<事実の錯誤と故意責任の本質> 「事実の錯誤の論証で故意責任の本質から論じるのは誤り」という批判を耳にしたことがある方もいると思います。本稿では,この批判について分析を試みます。 批判されている論証は,以下のような論証です。 ①故意責任の本質は,規範に直面しつつ反対動機が形成可能であったにもかかわらず,あえて実行行為に及んだことに対する道義的非難である。②そして,規範は構成要件の形で与えられている。③そうだとすれば,行為者の主観と客観が構成要件の範囲内で符合していれば,行為者は規範に直面し反対動機が形成できる(道義的非難ができる)ので,故意は認められる。 「故意責任の本質」という用語を使うこと自体が不適当ということもあるのですが,今回は割愛します。「ある法規を適用するための要件が何かを考える際に,その法規の効果にまず着目し,そのような効果を与えるのにふさわしいのはどのような場合かを考えると