ラヴジョイの続きです。 cruel.hatenablog.com 最後の第11講では、この存在の連鎖とか充満の原理、さらにその元になっている神様の異世界性とこの世性の両立が不可能だというのがあらわになって、それが一気に忘れ去られる様子が述べられていた。 cruel.hatenablog.com 今回の第10講は、その一つ手前ということで、その解体の先触れみたいなのがロマン主義として出てきたか、あるいはこの世性みたいなのが嫌われて、全然別の世界を夢想する異世界性指向みたいなのがロマン主義になったとかいう話かなー、と思っていた。 結果で言うと、ぜんぜんちがった。むしろ、存在の連鎖と充満性を強調するような働きが、18世紀ロマン主義として出てきた、というのが主旨となる。まずはお読みあれ (ってきみたち読まないのは知ってるけど)。 ラヴジョイ『存在の大いなる連鎖』第10講:ロマン主義と充満の原理 啓