今日でちょうど、ブログを開始してから半年が経過しました。 毎日投稿した最初の3ヶ月。 それまでのやり方や記事の内容に違和感を感じて、100記事に届きそうだったものを約半分削除。 少しお休みして再開。 1日おきの投稿に変えて少し気持ちが楽に。 今は2日おきに変えてさらに気持ちに余裕を持つことにしました。 今日は本当はブログをお休みする日だったのですが、ちょうど半年だったので投稿しました。 半年の間に色々な気持ちの変化と成長があったと思います。 私にとっては更新の頻度はさほど重要ではありません。 自分が心地よいペースで、自分の思いを発信する場を持ち続けることが目的です。 他人のやり方や自分の今までのやり方に固執することなく、その時々でベストだと思うやり方をしていきたいと思います。 いつも似たようなことばかり言っていますが、私が言いたいことって多分ほんのちょっとのことなんです。 すごく単純なんで
先日、最近気になる言葉として「気遣い」と「心遣い」の記事を書きました。 今日はもう1つの気になる言葉として「変化」と「進化」について思うことを書きたいと思います。 ここ2~3年で私は、180度とまではいかないかもしれませんが、相当内面が変わりました。 先日の「自分に寄り添うノ―トを読み返してみた」の記事では、トンネルを抜けた話をしました。 トンネルの中にいた時と、抜けて視界が明るくなった今とこれから先…同じじゃないよね? 何が変わる? 変わる…そう私は少しずつもがきながら変化してきたんです。 変化した結果、自然と大丈夫だと思えるようになった。 だったらもう変化は終了してる。 次は何? 進化じゃない? と、こんな風に思ったわけです…。 単純ですか?(笑) もがいていた時の私は、自分に対する無価値感と虚無感の気持ちでいっぱいでした。 何だか借り物の人生を歩んでいるような感じで、本当に自分の足で
皆さんは毎晩夢は見ますか? 私は大体毎日何かしら見ています。 ただ起きるとすぐに忘れてしまいますが…。 ついこの間まで、何日間も実家の家族や学生時代の友人たちが立て続けに夢に登場していました。 内容は忘れましたが、現実ではまずなさそうなすごく変なシチュエーションだったと思います。 立て続けだったので不思議でした。 夢といえば、忘れられないものが一つあります。 1~2年前だと思います。 夢の中の私はまだ小学生くらいの子どもでした。 そして登場人物はもう一人。 顔がぼやけて見えない男の人のようでした。 父親のように大きな包容力のあるような存在です。 そのような雰囲気だというだけで、実際の父親ではないです。 そして私は、その男の人だと思われる存在に両手を広げて思いっきり抱きつきました。 それと同時に、その人が頭をなでてくれました。 その瞬間に、言葉で表現するのは難しいのですが、全てが解放されて、
何か新しいことを始めようと思うとき、理想とするゴ―ルを思い描き、目標設定することが多いと思います。 私の場合、今までだったら最初から高いレベルを想定してハ―ドルも高めに設定していました。 目標を高くするのは、向上心の現れでもあるので悪いことではないと思います。 でも大体の場合において、最初からうまくいくことは稀なので、挫折して自信を失うということになりがちでした。 年代や性別が同じだったり、境遇が似ていたりすると、どうしても比較の対象になりがちです。 あの人は出来ているのに、自分は出来ないと思って落ち込んだり、 逆に、自分のほうが出来ると優越感に浸ったりということは、誰しも経験がありますよね、多分…。 私はありますよ。最近はだいぶなくなりましたが…。 でもちょっと考えれば分かることですが、人は皆違うのです。 学校の同級生の女子、もしくは男子は年齢が同じだし、場合によっては境遇も似ているかも
ブログ更新を一時休止して一番最初にやったこと。 それが「思考のクリ―ニング」です。 私は記事を書くために、日々ピンと来る言葉に出会ったら、下書きに仮タイトルをつけて、本文にキ―ワ―ドや短文を書き込んでいます。 気がつくと、それが何十個にもなっていたりします。 まずはそれを整理しようと思い、一通り目を通しました。 そうしたら、その言葉たちから連想される内容が、あまり明るくないものばかりでした。 自分としては大事なことだと思う。 でも思考のパターンが偏っていて、これはよくないな、と思いました。 自分の心の中を駄々漏れにするような伝え方はよくない、と思いました。 これは本音を言ってはいけない 我慢しなければいけない ということではないです。 言い方が大切、ということです。 きちんと自分の意見を言いながらも、良好な人間関係を築いている人は、 話し方が穏やかだったり、 言葉選びが上手だったり、 適度
「BAR CAMPANELLA」――ここは東京・表参道の青山通り付近にあるバー。エグゼクティブなビジネスパーソンや各方面のスペシャリストたちが夜な夜な集い、「大人の会話」を楽しんでいる。毎週木曜日にこの店に通い、時代の最先端を行く人たちの刺激的な話を聞くべく、今回はカンパネラ編集長の瀬川明秀がカウンターの席に着いた。今宵のゲストは、ゲーム総合誌『週刊ファミ通』の元名物編集長で、現在はカドカワ取締役、ファミ通グループ代表を務める浜村弘一氏。1986年の『週刊ファミ通』(当時は『ファミコン通信』)創刊から30年、日本の家庭用ゲームの歴史とともに歩んできたゲーム業界の生き証人が未来を予測する。浜村氏が考える未来のエンタテインメントに、瀬川が迫る。 息子と一緒にゲームができるお父さん…… 瀬川:今日は、ゲーム総合誌『週刊ファミ通』でらつ腕を振るわれてきた浜村さんに、ゲームから読み解く過去と未来とい
今回は男性性と女性性について考えてみました。 男性性と女性性は実際の性別のことではなく、心理的精神的な部分での男性らしさ、女性らしさを表すもののことです。 どちらの性別であっても、一人の人間の中には男性性と女性性が存在します。 その割合は人それぞれです。 男性性と女性性を一言でずばり言い表すとしたら何かな?と考えた結果出てきた言葉は… 男性性は「優越」 女性性は「均衡」 この言葉がしっくりくるな…と思いました。 男性らしさといえば、肉体的な強さや大きな権力を手に入れたり、弱肉強食の競争に勝ち優越感を抱くことで満足する…そんなイメージがあります。 一方女性らしさは、肉体的な強さや権力には重きをおかない、比較による優越感で己の価値を測るのではなく、全体の調和を大切にする…そんなイメージです。 今の世の中は、どっちが幅をきかせているかというと、圧倒的に男性性です。 女性も男性も、男性性が強い人ば
先日、父が急に倒れました。 幸いにも大事には至らずに、比較的簡単な手術ののちに一週間ほど入院して元気に退院しました。 病名は「慢性硬膜下血腫」 慢性硬膜下血腫は、忘れてしまうような軽微な頭部外傷などの後、通常1~2ヶ月かけて、頭蓋骨の下にあり脳を覆っている硬膜と脳との隙間にじわじわと血が貯まってくる病気。 血腫が脳を圧迫した結果、頭痛、物忘れ、認知症症状などの精神症状、失禁、半身に力が入らない、歩行障害、などの症状を呈する事が多い。 今から2ヶ月ほど前に「父の日に感じたこと」という記事を書きました。 この記事の最後の方で、私は父と久しぶりに電話で会話した時の違和感について触れています。 耳が遠いせいもあるとは思いますが、今までと違ってまともな意思疎通ができなくなっているような違和感を抱いたんです。 喋り方もぎこちないし、私が話した内容に対する返答もいまひとつ??な感じ…うまく表現できません
有名な寓話ですね。 うさぎとかめは山の頂上を目指し競争をしますが、途中でうさぎが居眠りをしたことで、かめが先にゴールし勝利をおさめるというお話です。 ウサギとカメ - Wikipedia ネット検索すると、「うさぎとかめ」のお話について考察している記事がたくさん出てきます。 それによると、「うさぎとかめ」のお話から得られる教訓として主に3つ提示されています。 ①自信過剰で物事に取り組んではいけないということ ②コツコツと真面目に努力すること ③競争相手ではなく、ゴールを見ること どれも正しいと思います。 ①自分の能力に慢心したうさぎは、勝負に敗北しました。 ②うさぎと比較せずに、自分のペースを貫いたかめは、最終的に勝利しました。 ③うさぎは、ゴ―ルではなくかめを見ていた。 かめは、うさぎではなくゴ―ルを見ていた。 深い教訓が得られるお話として、よくまとまっていると思います。 でもここではも
今日は、最近気になる言葉について少し考えてみました。 その言葉とは、「気遣い」と「心遣い」です。 どっちも似たような意味なので、普段自分が人に対して行っているのが「気遣い」なのか「心遣い」なのかちゃんと認識している方は少数ではないかと思います。 どちらも人に対する思いやりを表す行為ですから、どちらが良いとか悪いの話ではないです。 でもちょっと深掘りして考えてみると、対人関係において自分がどういう心理状態で接していて、それが双方にどんな影響をもたらすかについて明確にするヒントになるのでは、と思います。 以下は辞書的な言葉の意味とは関係なく、「気遣い」と「心遣い」に対して私が個人的に抱くイメージです。 「気遣い」 疲れる 損得感情に左右される 上下関係に影響を大きく及ぼす 片想い 「心遣い 」 疲れない (疲れにくい) 自分の心が満たされる 上下左右のない対等な関係 両想い ざっくりと簡単に
私はよく色んな記事の中で、宇宙的な視点から見たら善も悪もない…とか分かったような口ぶりで最もらしいことを言っています。 たまたまそういう記事を読み返すことがあると、何か偉そうに言ってるな~と恥ずかしくなることがあります。 それはさておき、本当に善も悪もないのか? 私は宇宙全体を見渡せるほどの視野を持っているわけではありませんから、実際のところは分かりません。 でも人間的視点から見た場合に、生きやすくなる方法の一つとして、「正しさにとらわれない」を軸においておくといいのではないかと思っています。 つまり絶対的な善と悪という固定された定義を持たないほうがいいということです。 もちろん自分の中での善悪基準はあってもいいし、その基準に基づいて言動を判断するのは問題ありません。 もし集団の中で生きていくのに自分の基準が適していなければ、自分の周囲から人が消えていくでしょうし、法に触れればお縄になりま
ブログを書くようになって、やり始めたこと。 それは、 「自分の意識を毎日リセットする」こと。 ちょうど一週間前に、ブログで自分を表現するようになって心が軽くなった、という記事を出しました。 確かに軽くなってます。 でも迷いや葛藤もあります。 年末年始を除いて、今のところ毎日更新しています。 特に絶対毎日更新を目標にしているわけじゃなく、 日々様々なキ―ワ―ドが思い浮かぶので、コツコツ記事を書き溜めた結果、 今のところ毎日になっているという感じです。 このブログをよく読んでくださる方は、私が書く記事の傾向をある程度わかっていらっしゃると思います。 記事の執筆にはだいぶ時間をかけて慎重にしています。 言葉が諸刃の剣になることが分かっているからです。 まだまだ言いたいことをだいぶ抑えています。 「こういうことが言いたい!」と思って、最初に書き上げた文章は、だいぶ尖っていたりします。 そのままでは
今の時代、はっきりと口にすると問題になってしまうテ―マというのが諸々あります。 そういうことについて語るのは非常に難しいです。 そんな状況下でも、工夫しながら伝える努力をされる方々もいらっしゃいます。 でもそういう方々の言葉って直接的でなかったりするので、理解するのが難しい場合もあります。 真意を汲み取ることが難しいんですね。 重要なことを言っているのに、大したことを言っていないような気がして、うっかりスル―してしまう。 それぐらい、さらっとすごいことを言っている…。 そのメッセージにピンとくるかどうかは、頭じゃなくて心で聴けるかどうかだと思います。 いつも外側の情報に影響されすぎて、自分の内側と繋がることを怠っていると、直感が働かなくなります。 「なんかおかしいよね?」 「これって本当なの?」 って疑問すら抱かなくなります。 結果、盲目の羊になってしまいます。 具体的で分かりやすい、目先
今はとくに出会いと別れのシーズンではありませんが、ふとこのことについて思ったことを書きたくなりました。 人は毎日同じような生活を送っているようでいても、全く同じ日はありません。 毎日毎日一歩ずつ最期を迎える日に向けて歩み続けています。 変化をしています。 多くの人がリアルな世界でもSNSの世界でも、たくさんの出会いと別れを繰り返していると思います。 出会いは嬉しいけれども、別れは辛かったり悲しかったり怒りを覚えたりと複雑な気持ちで迎えるパターンも多いかと思います。 入学や卒業や引っ越しなどの物理的に離れてしまう別れではない、人の意思に基づいた別れに関しては色んなパターンがあると思います。 自分から離れるパターン 相手に去られてしまうパターン お互いに離れることを選ぶパターン 色々ありますね。 離れるというのも、完全に繋がりを断つ場合と距離をあける場合とがあります。 細かい分類はここでは問題
すごいタイトルになってしまいました。 皆さん、人から面と向かって冗談ではなく真剣に鬼のような形相で「頭がおかしい!」って言われたことはありますか? 私はね…あるんですよ。 もう数ヶ月前のことですが、相手は今年で結婚生活16年目に突入した夫です。 今思い出してもすごかったですね…私のことをまともな意思疎通ができなくなった異星人を見るかのような目つきで、「頭がおかしい!」と何十回も言っていました。 私が、夫にはどう考えても信じられない、ありえないと思うような意見を言ったからです。 この記事で私が書きたかったことは、 「悲しかった」 「傷ついた」 「腹が立った」 とか、そういうことではないです。 人から頭がおかしいなんて言われたのは初めてです。しかも何十回も。 びっくりはしましたし、確かに悲しかったし、傷ついたし、腹も立ちました。 でもね、その感情はごく表面的なものでしかありませんでした。 その
皆さま、おはようございます。 突然ですが、今日からしばらくの間、ブログ更新をお休みすることにしました。 色々と思うところがあり、一度リセットしようと思います。 昨日、今までに書いた記事を大量に修正したり、記事そのものを削除したりしました。 どなたか教えていただきたいのですが、 公開済みの記事を修正して更新した場合も、読者の方に通知が届いてしまったりするのでしょうか? 昨日アクセス数が多かったので、もしかして大量の更新通知が届いてしまった方がいるのかと思って、 だとしたら、大迷惑だなと思いまして…。 もしそのような方がいたら、大変申し訳ありませんでした。 想いを込めて書いた記事 スターをたくさんつけてもらったり コメントを書いてくださったり ブックマークしてくださった記事も だいぶ削除してしまいました。 申し訳ありません。 数日前から、何となくモヤモヤしながらの更新をしていました。 昨日、「
何十年も生きていると、小さなものから大きなものまで様々な傷を誰もが負ってきていると思います。 癒えている傷もあれば、癒えずにトラウマになっている傷もあるかもしれません。 傷は痛いですから、なるべく負いたくないと思うのが人情です。 傷が深ければ、傷跡が消えるまで時間がかかる…場合によっては一生残る場合もある。 一見、傷は自分の人生における負の遺産のように思われます。 負の遺産を抱えていることで、得?するかも?しれないとしたら、人から同情してもらえる、不幸自慢できる…ことぐらいじゃないか…。 そんなふうに思う方もいるかもしれません。 実際に、人から注目を集めるための身の上話をしたがる方や楽しそうに不幸自慢する方はいらっしゃいますよね。 傷を負いっぱなしじゃ悔しいから、同情や不幸自慢という形に変えて失った何かを回収しようとする。 ちょっと厳しい言い方かもしれませんが、私も含めて人にはそういう側面
人から心のこもったプレゼントを貰うと嬉しいものです。 プレゼントとは物だけに限らず、人からの「言葉」や「行動」も含めます。 そしてもう一つ、追加したいものが「経験」です。 人は、一人きりでいては色々な経験が出来ません。 どんな内容であれ、外の世界と関わりを持つからこそ経験を積むことが出来ます。 「良薬口に苦し」という言葉がありますが、苦い経験ほど自分の成長を促し、気づきを与えてくれる側面があります。 例えば、飛び級出来てしまうような優秀な子にとっては、同級生と同じ勉強をするのはものすごくつまらないし、苦痛だと思います。 その場合は、自分のレベルに合わせて難問に取り組んだほうが、例え苦戦したとしても生き生きとすると思います。 自分が断トツでトップでいられる楽な環境よりも、あえて厳しい環境を選ぶ。 それは、そのほうが自分の人生にプラスになるという考えに基づく選択。 今のは分かりやすい例えの一つ
今年最後の更新です。 皆さんは一年前の自分がどんなことを思っていたか、思い出せますか? 私は一年前のことがつい最近のようにも感じます。 年齢を重ねれば皆そのように感じるようになるのでしょうが、この一年は本当に早かった。 そして私自身にとってものすごく中身の濃い一年でした。 振り返ってみれば、世界も日本もまさか!と思うような出来事がたくさん明るみになりましたね。 今までの不自然な世界の膿出しが本格的にスタートしはじめたような年だったのではないでしょうか。 外側では色々なことが起こりますが、文句を言っていても自分の目に映る世界の様子は変わりません。 結局、全ては自分なんですね。 世界が良くなるために、日本が良くなるためにはこうあるべきだ、こうすべきだ、と皆が真剣に考えることは大切だと思います。 でも自分の半径数メートル以内の世界を良くすることのできない人々が、日本全体や世界平和について持論を展
自己中心的な人は嫌われます。 他者のことを考えたふるまいをしましょう。 小学校に入学するよりも前から大体の人は、親や周囲の大人たちからそう教えられると思います。 私も自分の子どもにそう教えてきたし、調和して生きていくために必要な考え方だと思います。 自己中心的という言葉は、ほぼほぼ悪い意味で使用されます。 自分さえ良ければ他人はどうでもいいとか、我儘で自分勝手な考えを持つ人のことを自己中心的と表現します。 じゃあ自己中心の反対で他者中心なら素晴らしいのか…というとそんなことはないと思います。 自分よりも他者を優先させることが何より尊いとなってしまうと、それはただの自己犠牲になってしまいます。 自分がすでに満たされていて、その上で他者に尽くすことが自分の喜びに感じるのならそれは「献身」になります。 でも自分が満たされていなくて、その何かを補うために他者に尽くすのはただの「自己犠牲」です。 「
ここ2年ほどで、今までの人生で起きてきた数々の出来事がどう今につながっているのか、その伏線を回収するための振り返りを頻繁に行うようになりました。 今まで起きてきたことの意味を知る。 これはすごく大切なことだと思います。 過去にこんな楽しいことがあった、あんな辛いことがあった。 人生色々あるよね~…。 と、こんな薄っぺらい認識(言葉が悪くてすみません)では、せっかくの経験が十二分に活かせません。 今ここにたどり着くために全ては起きたことだと、深く実感しています。 ようやくここまで来たかぁ…。 私、登山経験はほとんどないですが、今は山の中腹でちょっと休憩してる感覚です。 ちょうど人生の折り返し地点にあたる年齢ですから余計にそう思うのかもしれません。 過去の出来事は、現在を形作るための布石であるという考えに基づくと、時間の流れる方向性に対する認識も変化します。 時間は過去→現在→未来という一方向
一時期、ミニマリストがブー厶のようになりましたが、最近はどうなんでしょうか。 私はもう何年も前ですが、ミニマリストにものすごく魅力や新しさを感じて、そうなりたい!!とはまっていた時期がありました。 自称ミニマリストという人のブログを読んだりYouTubeを見たりして、生活道具や収納方法、洋服の着回し方などを取り入れようと熱心に取り組んでいました。 元々私は、女性の割には持ち物が少ないほうだと思うので、ミニマリストになることは私にとってはさほど大変なことには感じませんでした。 整理整頓するのが好きですから、むしろ不要なものを処分したり、すっきり収納したり、少数だけれどお気に入りの洋服だけで過ごす生活は快適です。 今の私が実生活においてミニマリストかどうかは分かりませんが、考え方自体はミニマリストだと思います。 ですが、過去にやたらとミニマリストになろう!!と思っていた時期はちょっと方向性が間
皆さま、毎日の決まった習慣はありますか? ブログの毎日更新も習慣ですよね。 私の習慣は、毎日の家事全般と、お風呂上がりの約20分のストレッチと軽い運動をすることです。 ピアノを弾くとか本を読むとかブログ記事を書くのは、やらない時もあるので毎日の習慣ではないです。 今回は習慣化したほうがいいこと、そうでないことを分けたほうが心地よい生活を送れる、というお話です。 どこで線引きをするのか? それは一人一人違うので、決まった正解はないと思います。 ただ、線引きの基準として、 「何のためにそれをしているのか?」 その目的を忘れないことが大切だと思います。 私の場合、家事全般は、自分も含めて家族が毎日快適に生活するために必要だからしています。 ストレッチと運動は、自分の健康と美容を維持するためにしています。 ピアノも読書もブログも大切です。 でも気分が乗らないこともあります。 私にとって、この3つは
おはようございます。 昨夜、地震がありましたね…。 皆さま、大丈夫でしたか? 被害が最小限で済むことを祈ります。 備えはいつでもしておく必要がありますね。 ここから今日の記事に入ります。 今更なんですが、人に誤解されないように真意を伝えるって難しいですね。 前回の「0か100の思考」を公開後に考えていました。 人によって受け取り方がまるで違うんだろうな…と。 例えば、「善悪で対立している場合ではない」 この言葉に、もやっとしたりイラッとしたりする人がいるだろうと思います。 苦しんでいる人がいるのに何言ってるのこの人?? って思う人、今の世の中たくさんいると思うんです。 念のため言っておきますが、私はごく一般的な善悪の基準は持ち合わせていると思いますよ。 苦しんでいる人がいるならば、早く解放されてほしいと願っています。 でも世の中の流れを冷静に理解するには、一旦私の個人的な気持ちは脇において
共感とは…他人の考えや感情に対して、自分もその通りだと感じること。 尊重とは…尊いものとして重んずること。 良好な人間関係を維持するために必要なことは、相手に対して「共感」や「尊重」する態度を示すことだと思います。 他人を「尊重」することは、基本的にはいつでもしたほうがいいし、自分もされたいですよね。 でも「共感」に関しては出来る時と出来ない時があります。 共感できない、もしくは共感してもらえないからといって、その人間関係がだめというわけではないです。 そんな違いがある時こそ、「尊重」する、またはしてもらえることで良好な人間関係をキープできます。 前置きが長いですが、「共感を得ようと思うのをやめる」ことで自分が楽になるし、近くには残るべき人が残る…そんな話をしようと思います。 今は個人がSNSで発信をすることで、ものすごい数の人と繋がれたり、一躍有名になることも可能な時代です。すごい時代で
今日の内容は、ちょっと反発心を若干掻き立ててしまう内容かもしれません。 ご承知おきの上、読み進めてください。 こんな記事出すのやめとけ!!っていう自分の声を無視して公開したので、数日後には削除します。 世の中が激変したことで、私が得たもの。 それは免疫です。 体ではなく、心のほうです。 体のほうも、健康意識が高まったおかげで昔より体調がいいと思います。 そして免疫がついたことで、余計な不安や恐れを抱かなくなりました。 人々に自分は無力だと思わせ、狭い檻に閉じ込めておく一番簡単な方法はなんでしょう? それは、不安と恐怖を一定の感覚で繰り返し与えていくこと。 そのことに気づいた人は、不安と恐れを手放してどんどん自由になっていくと思います。 この世界で起きている様々なことは、ノンフィクション……ではなくフィクションだらけ… かもしれませんよ。 何があってもおかしくない世の中です。 全てノンフィク
今日は「人生いろいろ」について語ります。 島倉千代子さんの代表曲のタイトルと同じです。 小学生の頃に「人生いろいろ」を聴いても、一体何のことやら…?という感じでしたが、今なら味わい深く聴けるなと思います。 少しは人間として成熟してきているのでしょうか…。 「人生いろいろ」といっても、歌について語るのではなく、最近しみじみ感じることについてです。 私はブログをはじめるまでは、自分が知りたい情報を調べる以外の目的で人様のブログを読んだことがありませんでした。 あまり人のことに興味がなかったんですね。 今は、ブログを通じた交流だったり、色々な方の考え方や生き方を知ることで自分にプラスになることがたくさんあるな、と思って楽しみながら続けています。 私は基本的に1人でいることが好きで、自分の世界に籠るタイプの人間です。 それを悪いことだとは思わないし、今後もこの姿勢は変わらないと思います。 でも、以
普段、自分は何かに対して努力している、という意識はありますか? 何事も個人の自由ですから、努力ってしてもしなくてもどちらでもよいものだとは思います。 努力してますよ、もしくは努力したいと思っているという前提の話です。 努力にも種類がある。 ①人と比較して勝つための努力 ②自分が喜ぶための努力 ①は苦しくて、勝ったとしても満足するのは一瞬。 今度は追いかけられる恐怖との戦い。 維持するのは一苦労。 ②は、心が欲することの達成により満足が持続する。 喜びは恐怖とは無縁。 維持するには、常に自分に正直であれ。 よきライバルと切磋琢磨して、お互いに高め合える関係というのは、 それぞれが②の努力をしている人たちですね。 中には①の、人と比較して勝つ状態が楽しくてたまらない、という人もいるかと思います。 断っておくと、これは別に良い悪いの問題ではないのでどちらでもよいです。 ただ、私が思うに①の状態が
人は生きていると、 育った環境や出会う人々に影響されて、 無意識に何かしらの思想や信条に染まってしまうということがあると思います。 例えば、○○主義という考え方。 どんな考え方にも、100%良い又は悪いということはないと思います。 どんな考え方であろうが、 その社会に存在する人間の精神性が低ければ争いは起こるし、 精神性が高ければ、平和になると思います。 政治の世界などでは、右とか左などの考え方がありますが、 もうそういう枠組みをも越えていかないといけない時節が到来している気もします。 国を蘇らせるのには、「官」の力だけでは限界があると思います。 やはり「民」の力が必要です。 「民」とは、民間企業のことだけではなく、 私たち一人一人の力も入ります。 一人一人の思いの力は、大きいです。 こうしたい!という思いがないと、現実は希望どおりにはなりませんよね。 当たり前のことです。 意識は水面下で
一貫性とは、最初から最後まで同じ主義や方法を貫くこと、矛盾がない状態であることです。 一貫性があったほうが良いかどうかは、一言で言えば時と場合による…と思います。 例えば国とか大きな組織の単位でころころと方針が変わるようなことは、大きな混乱を招いてしまうのでよくないですよね。 だからといって時代に合わなくなっているのに旧態依然としたやり方を貫くのも問題があります。 個人単位においても、周囲との人間関係の兼ね合いもありますから基本的には同じだと思います。 でも個人の場合は、もっともっと柔軟でいいじゃん!と最近は思うようになりました。 自分で言うなよ!と言われるかもしれませんが、私は几帳面で真面目なタイプ、学生時代は模範的な真面目生徒(←ちょっと言い過ぎかもしれませんが)でした。 そして今はだいぶ衰えてきてますが、記憶力もけっこういいほうなので自分や他人の過去の言動をよく覚えています。 だから
タイトルに言いたいことの全てが詰まっていますが、ちゃんと説明していきますね。 大病を患っている方の報道や手記やブログなどで、病気に対して「戦う」っていう表現をされているのをよく見かけます。 私はこれにすごく違和感を抱きます。 何で病気に対して「戦う」とか「勝つ」とか「負ける」って概念が生まれるんだろう?と。 病気って自分の身体からのサインですよね。 何かしら症状を出すことで、「このままじゃ危ないから気付いて下さい!」 って身体が教えてくれてるんだと思います。 例えば風邪を引いて、発熱したり、鼻水が出たり、咳が出るのは悪いことではありません。 症状が出るということは、身体の免疫がきちんと働いて解毒しようとしている、ということです。 でも今は殊更、症状が出る、ということに対して過敏になり、悪であるかのように思われていますね。 風邪すら引くことも許されない人間って一体何なんだろう?? 私たちはロ
昨日ですが、年内に絶対にしようと思っていた味噌作りをしました。 クリスマスイブに味噌の仕込みです(笑) 我が家は今日、ケ―キとチキンを食べます。 ここ数年クリスマスツリーを出すこともなく、ただただ、ケ―キとチキンを食べる日になっています…。 クリスマスプレゼント制度ももう廃止したので、クリスマスだから何か買ってあげる、ということもしていません。 そんな味気ないクリスマスです。 味噌の話に戻りますね。 食事の改善を試みるなかで、味噌作りに興味を持ち、ネットで手作り味噌のセットを購入しました。 材料はこちら。 大豆、米麹(冷凍保存)、天日塩、 (種味噌) 材料はいたってシンプルですね。 [作り方] ※大豆をよく洗って汚れを落とす。 ※大豆の2~3倍くらいの水に10時間以上ひたす。 ※大豆を4~5時間煮る。圧力鍋だったらもっと早いと思います。 ※煮ている間に米麹を解凍する。 ※米麹と塩をよく混ぜ
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