50年前、米統治下の沖縄で人々が怒りを爆発させた。約80台の米軍関係の車両を焼き打ちした「コザ騒動」から今年で50年。当時米軍からも「おとなしい」「従順」と見られていた沖縄人がこのような行為に出た背景には、沖縄戦から続く哀しみの歴史や、米軍人・軍属による犯罪を罪に問うことができない不条理の蓄積があった。なぜあの事件が起きたのか、その後何が起きたのか、主に女性たちの証言から見つめ直す。(琉球新報・玉城江梨子) 【写真特集】5000人が米車両焼き討ち 真夜中の空が真っ赤に染まっていた。外国人車両であることを示すイエローナンバーの車が倒され火柱が上がっている。「たっくるせー(こらしめろ)」「やな(嫌な)アメリカーや」「燃やせ、燃やせ」と叫ぶ人々の声。よくやったと称賛するかのような指笛の音も聞こえる。沖縄で祭りや祝いの席で踊る「カチャーシー」を踊っている人の姿も。「コザが燃えている」という知らせを