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鈴木敏夫に関するprisoneronthewaterのブックマーク (8)

  • ジブリ鈴木敏夫Pに訊く編集者の極意──「いまのメディアから何も起きないのは、何かを起こしたくない人が作っているから」

    宮崎駿作品をはじめとする、数々の名作アニメを生み出してきたスタジオジブリ。その語源であるイタリア語“GHIBLI”と同じ由来によって名付けられた雑誌がある。そのスタジオジブリによって2003年に創刊され、現在も刊行を続けている月刊誌「熱風(GHIBLI)」だ。 (画像はスタジオジブリ出版部| 小冊子『熱風』2018年2月号の特集は「潮田登久子 ロング・インタビュー を撮る」です。より) この「熱風」は、スタジオジブリ関連書コーナーを常設している書店での店頭配布と、定期購読によってのみ入手可能な無料配布の冊子だ(定期購読は事務経費のための購読料が必要)。 ……こう紹介すると、ジブリの関連情報を伝えるパンフレット的なものが想像されるが、さにあらず。確かに「熱風」には、そうした特集やアニメに関する記事が掲載されることもある。 しかしそれ以外の、憲法改正や人口減少といった政治的社会的な問題、エコ

    ジブリ鈴木敏夫Pに訊く編集者の極意──「いまのメディアから何も起きないのは、何かを起こしたくない人が作っているから」
  • 「緊張の糸は、高畑さんが亡くなってもほどけない」――鈴木敏夫が語る高畑勲 #3 | 文春オンライン

    今年4月、映画監督の高畑勲さんが亡くなった。プロデューサーとして支えてきたスタジオジブリの鈴木敏夫氏が語る高畑さんの記憶――それは決して美談ではなかった。(#1、#2より続く最終回) ◆ ◆ ◆ この作品はいつ完成し、世の中に出せるのか。僕としてはいっさい考えていませんでした。完成したときに公開すればいい。そう腹を括って、予算を含めた態勢を組んでいたんです。間に合う間に合わないですったもんだすることに、ほとほとうんざりしていたということもあるし、高畑さんに気のすむまでやってもらおうという気分もありました。結果的に8年の歳月をかけて、日映画史上最大の50億円もの予算を費やすことになるわけですが、僕としてはいっさい焦りを見せないようにしていました。 「かぐや姫」と「風立ちぬ」同時公開というアイデア それでも、完成の目処がついたと報告を受けたときは心が揺らぎました。というのも、西村が言ってきた

    「緊張の糸は、高畑さんが亡くなってもほどけない」――鈴木敏夫が語る高畑勲 #3 | 文春オンライン
  • 「高畑勲監督解任を提言したあのころ」――鈴木敏夫が語る高畑勲 #2 | 文春オンライン

    今年4月、映画監督の高畑勲さんが亡くなった。プロデューサーとして支えてきたスタジオジブリの鈴木敏夫氏が語る高畑さんの記憶――それは決して美談ではなかった。(#1より続く) ◆ ◆ ◆ 当時、高畑さんが作りたがっていたのが『平家物語』でした。企画としてはおもしろいものの、誰が絵を描くのかという問題がありました。宮崎駿が「平家の戦いのシーンを描けるとしたら自分しかいない」と豪語していたほどで、技術的にも非常に難しいことは分かっていました。高畑さんは『山田くん』でも活躍した田辺修に描いてもらおうとするんですが、田辺も頑固な男で、「自分は人が人を殺す話は描きたくない」と言う。 そこで僕が持ち出したのが『竹取物語』でした。言わずとしれた日最古の物語で、高畑さん自身、「誰かがいちどきちんと映画にすべきだ」と言っていたのを思い出したんです。あらためて高畑さんにその話をすると、「誰かが作るべきだとは言い

    「高畑勲監督解任を提言したあのころ」――鈴木敏夫が語る高畑勲 #2 | 文春オンライン
  • 「なぜ高畑勲さんともう映画を作りたくなかったか」――鈴木敏夫が語る高畑勲 #1 | 文春オンライン

    高畑さんが亡くなり、「お別れの会」を終えたいまも、気持ちが収まる気配がありません。徳間康快や氏家齊一郎さん、あるいは親父やお袋が死んだときも、葬儀を終えてしばらくしたら、心の整理はついたんです。ところが、今回はなかなか落ち着かない。気がつくと、すぐそこに高畑さんがいるんですよ。こんなことは生まれて初めてです。それだけ強烈な人だったということなんでしょうけど、正直なところ困っています。 お別れの会でも話しましたが、高畑さんと僕は最後の最後まで監督とプロデューサーでした。ある種の緊張関係がずっとあったんです。 鈴木敏夫(スタジオジブリ 代表取締役プロデューサー) ◆ ◆ ◆ 最初にじっくり話をしたのは、高畑さんが『じゃりン子チエ』を作っているときでした。当時の僕は『アニメージュ』の編集者。制作会社テレコムがあった高円寺の喫茶店でインタビューすることになりました。席に着くやいなや、高畑さんは先制

    「なぜ高畑勲さんともう映画を作りたくなかったか」――鈴木敏夫が語る高畑勲 #1 | 文春オンライン
  • 【BOOK】ジブリ・鈴木敏夫さん「宮崎駿は熱血漢、僕は“のめり込まない”タイプ」 監督の引退宣言は「本当に嬉しかったんです」

    スタジオジブリの名物プロデューサーとして30年以上にわたり、宮崎駿監督を支えてきた。一方で著書、ラジオ番組を持ち、活躍は多岐にわたる。新著のテーマは「文学」だが、宮崎監督が先ごろ引退撤回したのに伴い、再び多忙の日々だ。 (文・竹縄昌 写真・菊和人) --『ジブリの哲学』から5年。今度は『ジブリの文学』です 「編集の方から、に収められていない原稿がたまっているから、それをまとめたらどうか、と。編集者の構成には若さを感じました。宮崎駿との出会いのときに、彼を理解するために読んだ『方丈記』や『方丈記私記』(堀田善衛)のことを書いたエッセーから入って、そして、ジブリの作品に戻る。なるほどと感心しましたね。僕は自分を振り返ることはしないから、自分が書いたものがどんな必要があって書いたんだろうと考えながら読みました。体力がないとこういう構成ってできないし、やろうとしていることが明快でテーマと構成が

    【BOOK】ジブリ・鈴木敏夫さん「宮崎駿は熱血漢、僕は“のめり込まない”タイプ」 監督の引退宣言は「本当に嬉しかったんです」
  • 鈴木敏夫プロデューサーインタビュー『初の外国人監督による“ジブリ作品”制作舞台裏 』 | ORICON STYLE

    スタジオジブリが初めて海外スタジオと共同制作した『レッドタートル ある島の物語』。マイケル・デュドク・ドゥ・ヴィット監督の短編『岸辺のふたり』(2000年)に感銘を受けたジブリの鈴木敏夫プロデューサーの「この監督の長編を観てみたい」という気持ちが出発点となり、高畑勲監督の協力を仰ぎながら、8年の歳月を経て完成した。宮崎駿監督の長編からの引退でジブリの今後への注目が高まっているなか、外国人監督による“スタジオジブリ作品”となる今作の制作の裏にはどのような意図があるのか。ジブリのこの先に向けてのどのような位置づけになるのか。高畑勲監督、宮崎駿監督の近況も含めて鈴木プロデューサーに話を聞いた。 ジブリ作品を外国人監督にオファーした理由 ――今回はスタジオジブリ初の“海外との共同制作”という触れ込みで、鈴木さんがプロデューサー、高畑勲さんがアーティスティック・プロデューサーという肩書でクレジットさ

    鈴木敏夫プロデューサーインタビュー『初の外国人監督による“ジブリ作品”制作舞台裏 』 | ORICON STYLE
  • 押井監督、スタジオジブリのリストラ暴露 - シネマニュース : nikkansports.com

    押井守監督(63)が11日夜、東京・新宿ピカデリーで行われた自身の総監督作品「THE NEXT GENERATION-PATLABOR- 第4章」上映記念トークイベント「第4回 マモルの部屋」で、スタジオジブリの鈴木敏夫プロデューサー(66)に、ジブリの今後について直撃した。 押井総監督はまず、「聞きたいことは、ただ1つしかない。ジブリ、どうするつもりなの?」と質問。宮崎駿監督(73)が昨年9月、長編アニメーションからの引退を発表し、現在公開中の最新作「思い出のマーニー」(米林宏昌監督)以降の動向が注目される中、その真意を問うた形だが、鈴木プロデューサーが「パトレイバーの話、するんでしょ?」とかわそうとした。すると、押井監督は「そんな話、聞いてない。どうするも、こうするも、リストラも必要だろうけど、リストラしたいから、こうするの?」と、スタジオジブリがアニメーターをリストラしていると暴露し

    押井監督、スタジオジブリのリストラ暴露 - シネマニュース : nikkansports.com
    prisoneronthewater
    prisoneronthewater 2014/09/12
    そうや!ナウシカやればええんや!
  • ジブリ鈴木敏夫P、宮崎駿の“跡継ぎ”に庵野秀明を指名 【エンタメ】- 徳島新聞社

    スタジオジブリの鈴木敏夫プロデューサーが26日、都内で行われた『第27回東京国際映画祭』(10月23日~31日)の記者会見場で取材に応じ、「宮崎駿亡き後は、庵野秀明氏しかいない」と太鼓判を押した。隣りにいた庵野秀明氏は「大きく出ましたね~」と笑顔を見せていた。 エヴァ監督・庵野秀明氏のプロフィール 今年の同映画祭は、アニメーションに注力したラインアップを展開することとなり、その目玉として庵野氏の大型特集上映「庵野秀明の世界」が企画された。発案者は鈴木氏。映画祭実行委員会や共催に名を連ねる経済産業省の関係者からの協力要請に鈴木氏は「作家特集をしたらどうか」と提案。「第1弾として、現役だったら宮崎駿だけど、引退してしまったから…」と経緯を説明。庵野氏も「お世話になっている鈴木さんに頼まれたら断れない」と承諾。庵野氏にとっても初となる関連作品の大規模な特集上映が実現することになった。 鈴木

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