日本軍に関するprivate_John-Doeのブックマーク (26)

  • やる夫で学ぶ旧日本軍の戦車 第一章 日本の戦車って何? 前半

    -  - 、 / (≡ ≡)ヽ (ヽ (_人_)/^)チハタンばんじゃいだおー ─┬=====┬─┬─┬ ヽ┴-----┴ 、/_ / ==||:|:  :|: 「r-┴──o ____________ |:|:__ :|: ||--┬┘ ̄ |ミ///   /   ~~|ミ|丘百~((==___ └┼-┴─┴───┴──┐~~'''''-ゝ-┤ ((◎)~~~O~~~~~O~~(◎))三)──)三) ゝ(◎)(◎)(◎)(◎) (◎)ノ三ノ──ノ三ノ やる夫達で旧日軍の戦車・装甲車両について解説していくスレです ※注意事項 ・初投稿のド素人です。モノによってかなり見難いかもしれませんが、ご了承いただけると幸いです ・初心者、または初級者向けの解説です。なので所々順序や詳細を省いて説明する場合があります ・投稿は定期的に行うつもりですが、製作状況によって変動するかもしれません 7 : ◆I

    やる夫で学ぶ旧日本軍の戦車 第一章 日本の戦車って何? 前半
  • 飢餓作戦 - Wikipedia

    この項目では、太平洋戦争中のアメリカ軍の機雷作戦について説明しています。 兵糧攻め一般については「攻城戦」をご覧ください。 ナチス・ドイツによる東部占領地域からの糧収奪計画については「飢餓計画」をご覧ください。 B-29爆撃機から投下されたパラシュート付きのMk26機雷。 飢餓作戦(きがさくせん、Operation Starvation)または餓死作戦[1]は、太平洋戦争末期にアメリカ軍が行った日周辺の機雷封鎖作戦の作戦名である。この作戦はアメリカ海軍が立案し、主にアメリカ陸軍航空軍の航空機によって実行された。日の内海航路や朝鮮半島航路に壊滅的打撃を与え、戦後も海上自衛隊の戦術思想や日の海運に影響を残した。 飛行中のB-29爆撃機。 Mk25もしくはMk36機雷。 1945年(昭和20年)3月下旬、沖縄諸島への連合国軍侵攻が迫り、日の東南アジア方面との南方航路は閉鎖に追い込まれた

    飢餓作戦 - Wikipedia
    private_John-Doe
    private_John-Doe 2011/05/15
    大戦末期の米軍の機雷封鎖。1972年でも敷設海域の7%が未処理で機雷5062個が未確認。21世紀に入っても、海上自衛隊は年平均4個を処理。
  • 千人針 - Wikipedia

    千人針(せんにんばり)は、第二次世界大戦まで日でさかんに行われた、多くの女性が一枚の布に糸を縫い付けて結び目を作る祈念の手法、および出来上がったお守りのこと。武運長久、つまり兵士の戦場での幸運を祈る民間信仰である。 概要[編集] 1メートルほどの長さの白布に、赤い糸で縫って結び目(玉結び)を一目つくってもらう。それを千人の女性に一人一針ずつ縫ってもらうことを目標に一枚の布を縫い進める活動。近所の人々や、往来で声を掛けあうのも当時は多くみられた。特例として寅年生まれの女性は自分の年齢だけ結び目を作る事が出来る。これは虎が「千里を行き、千里を帰る」との言い伝えにあやかって、兵士の生還を祈るものである。同様の理由から、ただ単に縫い目を並べるのではなく、虎の絵を刺繍で描いた例も多く見られる。また、穴の開いていない五銭硬貨や十銭硬貨を縫いこむことも行われた。これは「五銭」は「死線(しせん=四銭)」

    千人針 - Wikipedia
    private_John-Doe
    private_John-Doe 2010/08/20
    「千人力」は、千人の男性が「力」の字を寄せ書きする類似の祈願を指す言葉となり、千人力専用の「力」を刻印したゴム印までもが商品化。政府は、日露戦争の頃には迷信であり「頑迷不識の徒」が行うものとして批判
  • 厚生労働省:海外での戦没者の死亡状況について、帰還した元上官らから聴き取りした資料について

  • 太平洋戦争:死者名簿など資料、公文書館に移管へ - 毎日jp(毎日新聞)

  • 戦史叢書の改訂版のこと - 山猫文庫第3版

    昨日の記事で「戦史叢書」について改訂版が出ると書いたのですが、その後に気になって防衛研究所の公開情報を確認したところ、あまり期待しすぎないほうが良いみたいです。 改訂版がでるという情報のソースとしては、2003年8月12日の読売新聞の報道があります。読売新聞によれば、戦後の安全保障なども盛り込んだ全面改訂版をCD-ROMの形で出すといい、「約10年後」(当時。つまり2013年頃)に1巻目を出したいとなっていました。 ところが、当の防衛省防衛研究所戦史部(今の「戦史叢書」を出した時には防衛庁防衛研修所戦史室だった部署)は、この読売報道よりあとの時期に、戦史叢書の改訂版や要約版の発行について、戦史部の能力・組織・時間的に多くの困難があるとしています。これは、2007年(平成19年)に戦史部主催で行われた戦争史研究国際フォーラムにおいて、加賀谷貞司戦史部長が、議長総括の中で述べているものです(注

  • 時事ドットコム:帰還者の聞き取り資料公開へ=「研究者にも重要」−長妻厚労相

    帰還者の聞き取り資料公開へ=「研究者にも重要」−長厚労相 帰還者の聞き取り資料公開へ=「研究者にも重要」−長厚労相 太平洋戦争で死亡した旧軍人・軍属に関する未公開資料の一部について、厚生労働省は年内に公開することを決めた。歴史的価値が高いと判断し、国立公文書館への移管も進めるという。長昭厚労相が5日の閣議後会見で明らかにした。  公開を決めたのは、帰還者から所属部隊員らの生死などを聞き取った資料。終戦直後から昭和30年代にかけて作成され、旧陸軍、海軍から引き継いだが、同省内の倉庫に埋もれた状態だった。(2010/03/05-12:54)

  • toppage

    The Gallery of Japanese Wartime Merchantships (and some rubbish)

    private_John-Doe
    private_John-Doe 2010/01/27
    「戦時輸送船ビジュアルガイド・日の丸商船ギャラリー」の岩重多四郎氏のサイト。
  • 鋼棺戦史(第1部ノモンハン・第1章・後編) - 山猫文庫第3版

    1.軽騎兵の突撃(承前) 5月29日0030時、小松原第23師団長は、山県支隊の攻撃が成功してソ蒙軍はほぼ一掃されたと誤認して、ハイラルへの帰還命令を発しました。それどころではない山県支隊長は、もう1日だけ攻撃を続ける旨を報告します。 同日未明、増援の第149狙撃連隊の到着したソ連軍は、取り残されている東捜索隊に攻撃を再開します(*1)。夜間のうちに壕を掘り直して、ささやかな強化を施した東捜索隊の陣地に、自走砲と対岸の砲兵の砲弾が降り注ぎます。うち自走砲中隊が、日側の車両置場に効果的な砲撃を加えました。0600時には車両置場への着弾が相次ぎ、乗用車が発火、5日分の予備燃料を積んだトラックも炎上、貴重な92式重装甲車も含めて車両は全損してしまいました。 歩戦協同の攻撃も反復されました。特に化学戦車による火炎放射が脅威を与えたようです。接近してくるソ連軍装甲車両に対して、日兵は重装甲車が健

    private_John-Doe
    private_John-Doe 2009/12/15
    ほう。「ブイコフ上級中尉ら幹部の多くは左遷されています(*4)。」
  • 日本海軍特務士官制度大辞典・李香蘭と河喜多長政(東宝東和創業者)、その父河喜多大治郎砲兵大尉

    このHPに書かれています内容は郷洋一が書いたものです。 文の無断引用以外の単純なリンクはフリーです。 このようなものこそインターネットで読者と共に少しずつ作り上げていくのに相応しいものだと思います。 願わくば、読者との麗しい協働が成功しますように。 掲示板が更新履歴になっています。先にそちらにザーッと目を通していただければ、いくらか読みやすくなります。 2007年2月 郷 洋一Hongo Yoichi

  • index.html

    This Page is Japanese Only. SINCE-2659.12.14 藤田兵器研究所 新刊案内 光人社より拙書「写真で見る海軍糧史」が発売されました。書店で御覧いただければ幸いです。 画像は色校です。 謹賀新年 二六六八年 藤田兵器研究所へようこそ。 当研究所は大日帝国陸軍の歩兵兵器を研究・紹介するホームページです。 当HP掲載の写真・図版類は、所長が収集した国軍の教範類を使用したもので、データー類も当時の状況を正確に把握することを目的として、国軍発行のオリヂナルスペックを紹介しております。 最終更新日-2008.1.7 「桜と錨」様のHP「海軍砲術学校」とリンク。 ★過去の更新 1.6 「研究所写真館」の「戦車室-1」で「試製重装甲自動車」を公開。 1.4 「研究所写真館」の「戦車室-1」で「試製軽装甲自動車」を公開。 1.2  「研究所写真館」の「戦車室-1」で

    private_John-Doe
    private_John-Doe 2009/11/23
    満州国軍とかの資料も豊富。メイドさんドールを使った兵器用法解説あり。
  • 靖國偕行文庫|靖國神社

    靖國会館一階にある靖國偕行文庫は、靖國神社御創立130年を記念して平成11年10月7日に開館しました。当文庫は、靖國神社に鎮まる英霊の戦歿された当時の調査資料を整備し、その御遺徳を顕彰するとともに、後世の研究に資することを目的とした図書館で、財団法人偕行社より建物と蔵書が奉納されたことから、この名が付けられています。 靖國偕行文庫には現在、靖國神社の蔵書を併せ約14万冊の図書資料が収蔵されています。神道関係の資料をはじめとして、蔵書の多くは戦史・戦記・部隊史・教程・教範類・英霊の追悼録・回想録等の日近代軍事史関係資料です。 当文庫内には、閲覧室が設けられており、どなたでもこれら図書資料を利用することができます。 詳しくは「ご利用案内」をご覧ください。 靖國偕行文庫からのお知らせ・開館日スケジュール

  • ノモンハン地名リストと詳細地図 - 山猫文庫第3版

    ノモンハン事件関係の地名などをあれこれメモ。 それから、作成した戦場地図を掲載。 なお、停戦後の国境画定については別記事の地図参照。 <地形> ・ゴル:河川。ゴール。 ・ノル:湖沼。ノール。 ・~水:湖沼のうち淡水のもの。 ・~湖:湖沼のうち塩水のもの。 ・オボ:石積み。モンゴルの道祖神らしきもの。オボー。 ・スメ:廟。仏教寺院。 ・オーラ:山。「~オリーン・オボ」は「~山オボ」。 ・ウンドルルク:丘。 <一般地名> ・ノモンハン:ノモンハン・ブルド・オボ。ノムハン。ソ連側主張国境要点。 ・将軍廟:日側前線司令部所在。ジャンジン・スメ。(ソ連側一部地図ではヨシマル付近に誤記) ・デブデン・スメ:ソ連側地図では満州領内ドロト湖北方12km付近だが詳細不明。しばしば将軍廟と混同。 ・ハロンアルシャン:阿爾山。温泉。日側鉄道端末の一。ハンダガイ南東。 ・ハイラル:海拉爾。日側鉄道端末の一。

  • ノモンハン事件後の国境線 - 山猫文庫第3版

    ノモンハン事件後の外交交渉では国境線画定の交渉が行われました。 チタやハルピンでの会談の後、モスクワでの1940年6月の会談で一応の協定に達しています。範囲はボイル湖以東、アルシャンに至るまでのハルハ河流域です。ソ連側はアルシャン地区を対象とすることには難色を示したようですが、現に戦闘が行われた地域だとの日側主張が通っています。 ただ、現地作業段階で、地図上にはあったオボが現存しなかったなどの問題から一時中断。最終協定は1940年8月15日、現地作業完了は同年10月15日にずれ込んでいます。 画定後の国境についてあまり良い地図が無いようなので、かなり適当ですが作図してみました。戦史叢書「関東軍(1)対ソ戦備・ノモンハン事件」収録の地図を基礎としています。なお、戦場の詳細地図は別記事参照。 ソ連・モンゴル側主張線は、戦史叢書において、日側が鹵獲した地図によるとされているものを基としてい

    private_John-Doe
    private_John-Doe 2009/11/23
    戦史叢書「関東軍(1)対ソ戦備・ノモンハン事件」収録の地図を基礎
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    private_John-Doe
    private_John-Doe 2009/11/13
    WW1で矢矧乗員にインフルエンザ大流行
  • http://miera.fm/radio/callsign/index.html

    private_John-Doe
    private_John-Doe 2009/10/19
    戦時下の特殊放送事情ほか。謀略放送へのジャミング等。
  • 『海なお深く~太平洋戦争 船員の体験手記』 - 寅の子文庫の、とらのこ日記

    太平洋戦争中、軍部陸海軍に徴用され、戦争海難に遭い沈没した商船は100総トン以上で2,394隻、実に800万トンを越えるという。その沈没原因は雷撃によるもの56,5%、以下、空爆30,8%、触雷6,7%、他普通海難事故による沈没4,9%と続く。船員たちも軍人に倣い「特攻戦士」としてドラム缶をデザインした特攻マークを付け、死の海へ送り込まれた。わずか数10トンの木造カツオ鮪漁船が特設監視艇に艤装され、元より火器小銃もなく双眼鏡すら持たされず監視任務に就いた。それは同時に敵を発見したとき、自らの死を意味していた。 【海なお深く~太平洋戦争 船員の体験手記】 ・全日海員組合編/新人物往来社/初版1986/A4上製393頁 書は第一章から第6章までに42話の手記が掲載されている。 軍部に徴用されて死の海を彷徨った船員たちの魂の叫び。 ・巻頭8ページ写真15枚 ・巻末解説 「表1~開戦後の船舶徴

    『海なお深く~太平洋戦争 船員の体験手記』 - 寅の子文庫の、とらのこ日記
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    private_John-Doe 2009/03/05
    転覆写真が有名な海防艦1号は、米軍機の機銃掃射で当時乗艦175名全員戦死(うち20名は収容後死亡)。戦闘中とはいえ容赦無い。
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    private_John-Doe 2009/02/18
    水上特攻戦力。「無風でないと利用出来ない様な艇で、一体どれだけの損害を敵に与える事が出来たのか、今となっては仮説の域を出ませんが、恐らく、連合軍の損害は毛筋ほども無かったかも知れません。」
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    private_John-Doe
    private_John-Doe 2009/02/18
    軍旗の拝受と終戦時の奉焼のあれこれ
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    private_John-Doe
    private_John-Doe 2009/02/18
    第344師団「農家の仕事を手伝ってその家で昼食を分けて貰うと言う状況で、水筒は竹筒、食器も既にアルマイトなどの金属製食器が利用出来なかった為、竹を輪切りにしたもの」