーターとしてすばらしいんだということは知っていて、アトムの顔を描かせたら手塚(治虫)さんそっくりだとみんなに言われていました。最初の担当がギッちゃんだったから、僕としても入りやすかったのだと思いま

    【明田川進の「音物語」】第20回 「鉄腕アトム」から半世紀以上にわたる“ギッちゃん”との付き合い
  • 【明田川進の「音物語」】新春特別編 僕が見てきた映画

    あけましておめでとうございます。今回は編集部からのリクエストで、いつもとは趣向を変えて僕が見てきた映画についてお話したいと思います。 僕は自宅で月に20~30ぐらい映画を見ています。ブルーレイやDVDを買って見ることが圧倒的に多くて、新作は会社にもっていって仕事用のライブラリにしています。僕が外で教えるときに、「この映画のこんな部分が面白かったよ」と説明するときに見せるときにも役立っています。 お勧めを挙げるとキリがありませんが、わりと人に言うのは「アラビアのロレンス」(1962)や「ゴッドファーザー」3部作(1972~90)でしょうか。どちらも大変な製作費をかけて当時の舞台やファッションを再現していて、いい役者の素晴らしい演技を見ることができる、今ではなかなかないタイプの映画だと思います。りんたろうがよく言っていましたが、日の出や日の入りのいい場面がほしいと思ったとき、今の映画ならCG

    【明田川進の「音物語」】新春特別編 僕が見てきた映画
  • 【明田川進の「音物語」】第19回 僕を育ててくれたアニメの世界

    この年までアニメに関わることができているのは、周囲にいる人たちのおかげです。僕はアニメの世界に育ててもらったという気持ちをずっともっていて、ここ数年はそれを少しでもお返ししようという仕事が増えてきています。ギッちゃん(杉井ギサブロー氏)に誘われてやることになった京都精華大学で音響を教える授業は4年ほど前に終わりましたが、その後は某声優事務所でジュニアの人たちを教える授業を定期的に行っています。この授業のことは第11回 と第12回 でお話しました。 去年は、「妖怪アパートの幽雅な日常」で久しぶりにテレビシリーズの音響監督をやることになり、CDドラマでキャスティングした豪華な顔ぶれのまま、やりやすい仕事をさせてもらいました。その他、映画祭の審査員や、この連載のようなインタビューなど、現場の仕事からは離れた仕事や若い人に教える仕事の比重のほうが多くなってきました。教えてきた人たちが徐々に一人前に

    【明田川進の「音物語」】第19回 僕を育ててくれたアニメの世界
  • 【明田川進の「音物語」】第18回 田代敦巳氏の思い出(後編)後ろから「余裕だね」と声がして

    グループ・タックが自分たちでつくった初の長編映画が「ジャックと豆の木」(1974)です。虫プロが倒産してスタジオが空いてしまい、スタッフも何人か残っているからと、そこを「ジャックと豆の木」スタジオにして制作がはじまりました。この作品は田代氏がプロデューサーと音響監督をやることになったので、僕は外部との仕事をメインにやろうと役割分担ではじまっていったのがその頃だったと思います。東京ムービーや円谷プロの仕事をしていたので僕はそのスタジオにほとんどおらず、タックのみんなに会うのは、忘年会や休みの日にみんなでやっていた野球のときぐらいでした。 「ジャックと豆の木」が完成したあと、一部のスタッフはサンリオに誘われて移ることになりましたが、やりたい方向性が違うからと田代氏たちは断っていました。それとは別に、僕はサンリオのプロデューサーになった元虫プロの富岡厚司さんから映画部をつくるから手伝わないかとの

    【明田川進の「音物語」】第18回 田代敦巳氏の思い出(後編)後ろから「余裕だね」と声がして
  • 【明田川進の「音物語」】第17回 田代敦巳氏の思い出(前編)グループ・タックの名前の由来

    僕は、今でもたまに会社の電話をとると、「グループ・タックです」と言ってしまうことがあります。自分で言って「えっ」と思ってしまうのですけどね(笑)。タックは自分たちでつくった会社だという意識があって、自分なりの夢もありましたので、それぐらい思いいれのある会社でした。 タックを一緒に立ちあげた田代敦巳氏は、虫プロ時代の制作進行の先輩でした。彼は日芸の放送学科出身で、虫プロに音響の専門セクションをつくろうと早いうちから考えていたと思います。第7回 でもお話したように、僕が虫プロに入ったのは大学4年のときで、映画評論家の瓜生忠夫先生が教えるマスコミ論のゼミをとっていました。その授業の論文を提出するときに田代氏に相談したことがあって、それが最初に話すきっかけだったと思います。 その後、進行の仕事をしているとき、りんたろうから「アケも自分で何か技術を身につけたほうがいいんじゃないの」ということを言われ

    【明田川進の「音物語」】第17回 田代敦巳氏の思い出(前編)グループ・タックの名前の由来
  • 【明田川進の「音物語」】第16回 ベテランと新人の化学変化と、石塚運昇さんと最後に話したこと

    ホーム > ニュース総合 > 特集・コラム > 明田川進の「音物語」 > 【明田川進の「音物語」】第16回 ベテランと新人の化学変化と、石塚運昇さんと最後に話したこと 前回 、“会話”の大事さについてお話しましたが、実際のアフレコでは、どのようにディレクションをしているのか具体例を紹介したいと思います。経験が浅い人には、実際に録ったものを聴いてもらうのがいちばんです。他のみんなが芝居をしているのに、その子だけが自分のセリフをポンと言えばいいと思っているから、流れが全然できていないことが多いんですよね。「これを聴いて、自分の芝居がいいと思う?」と聞けば、人にもよく分かってもらえます。 昔は、ベテランの役者が、新人と一緒に芝居をしながら脇でアドバイスすることがよくありました。ベテランの人が、「ここは、こうやったほうがいいんじゃないの?」などと言って、役者同士でやりとりすることが多かったです。

    【明田川進の「音物語」】第16回 ベテランと新人の化学変化と、石塚運昇さんと最後に話したこと
  • 【明田川進の「音物語」】第15回 芝居のあり方を考え直すきっかけになった、永井一郎さんの言葉 : ニュース - アニメハック

    ホーム > ニュース総合 > 特集・コラム > 明田川進の「音物語」 > 【明田川進の「音物語」】第15回 芝居のあり方を考え直すきっかけになった、永井一郎さんの言葉 これまで僕は、役者同士の“会話”の大事さについて何度か触れています。これは、芝居づくりにも通じる話なのですが、そう考えるきっかけになった忘れられない出来事があります。虫プロの作品をやっているとき、アフレコ中に永井一郎さんから「アケさん、ここはもう少しリアルにやったほうがよくない?」と言われたことがあって、そこから自分のディレクションをあらためて考え直すようになりました。 永井さんは芝居からきた人で、当時から素っ頓狂な声や、老人から普通の青年の声まで演じることができる、幅の広い役者さんでした。芝居の基礎ができている永井さんだからこそできる、頭のてっぺんからだすようなアニメ的な声が好んで使われていた頃です。 そんな永井さんからの

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  • 【明田川進の「音物語」】第14回 木村昇さん、チャーリー・コーセイさんの思い出と、主題歌の変遷 : ニュース - アニメハック

    ホーム > ニュース総合 > 特集・コラム > 明田川進の「音物語」 > 【明田川進の「音物語」】第14回 木村昇さん、チャーリー・コーセイさんの思い出と、主題歌の変遷 前回、「はだしのゲン」の劇場アニメについてお話しました。その主題歌は「HARRY」名義で、「TALIZMAN(タリスマン)」というバンドでボーカルを担当していた木村昇さんが歌っています。しゃがれた渋い歌声で、「TALIZMAN」時代から挙げると「姿三四郎」や「未来警察ウラシマン」、特撮では「宇宙刑事ギャバン」の挿入歌などを手がけている方です。「ルパン三世」第2シリーズのエンディング「LOVE IS EVERYTHING」もそうですね。当時僕が関わっていたゴダイゴとも縁のある方で、アニメの歌をやりだしたら、やっぱり今までのアニメソングとは感じが違うというので、みんな飛びついたかたちです。 「ルパン三世」第1シリーズのオープニ

    【明田川進の「音物語」】第14回 木村昇さん、チャーリー・コーセイさんの思い出と、主題歌の変遷 : ニュース - アニメハック
  • 【明田川進の「音物語」】第13回 「はだしのゲン」で広島の子どもを起用した話と西城秀樹さんの思い出

    今回は、1983年にマッドハウスが制作した劇場アニメ「はだしのゲン」についてお話したいと思います。作品の舞台はご存知のとおり広島で、メインの役者は、現地でオーディションをして選ばれた地元の子どもたちに演じてもらいました。 今ではだいぶ多くなってきましたが、大人が子どもの役を演じるのではなく、実際に子どもにやってもらうのがいいのではないかとの意見が当時からでていました。企画当初から、リアルさをだすために広島の子にでてもらおうと言われ、地元の団体と一緒に大々的なオーディションをやることになりました。 オーディションは朝からの1日がかりで、広島に1泊した記憶があります。主役のほかに、同級生など同年齢の子どもが複数でることが分かっていましたから、オーディションでは何人かピックアップすることになり、そのなかで選ばれたのがゲン役の宮崎一成君、進次・隆太役の甲田将樹君らでした。甲田君はたしか広島大付属の

    【明田川進の「音物語」】第13回 「はだしのゲン」で広島の子どもを起用した話と西城秀樹さんの思い出
  • 【明田川進の「音物語」】第12回 音響監督の適性と、本番への強さが問われるオーディションの怖さ

    ホーム > ニュース総合 > 特集・コラム > 明田川進の「音物語」 > 【明田川進の「音物語」】第12回 音響監督の適性と、番への強さが問われるオーディションの怖さ 前回は、声優事務所に入所したジュニアにどんなことを教えているかを紹介しました。今回は音響監督を目指している人にむけて、僕の会社ではどんなことをやっているかを少しお話したいと思います。 といっても、マジックカプセルでは最初から「あなたは音響監督に向いているから」と採るわけではなく、まずは制作として働いてもらっています。そのなかでプロデューサー方面の仕事が向いているとなったら、そちらの方向に進んでもらい、「ディレクションの部分で、面白いものをもっている」となったら、音響のディレクションをやってみなさいというふうになります。その場合も、すぐにテレビアニメをやるのではなく、ゲームやパチンコのセリフ録りをしたり、音響監督の助手として

    【明田川進の「音物語」】第12回 音響監督の適性と、本番への強さが問われるオーディションの怖さ
  • 【明田川進の「音物語」】第11回 声優事務所の新ジュニアに1年かけて教えていること

    僕は、ある声優事務所で定期的に勉強会をやっています。毎年、新ジュニアとして入所してきた新人の子たちを2チームにわけて、15~20人ぐらいの規模で月1回教えているのですが、その内容についてお話しましょう。 ジュニアとは、養成所で勉強をしてきて声優事務所の試験に受かった、プロになったばかりの声優です。声の演技の基礎をすでに学んでいますので、より演技を磨くスタイルの勉強会になります。事務所の会議室にマイクを3~4立てて、僕が実際のアフレコ現場でディレクションを行うのと同じ状態を設定し、最初は台の持ち方やマイクへの入り方といった基礎的なところから入っていきつつ、現場と同じようにダメ出しをしていきます。プロになってから、1年かけてそうした勉強ができる場を提供するプロダクションはなかなかないと思います。 アフレコ用の映像は、製品として完パケになっているものを使います。今のアフレコ現場では、絵が完成

    【明田川進の「音物語」】第11回 声優事務所の新ジュニアに1年かけて教えていること
  • 【明田川進の「音物語」】第2回 音響監督の成り立ちと、「AKIRA」の音楽を芸能山城組に依頼した理由

    ホーム > ニュース総合 > 特集・コラム > 明田川進の「音物語」 > 【明田川進の「音物語」】第2回 音響監督の成り立ちと、「AKIRA」の音楽を芸能山城組に依頼した理由 今回は、音響監督の成り立ちについてお話したいと思います。僕が制作進行として虫プロに入った頃は音響監督という役職はまだなく、「鉄腕アトム」では、フジテレビの別所(孝治)さんというプロデューサーの方がアフレコに立ち会っていました。虫プロの先輩で、のちにグループ・タックを立ちあげる田代(敦巳)氏と2人で別所さんがディレクションを行っているのを見ていて、僕はアフレコ台をつくるために、絵コンテからセリフを原稿用紙に書き写す仕事などをしていました。当時の印刷はガリ版でした。 僕が虫プロに入ったのは、ちょうど「アトム」の放送がはじまった1963年で、はじめて担当したのは杉井ギサブロー監督の回でした。その頃から、音に非常に興味があ

    【明田川進の「音物語」】第2回 音響監督の成り立ちと、「AKIRA」の音楽を芸能山城組に依頼した理由
  • 【明田川進の「音物語」】第1回 予算にあわせたオーディションのやり方と、声のバランスの大切さ

    ホーム > ニュース総合 > 特集・コラム > 明田川進の「音物語」 > 【明田川進の「音物語」】第1回 予算にあわせたオーディションのやり方と、声のバランスの大切さ 最近、面接にきた複数の若い人から、「SHIROBAKO」を見て音響の仕事に興味をもったとの話を聞き、放送される前の「白箱」で見せてもらったんですよ。僕が虫プロにいた頃に一緒だった方など知っている人がたくさん出ていて、アフレコ現場のエピソードでは、ある音響監督をモデルにしたキャラクターがでていました。作中では、若い人が大変なアニメ制作を頑張っていく過程が描かれていて、それを見てアニメの音に興味をもち、ウチの会社を応募してくれているのは面白いなと思いました。このコラム「音物語」では、これまで私が手がけてきた作品のエピソードを交えながら、アニメの音響の現場では具体的にどんなことをしているのか、お話していきたいと思います。 音響の仕

    【明田川進の「音物語」】第1回 予算にあわせたオーディションのやり方と、声のバランスの大切さ
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